スカイラインGT-Rという名前には、「昔からずっと最強だったクルマ」というイメージがまとわりついている。ところが歴史を追うと、実態はかなり違う。そもそも伝説の起点はGT-Rが誕生する5年前。しかも、そのレースでは勝っていない。
GT-Rは、勝ち続けたから伝説になったのではない。負け、勝ち、消え、復活した。その不連続な歴史そのものが、GT-Rを特別な存在にした。
GT-Rの伝説は「ポルシェに負けた日」から始まった
1964年、第2回日本グランプリ。プリンス自動車のスカイラインGTは、ポルシェ904を相手に一時先行する場面を作った。しかし最終結果はポルシェ904が優勝し、スカイラインGTは2位から6位。つまり、よく語られる「ポルシェを抜いたスカイライン」は事実だが、「ポルシェに勝った」わけではない。
それでも、この瞬間は強烈だった。普通の4ドアセダンに見える国産車が、本格的なレーシングスポーツに食らいついた。翌1965年の市販車カタログでは「羊の皮を着た狼」という表現まで使われている。スカイラインの神話は、圧倒的な勝利ではなく「格上に挑んだ敗北」から始まっていた。
1964年の第2回日本グランプリをモチーフにしたイメージ。実際にポルシェ904を一時抜いたのは生沢徹のスカイラインGT 41号車で、画像は車両番号などを含めた忠実な再現ではありません。
ハコスカGT-Rが「物語」を本物の実績に変えた
GT-Rの名が初めて登場したのは1969年。PGC10型スカイライン2000GT-Rには、R380の技術を量産用に再設計したS20型直列6気筒DOHCエンジンが搭載された。ヒーターやラジオすら標準ではないほど競技色が強く、価格も通常の2000GTの約2倍に迫った。最初から大量販売を狙ったスポーティーグレードではなく、レースで勝つことを強く意識したクルマだった。
ただし、GT-R自身の初戦も完璧ではない。1969年のJAFグランプリでは2位でゴールし、先着したトヨタ1600GTへのペナルティによって優勝となった。その後4ドアから2ドアハードトップへ進化し、ようやく圧倒的なレース実績を積み上げていく。
有名なのが「49連勝」「通算52勝」だ。日産/NISMOが公式に掲げる記録だが、52勝には総合優勝だけでなくクラス勝、ワークスと非ワークスの双方が含まれる。途中にはGT-Rが敗れたレースも確認できるため、「GT-Rが出場した49戦すべてを連続で総合優勝した」という意味ではない。
だからといって記録の価値が薄れるわけではない。むしろ集計条件を整理しても、当時のツーリングカーレースでGT-Rが異常なほど強かった事実は残る。1964年に生まれた「速いスカイライン」という物語を、ハコスカGT-Rが実績によって裏付けた。
1970年前後のツーリングカーレースをイメージしたAI生成イラスト。特定のレースを忠実に再現したものではありません。
ほとんど走らなかったケンメリGT-Rが、なぜ神格化されたのか
1973年に登場したKPGC110型、いわゆるケンメリGT-Rは正反対だった。生産期間は1月から4月までのわずか4か月。日産資料では200台未満、具体的には197台と紹介されることもある。そしてツーリングカーレースには一度も参戦していない。
ここで注意したいのが「オイルショックで消えた」という定番説明だ。ケンメリGT-Rの生産終了は1973年春だが、第一次石油危機の発端となる第四次中東戦争は同年10月。直接原因として時系列が合わない。実際には排出ガス対策や燃費改善へ開発資源を振り向ける必要があり、石油危機はその後、省燃費を重視する時代をさらに強めたと考える方が正確だ。
ケンメリGT-Rは「勝ったから幻になった」のではない。「走れなかったから幻になった」。レース仕様まで展示されながら実戦投入されず、S20エンジンを積むGT-Rもここで途切れた。「もし走っていたら」という余白までが伝説の一部になったのである。

16年間消えていたのは「速いスカイライン」ではない
1973年にGT-Rが消えてから、1989年にR32 GT-Rが登場するまで約16年。この期間を「スカイライン暗黒時代」のように扱うのも正確ではない。1980年代にはDR30型2000ターボRS、さらにグループA参戦を意識したHR31型GTS-Rが存在していた。
つまり、16年間消えていたのは高性能スカイラインではなく、「GT-R」という名前だった。技術とレースへの執念は途切れず、その途中にターボRSやGTS-Rがいた。その蓄積の先で1989年8月、RB26DETTとATTESA E-TSを備えたR32 GT-Rが登場する。
これが単なる新グレード追加ではなく「GT-R復活」として大事件になったのは、16年という空白があったからだろう。なお「日産が伝説化させるため意図的にGT-Rの名称を封印していた」という証拠は確認できない。結果として、その長い不在がGT-Rという名前の価値を増幅した、と見るのが妥当だ。

GT-Rは「途切れたから強くなった」珍しい名車でもある
R32以降、GT-RはR33、R34へ受け継がれたが、2002年にR34の生産終了とともにGT-Rは再び姿を消す。そして2007年に登場したR35は「スカイラインGT-R」ではなく、「NISSAN GT-R」として独立した。
こうして見ると、GT-Rの歴史は一本の線ではない。1964年の敗北、ハコスカの勝利、走らなかったケンメリ、16年間の空白、R32の復活、そしてスカイラインとの別離。GT-Rが伝説になった理由は「最強だったから」だけではなく、何度も物語が終わり、そのたびに別の意味を背負って帰ってきたからではないか。
名車にはスペック表だけでは説明できない価値がある。GT-Rほど、それが分かりやすいクルマも少ない。
【編集者が思うこと】
俺は、名車って速ければ伝説になるわけじゃないと思うんですよ。GT-Rなんて調べるほど面白くて、負けてるし、消えてるし、ケンメリなんかレースを走ってすらいない。それなのに、全部ひっくるめてGT-Rの価値になっている。49連勝だ52勝だという数字ももちろん凄い。でも16年間もGT-Rがなかったからこそ、R32が出てきた時に「帰ってきた!」になる。ずっと普通に売っていたら、ここまで神格化されたのか。俺はたぶん違うと思う。クルマの伝説って、性能だけじゃなくて「物語の出来方」なんでしょうね。
参考資料
- 日産ヘリテージコレクション「Prince Skyline GT」
- JAF「第2回日本グランプリ GT-II リザルト」
- 日産ヘリテージ「The 2nd Japan Grand Prix and the Skyline 2000GT」
- NISMO「GT-R伝説のはじまり/栄光の52勝」
- 日産ヘリテージ「Skyline 2000GT-R(KPGC110)」
- 資源エネルギー庁「2度のオイルショック」
- 環境省「企業の努力とその成果」
- NISMO「GT-R復活へのプレリュード」
- 日産ヘリテージ「Nissan Skyline GT-R(1989)」
- 日産ヘリテージ「NISSAN GT-R(2007:R35)」
