スカイラインGT-Rの歴史には、妙に長い空白がある。1973年にケンメリGT-Rが姿を消してから、R32 GT-Rが登場する1989年までの約16年間だ。
しかし、その間もスカイラインそのものが大人しくしていたわけではない。排出ガス規制の時代を乗り越え、ターボを手に入れ、ついには伝統だった直列6気筒から離れて4気筒DOHCの「RS」を最強モデルに据えた。そして再び直6DOHCへ戻り、レースで戦うGTS-Rへ進む。
GT-Rが消えていた16年間は空白ではない。R32 GT-Rを成立させるための条件を、一つずつ取り戻していった時代だった。
スカイラインGT-Rを追う・全5回
GT-Rは一直線に進化したクルマではありません。誕生、消滅、復活、神格化、そしてスカイラインからの独立まで、5つの視点からその歴史を検証します。
- 第1回: スカイラインGT-Rは、なぜ“伝説”になったのか?――実は16年間も存在しなかった名車
- 第2回: R32 GT-Rは、なぜ伝説になったのか?――レースで勝つために作られた名車
- 第3回: R33 GT-Rはなぜ不人気扱いされ、R34 GT-Rは神格化されたのか?
- 完結編: R35 GT-Rは、本当にGT-Rなのか?――スカイラインを捨てた理由を検証
- 番外編: GT-Rが消えた16年間、スカイラインは何をしていたのか?――R30「4気筒RS」からR32復活まで
ジャパンは「GT-Rのないスカイライン」を定着させた

1977年登場のC210型、通称「スカイライン・ジャパン」にはGT-Rが設定されなかった。ケンメリGT-R終了後、日産は厳しい排出ガス規制への対応を迫られ、高性能車をレースで競わせる時代からいったん離れていた。
それでもスカイラインは速さを捨てなかった。1980年にはL20ET型の直6・2リッターターボを搭載した2000GTターボが登場。最高出力145PSで、広告では「今、スカイラインを追うものは誰か。」とも訴求された。GT-R復活にはまだ遠かったが、排ガス対策に追われた時代から「もう一度、速いスカイラインを作る」方向へ動き始めたと見ることができる。
R30で最強のスカイラインが「4気筒」になった

1981年登場のR30型でも、2000GT系にはL20型の直列6気筒が残っている。したがって「R30でスカイラインが4気筒になった」という説明は正確ではない。
異変は、その上に追加された2000RSだった。搭載されたFJ20E型は2リッター直列4気筒、4バルブDOHCで150PS。GT-R以来途絶えていたDOHCを復活させながら、気筒数は6ではなく4だった。
つまり日産は、直6の「GT」を残したまま、より高性能な別系統として「RS=Racing Sport」を投入したのである。スカイライン最強モデルの座が、直6GTから直4RSへ移った。ここがR30最大の面白さだ。
「史上最強」なのに、GT-Rではなかった

1983年にはFJ20ET型を積むターボRSが190PSで登場し、日産は「史上最強のスカイライン。」と宣伝した。さらに1984年のインタークーラー仕様では205PSへ到達する。
それでも車名はGT-Rにならなかった。日産公式のヘリテージ資料にも、「史上最強」と呼ばれながらGT-Rの名は付けられなかったことが記されている。
ここで注意したいのは、4気筒だから「GT-Rを名乗る資格がなかった」と単純に決めつけないことだ。GT-Rは単なる高出力グレードではなく、もともとレースで勝つことと強く結びついた名前だった。R30 RSは、GT-Rを復活させるのではなく、まずスカイラインそのものに「戦う車」の性格を戻す役割を担ったと考えたほうが自然である。
なお、巨大なフェンダーで有名なR30スーパーシルエットも、この時代の象徴だ。ただしレース車に積まれていたのは市販RSのFJ20ETではなく、競技専用のLZ20B型直4DOHCターボ。570PS以上を発生する別物なので、ここは混同したくない。
R31で「直6DOHC」とレースがつながった

1985年登場のR31では、新世代のRB型直列6気筒が採用され、スカイラインに直6DOHCが戻ってくる。そして1987年には、グループA参戦を目的に800台限定のGTS-Rが登場した。
RB20DET-R型直6DOHCターボを搭載し、市販状態で210PS。大容量ターボやステンレス製等長エキゾーストマニホールドなど、競技で使うことまで考えた仕様だった。1989年にはR31 GTS-Rが全日本ツーリングカー選手権のシリーズタイトルを獲得する。
だが、インターTECでは強敵フォード・シエラRS500を最後まで倒し切れなかった。R31は十分に強かった。しかし、世界のトップを圧倒するにはまだ足りなかったのである。
R32は突然現れた怪物ではない

GTS-Rがレースを戦っていた頃、すでに日産では次期GT-Rの開発が進んでいた。R31で得た実戦データを生かし、今度は最初からグループAで勝てる市販車を作る。そのために生まれたのがRB26DETT、電子制御トルクスプリット4WDのATTESA E-TSを持つR32 GT-Rだった。
1989年、GT-Rの名前は約16年ぶりに復活する。そして1990年からの全日本ツーリングカー選手権では、R32 GT-Rが29戦29勝という記録を残した。
この結果だけを見るとR32は突然出現した怪物に見える。しかし、その前にはジャパンのターボ、R30の4気筒RS、R31 GTS-Rという試行錯誤があった。
GT-Rが存在しなかった16年間、スカイラインは何もしていなかったのではない。直6という伝統さえ一度横へ置き、ターボ、DOHC、レース、市販車と競技車の一体開発という要素を取り戻していった。その全部が揃った時、ようやく「GT-R」という名前が帰ってきたのである。
【編集者が思うこと】
俺は昔、R30のRSを見て「なんでスカイラインなのに4気筒なんだ?」と思っていた。でも歴史を順番に見ると、むしろ4気筒だから面白い。直6にこだわって大人しく作るより、使えるDOHCがFJ20なら、それを積んで最強を狙った。しかも「史上最強」と言いながらGT-Rとは名乗らない。この妙な意地というか、GT-Rという名前を安売りしなかった感じがいい。そしてR31 GTS-Rを挟んでR32へ行く。R32だけ突然見たら怪物だが、その前の16年間を見ると、出るべくして出たクルマだったんだなと思う。
