R32 GT-Rは、なぜ伝説になったのか?――レースで勝つために作られた名車

1989年、16年ぶりに復活したスカイラインGT-R。後世から見ると「伝説のGT-Rを復活させた名車」に見える。しかしR32の開発過程を調べると、少し順番が違っている。

R32は伝説を懐かしむために作られたというより、GT-Rの名にふさわしく、レースで勝つことを明確な使命として開発されたクルマだった。そして実際に勝ち続けたことで、結果として新しいGT-R伝説を作ってしまったのである。

GT-Rが消えていた16年間にも、スカイラインは戦っていた

1973年にケンメリGT-Rが消えてからも、高性能スカイラインまで消滅したわけではない。1980年代にはDR30型2000ターボRSが登場し、さらに1987年にはグループA参戦を強く意識したHR31型GTS-Rが投入された。

GTS-Rは1989年の全日本ツーリングカー選手権でタイトルを獲得している。しかし国際色の強いインターTECでは、フォード・シエラRS500が大きな壁だった。日産が欲しかったのは「昔のGT-R」ではなく、世界の強豪を相手に勝てる次のスカイラインだった。

1980年代後半、HR31スカイラインGTS-Rとフォード・シエラRS500の戦いをイメージしたAI生成イラスト。特定のレースや車両を忠実に再現したものではありません。

R32の設計図には、最初からグループAがいた

NISMOの公式資料では、R32 GT-Rの開発目標として「究極のロードゴーイングカー」であることと同時に、グループAで総合優勝できる性能を持つことが掲げられている。つまり市販車を完成させた後でレース仕様を考えたのではなく、レースの規則を読みながら市販車そのものを設計していた。

象徴的なのがRB26DETTの排気量だ。当時のグループAでは排気量区分によって最低重量や使用できるタイヤ幅が変わり、ターボ車は換算排気量で分類された。4WDによる重量増も考慮した結果、4.5L以下クラスに収まる約2.6Lのターボエンジンが選ばれた。

「RB26がたまたま2.6Lだった」のではない。レース規則から逆算した結果として、2568ccという数字が生まれた。R32のスペック表を眺めると、その裏側にグループAの規則書まで見えてくる。

R32 GT-Rの開発思想を表現したAI生成イメージ。RB26DETT、4WD駆動系、グループA車両を象徴的に配置したもので、実際の機構図ではありません。

最初はFRだった――600馬力を受け止めるための4WD

さらに興味深いのは、当初のR32 GT-Rが「500ps以上の軽量FR」として検討されていたことだ。ところがグループAではタイヤ幅にも制限があり、NISMO側から「これ以上のパワーを2WDで制御するのは難しい」という意見が出た。

そこで方向は、レース仕様で600ps以上を想定したエンジンと電子制御トルクスプリット4WDへ変わっていく。それがATTESA E-TSだった。もちろん市販車は280psであり、600psという数字は競技仕様を想定した開発上の話である。

R32の4WDは単なる高性能装備ではない。限られたタイヤで大出力を路面へ伝えるために選ばれた、レース側からの回答でもあった。

R32 GT-R開発時の「大出力FR案から4WDへ」という方向転換を表現したAI生成イメージ。実在した試作車やテスト風景の再現ではありません。

デビュー戦から1-2。そしてライバルまでGT-Rになった

1990年3月、R32 GT-Rは西日本サーキットでグループAにデビューする。カルソニックとリーボックの2台が予選1、2位を占め、決勝もそのまま1-2フィニッシュ。前年まで主役だったシエラRS500をいきなり上回った。

同年のインターTECでもGT-Rが1-2。1985年以来、ボルボやシエラなど欧州勢が勝ち続けていた大会で、日産はようやく狙っていた勝利を手にした。そして1990年から1993年まで、全日本ツーリングカー選手権ではR32という車種が全29戦を制覇する。

ただし「同じ1台が29連勝した」という意味ではない。複数チームのGT-Rによる記録で、1991年以降は他チームもGT-Rへ移行。1992年には最上位クラスが事実上GT-Rのワンメイクとなった。ライバルを倒し続けた末、最後にはライバルまでGT-Rになってしまった。R32の異常な強さを示すなら、29という数字だけより、この事実の方が分かりやすいかもしれない。

1990年代初頭のグループAでR32 GT-R勢が主力となった時代をイメージしたAI生成イラスト。車番やカラーリングを含め、特定レースの忠実な再現ではありません。

R32は「伝説を継いだ」のではなく、新しく作り直した

R32はハコスカの強さを懐かしむための復刻車ではなかった。DR30、HR31で積み重ねた技術と敗戦の経験をもとに、グループAで勝つためにエンジン、駆動方式、車両重量まで組み立て直したクルマだった。

だから16年ぶりにGT-Rという名前が復活したこと自体より、その後の方が重要なのだろう。R32は伝説を復活させるためではなく、勝利を取り戻すために作られた。そして勝ち続けた結果、自分自身が新しい伝説になった。

「GT-R」という名前だけを先に復活させたのではない。GT-Rを名乗る以上、レースで勝てる中身を成立させる。その思想で作り込まれたクルマ、と見る方がR32というクルマの正体に近い。

【編集者が思うこと】

俺は昔、R32って「GT-Rを16年ぶりに復活させたから凄いクルマ」くらいに思っていたんですよ。でも調べてみると逆なんですね。GT-Rという看板を先に復活させて、中身を後から作ったわけじゃない。シエラに勝つには何ccがいい、FRではタイヤがもたない、なら4WDだ、とかなり現実的に詰めていった。その結果がR32だった。こういうのを見ると、名車って最初から名車として企画するものじゃなくて、目的に異常なくらい真面目に向き合ったクルマを、後世の人間が名車と呼ぶんじゃないかと思います。

参考資料

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