ポンティアック・フィエロはなぜフェラーリになった?――“レプリカ界の王様”になったアメ車

1988年、ポンティアック・フィエロは生産を終えた。だが、このクルマの妙な人生はそこで終わらない。むしろ中古車になってから、フィエロは本領を発揮する。フェラーリになり、ランボルギーニになり、時にはV8まで積まれる。スポーツカーとして評価に苦しんだクルマが、今度は「スポーツカーを演じるための素材」として異様な人気を得ていった。

なぜフィエロだったのか。答えは単純で、構造があまりにも都合よくできていたからである。


ポンティアック・フィエロの奇妙な車生・全3回

92馬力の「通勤車」として生まれ、1988年にようやく完成したと思ったら生産終了。そして死後はフェラーリやランボルギーニ風レプリカの素材へ。フィエロの奇妙な車生を3つの視点から追います。

外板を剥がしても、フィエロはフィエロだった

フィエロは、鋼製スペースフレームに非構造の樹脂製外板を取り付ける方式を採用していた。一般的なモノコック車のように、外板そのものが車体構造の重要部分ではない。つまり、ボディパネルを交換しても骨格はそのまま使える。

しかも2シーター、横置きミッドシップ、低いボディという基本構成までスーパーカー向きだった。フィエロのホイールベースは93.4インチ、約2373mm。Ferrari 308 GTBは2340mmで、その差はわずか約33mm。見た目だけでなく、寸法的にも308風ボディを載せやすい素性を持っていた。

※Fieroのスペースフレームと樹脂製外板の関係を示したAIイメージ。部品形状や配置は実車の整備用技術図を完全再現したものではありません。

そしてFiero Meraが現れた

その象徴が、1987年に登場したFiero Meraである。ミシガン州のCorporate Concepts Limitedが、新車Fieroの外板を取り外し、Ferrari 308を強烈に連想させるFRPボディへ交換した。

ただしMeraは、オーナーが通販で外装キットを買って自宅で組み立てる一般的なキットカーとは違う。Pontiacディーラーで新車Fieroを注文し、その車両がCorporate Conceptsへ送られて完成車として戻ってくる仕組みだった。Car and Driverの1987年テスト車は24,995ドル。安い偽フェラーリというより、かなり高価な特別仕様Fieroだった。

※Fiero Meraの改装工程をイメージしたAI挿絵。実際の工場・販売風景を忠実に再現したものではありません。

「フェラーリではない」と言いながら、どう見てもそれっぽい

Corporate Concepts側はMeraを他車のレプリカとは位置付けず、独自モデルとして販売していた。しかし当時のCar and Driverも、その姿がどのクルマを連想させるかは明らかだと皮肉交じりに扱っている。

一般にMeraは1987~1988年に247台が製作されたとされる。生産はFerrari側の法的措置によって終了したとされるが、ここで注意したいのは、Ferrariが訴えた相手はPontiacそのものではなく、改装を行っていたCorporate Concepts側だったという点である。

※Fiero Meraを参考にしたAIイメージ。実車の細部を忠実に再現したものではなく、Ferrari純正車でもありません。

Fieroが消えても、変身文化は止まらなかった

本家Fieroが生産終了すると、今度は大量の中古車がレプリカ文化の材料になった。総生産台数は約37万台。安価な中古車、ミッドシップ、交換しやすい外板。この組み合わせはキットカー業界には理想的だった。

Ferrari 308系だけではない。Testarossa風、F40風、Lamborghini CountachやDiablo風など、さまざまな外装がFieroへ載せられた。Countach系では、より本物に近いプロポーションを得るためにシャシーを延長する仕様まで存在した。

※実在する特定のキット製品を完全再現したものではなく、Fieroを利用したレプリカ文化を表現したAIイメージです。

見た目だけでは足りない。今度はV8を積み始める

しかし外観をスーパーカーにすると、今度は中身が気になる。初期Fieroは92hpのIron Dukeだった。そこでアメリカのカスタム文化は当然の方向へ進む。エンジンスワップである。

代表例が「V-8 Archie」として知られるArchie Archambault。本人の記録では、1984年型Fieroへ1967 Camaro由来の327ci Chevrolet V8を搭載し、1986年に完成。その後V8換装キットを販売するようになった。以後Fieroにはsmall-block V8をはじめ、3800 Supercharged V6や各種GM V8など、さまざまなエンジンが載せられていった。

92馬力で「遅いミッドシップ」と呼ばれたクルマが、死後にはオーナーの手でV8を積まれる。ここまで来ると、もはやメーカーが想定していたFieroとは別の生き物である。

※FieroのV8スワップ文化をイメージしたAI挿絵。具体的な改造手順を示すものではありません。

そして今度は「何にも化けなかったFiero」が残る

皮肉なのは現在である。かつては安い中古Fieroを買い、外板を外し、切って伸ばして別のスーパーカーへ変えることに価値があった。しかしコレクター市場では、特にV6車や足回りを刷新した1988年型など、オリジナルに近いFieroそのものを評価する動きがある。

もちろんFiero全体が高騰しているわけではない。状態や仕様による価格差は大きい。それでも、昔ならレプリカの材料にされた低走行車やノーマル車を「そのまま残しておきたい」と考える人がいる。

FieroレプリカとノーマルFiero GTが並ぶクラシックカーイベント※Fieroのレプリカ文化と、現在のオリジナル車への評価を対比したAIイメージです。

Ferrariにもなった。Lamborghiniにもなった。V8まで積まれた。だが40年近く経って最後に珍しくなったのは、何にも化けなかった普通のFieroだった。

フィエロ最大の才能は、速さではなかったのかもしれない。Fieroであることをやめられること。その妙な才能が、メーカーによる生産終了後もこのクルマを生き残らせたのである。

【編集者が思うこと】

当時のカー雑誌でフィエロを「狼の皮を被った羊」と評していたのを覚えている。俺はむしろ本物のフェラーリより、このフィエロベースのレプリカが見たくて都内のカーショップまで行ったことがある。速いとか本物とか、そういう正しさだけじゃ車趣味はつまらない。パチモノ、似せ物、ちょっと怪しい改造車。あのB級な熱気まで含めて、フィエロ文化だったんだと思う。

参考資料

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