1984年に登場したポンティアック・フィエロは、初年度13万6840台を生産する大ヒットとなった。しかし、その勢いは長く続かなかった。1986年には8万3974台、1987年には4万6581台へ減少。最終1988年型は約2万6400台まで落ち込む。
ただし、フィエロは「出来が悪かったから、そのまま消えたクルマ」ではない。むしろ逆だった。ポンティアックは毎年のように欠点を修正し、ようやく本来のミッドシップ・スポーツカーになった1988年、その年に生産終了が決まった。
ポンティアック・フィエロの奇妙な車生・全3回
92馬力の「通勤車」として生まれ、1988年にようやく完成したと思ったら生産終了。そして死後はフェラーリやランボルギーニ風レプリカの素材へ。フィエロの奇妙な車生を3つの視点から追います。
- 第1回: ポンティアック・フィエロはなぜ遅かった?――ミッドシップなのに“通勤車”として生まれたアメ車
- 第2回: ポンティアック・フィエロはなぜ完成した1988年に消えた?――火災、MR2、最後の大改良
- 完結編: ポンティアック・フィエロはなぜフェラーリになった?――“レプリカ界の王様”になったアメ車 公開予定
V6を載せ、見た目もスポーツカーになった
初期型最大の弱点だった92hpの2.5L直4だけでは、さすがにスポーツカーとして苦しい。そこで1985年、フィエロには2.8L V6が追加された。最高出力は140hp。翌1986年には、現在のフィエロを代表する姿ともいえるファストバックGTも登場し、V6用5速MTも加わっていく。
つまりポンティアックは、初期型の問題を放置していたわけではない。パワーも外観も着実に改善していた。ただしシャシーには依然として初期開発時の妥協が残り、1986年型GTを試したCar and Driverも、Toyota MR2と比べて重さやステアリング、ハンドリング面を厳しく評価している。

そこへ「燃えるフィエロ」のイメージが広がった
さらに致命的だったのが、初期4気筒車で発生したエンジンルーム火災だった。1987年には1984年型を対象とした大規模なリコールが行われる。原因は一つではなく、オイル量が少ない状態でのエンジン破損や、漏れた油脂類が高温の排気系へ達する可能性などが問題視された。
したがって「すべてのフィエロが簡単に燃えた」とするのも、逆に「オーナーの整備不足だけが原因だった」とするのも正確ではない。ただ、クルマの商品価値という点では原因以上に厄介なものが残った。
「Fiero=燃えるクルマ」というイメージである。後年には4気筒車全体へ火災対策のリコールが拡大しており、単なる都市伝説として片付けられる問題でもなかった。
※フィエロの火災問題と当時の報道拡大をイメージしたAI挿絵。新聞・テレビ画面は実在の報道紙面を再現したものではありません。
1988年、ついに足回りまで作り直した
それでもポンティアックは諦めなかった。1988年型では約3000万ドルを投じたとされる大規模なシャシー改良を実施。フロントのジオメトリーを見直し、リアには新しいトライリンク式サスペンションを採用。ブレーキも4輪ベンチレーテッドディスクとなった。
さらに、GTのV6と高性能サスペンションを比較的軽いノッチバックボディへ組み合わせたFiero Formulaも登場。初代で流用部品を組み合わせて成立させたフィエロが、ようやく「ミッドシップだからこう走ってほしい」という期待に応えるクルマへ近づいた。
※1988年型フィエロのサスペンション刷新と4輪ベンチレーテッドディスクを視覚化したAIイメージ。部品形状・配置・名称は実車の整備用技術図を完全再現したものではありません。
とうとうCRXやMR2より速くなった。それでも3位だった
1988年、Car and DriverはFiero、Toyota MR2、Honda CRXを比較した。総合順位ではフィエロは3位。しかし計測結果だけを見ると話は変わる。Fieroは0-60mphを7.9秒、最高速123mphを記録し、3台で最速。さらにスキッドパッド、スラローム、ロードコースでも最良の結果を残したと当時の開発史には記録されている。
第1部では、2.5Lミッドシップなのに小さなFFのCRXより遅かったフィエロ。それが4年後には、CRXやMR2を数字で上回るところまで進化した。それでも総合評価では勝てない。ライバルも進化していたうえ、初期型から積み重なった重さ、操舵感、商品イメージまで、一度に消すことはできなかったのである。
そして「最高のフィエロ」が最後のフィエロになった
1988年3月、GMはフィエロを同年限りで終了すると発表した。理由は販売低迷だった。GM側は専用工場を維持するには年間約5万台が必要としていたが、1987年にはすでにその水準を下回っていた。価格上昇や保険料、2シーター市場そのものの縮小も逆風だった。
しかも現場は、フィエロを終わらせるつもりではなかった。Los Angeles Timesの当時取材によれば、生産終了発表の前日には、再設計された1990年型フィエロ向け設備の準備を始めるため、12人の熟練工が呼び戻されていたという。パワーステアリングやQuad 4エンジンの検討も進んでいた。
クルマは直せても、商品の寿命までは巻き戻せない。フィエロの5年間は、それを妙に分かりやすく示している。最初から1988年型に近い完成度で登場していたらどうなったのか。それだけは、永遠に答えの出ない話である。
※1988年の生産終了と、その時点で進められていた次期フィエロ計画をイメージしたAI挿絵。奥のクレイモデルは実在プロトタイプの忠実な再現ではありません。
【編集者が思うこと】
俺なら「売れないから終わった」で済ませるより、ここまで直してからやめるのかよ、と思ってしまう。最初はCRXにも負ける92馬力のミッドシップだったのに、V6を載せ、足まで作り直して、最後にはMR2やCRXより速い数字まで出した。それで終了。しかも次のフィエロまで準備していたというのだから、何とも間が悪い。最初にもう少し金をかけてちゃんと作っていれば……と思うが、その「あと少し」が最後まで届かなかったところまで含めて、やっぱりフィエロは面白いクルマだ。
参考資料
- Car and Driver「Remember the Fiero」― Fieroの改良経緯、1988年比較テスト、生産終了まで
- Car and Driver「1986 Pontiac Fiero GT Archive Test」― V6 GTとToyota MR2を含む当時評価
- Hemmings「Perfecting Pontiac’s P-Shooter – 1988 Pontiac Fiero GT」― 1988年型のサスペンション全面改良
- Hemmings「Pontiac Saved the Best for Last With the 1988 Fiero GT」― 最終型Fieroの技術と生産台数
- Los Angeles Times「GM to Stop Making Sporty Fiero」― 1988年の生産終了発表と販売低迷
- Los Angeles Times「FIERO : CAR TROUBLE AT GM」― GM社内事情、1990年型計画、生産終了直前の状況
- Los Angeles Times「GM to Recall All 4-Cylinder Fieros」― 4気筒Fieroの火災対策リコール
- Gary Witzenburg『Fiero: Pontiac’s Potent Mid-Engine Sports Car』― 開発史と1988年比較テスト記録
