杉下右京は、なぜ組織の中で浮いているのか
ドラマ『相棒』の杉下右京は、数々の難事件を解決してきた極めて優秀な刑事である。それにもかかわらず、警察組織の中では必ずしも厚遇されていない。むしろ周囲から煙たがられ、特命係という特殊な部署に置かれている。
普通に考えれば、事件解決能力が高い人物ほど組織から評価されそうなものだ。しかし右京の場合、評価を下げているのは能力不足ではない。能力とは別の部分で、組織にとって非常に扱いにくい人物だからだ。

会社が評価するのは「正しい人」だけではない
会社で評価される要素は、仕事の能力だけではない。上司への報告、同僚との協調、根回し、部署間の調整、場合によっては「ここはあえて触れない」という判断まで含まれる。
ところが杉下右京型の人間は、矛盾を見つけると放置しない。相手が上司でも、組織の偉い人物でも、「おかしいものはおかしい」と追及する。
本人からすれば、問題を指摘しているだけである。しかし組織側からすると、問題そのものより「問題を表面化させる人物」のほうが厄介になることがある。
これは警察に限った話ではない。会社でも、誰も触れたくない失敗や、昔から続いている妙な慣習に対して「そもそも、これ必要ですか?」と言う社員は存在する。
間違ってはいない。ただし、歓迎もされない。

問題は「正論」ではなく、その後始末にある
正論を言うこと自体が嫌われる原因とは限らない。本当に厄介なのは、正論によって仕事が増える場合である。
例えば、「この手続きは規則違反です」と誰かが指摘したとする。確かに正しい。しかし修正するとなれば、過去の案件を調べ、資料を書き直し、上司へ報告し、場合によっては責任問題まで発生する。
すると周囲から見れば、正論を言った本人ではなくても、全員が後始末に巻き込まれる。
結果として、「あの人の言っていることは正しい。でも、あの人がいると面倒なことになる」という評価が生まれる。
杉下右京が警察内部から煙たがられる構造も、これに近い。犯人を捕まえるだけなら歓迎される。しかし、その途中で警察内部の不正まで掘り返してしまえば、話は変わる。
では、能力が普通の「杉下右京型社員」はどうなるのか
ここで少し嫌な問題が出てくる。
杉下右京は、圧倒的な推理力と観察力を持っている。最終的には結果を出すため、周囲も完全には無視できない。
では、能力がごく普通の会社員が右京と同じように、毎回細かな矛盾を指摘し、上司にも食ってかかり、納得するまで議論を続けたらどうなるだろう。
残念ながら、「信念のある社員」ではなく「面倒くさい社員」になる可能性が高い。

会社では「正しさ」にも実力が要求される
ここが現実社会の少々いやらしいところである。
同じことを言っていても、圧倒的な成果を出している人物の発言なら「鋭い指摘」になり、成果のない人物が言えば「文句が多い」と評価されることがある。
つまり組織では、正論そのものだけでなく、「誰が言ったか」まで評価対象になる。
これは公平とは言い難いが、会社という集団を運営する以上、発言によって発生するコストと、その人物が生み出す利益が天秤に掛けられているとも考えられる。
杉下右京より、右京+亀山くらいが現実的かもしれない
では、会社では黙っていたほうが得なのかというと、それも違う。
誰も問題を指摘しない組織は、間違った方向へ進んでも止まれない。正論を言う人間は必要である。
ただし現実の会社では、正しさだけで人は動かない。
相手の立場を考え、言い方を変え、逃げ道も残しながら問題を修正する。場合によっては、杉下右京の論理性より、亀山薫の人間臭さが必要になる。
理想は「間違いを見逃さない右京」と「人間関係を壊さない亀山」の中間なのかもしれない。

結局、右京型社員は会社で生き残れるのか
杉下右京型の社員が嫌われる理由を整理すると、単純に「正論を言うから」ではない。
正論によって組織の矛盾を表面化させ、仕事を増やし、上司の立場まで危うくする。そのうえ本人が妥協しないとなれば、組織から見ればかなり扱いにくい。
だから会社で生き残るためには、正しさを捨てる必要はないが、正しさをどう使うかが重要になる。
杉下右京はドラマだから格好いい。
現実の会社で同じことをやるなら、推理力より先に「正論を言ったあと、どうやって周囲と仕事を続けるか」まで考えたほうがよさそうである。
【編集者が思うこと】
杉下右京は大人のヒーローだから格好いい。あれを会社でそのまま真似したら、中坊が先生に正論ぶつけて得意になってるのと大差ない気もする。ヒーローに憧れるのはいい。でも大人なら、右京の口調より「なぜ右京はあれを言えるのか」を真似したい。まあ、それが一番難しいんだけど。
