ポンティアック・フィエロはなぜ遅かった?――ミッドシップなのに“通勤車”として生まれたアメ車

1984年、アメリカに奇妙な2シーターが登場した。ポンティアック・フィエロ。エンジンを座席後方に積むミッドシップ、後輪駆動、低いボディ、リトラクタブルヘッドライト。見た目だけなら、GMが本気で小型スポーツカーを作ったように見える。

ところが初期型のエンジンは2.5L直列4気筒「Iron Duke」でわずか92hp。Car and Driverの1984年型テストでは0-60mph(約96km/h)加速に11.3秒を要した。ミッドシップなのに、速くない。なぜGMはこんな妙なクルマを作ったのか。調べていくと、フィエロは最初から少々ねじれた事情を抱えて生まれていた。


ポンティアック・フィエロの奇妙な車生・全3回

92馬力の「通勤車」として生まれ、1988年にようやく完成したと思ったら生産終了。そして死後はフェラーリやランボルギーニ風レプリカの素材へ。フィエロの奇妙な車生を3つの視点から追います。

  • 第1回: ポンティアック・フィエロはなぜ遅かった?――ミッドシップなのに“通勤車”として生まれたアメ車
  • 第2回: ポンティアック・フィエロはなぜ完成した1988年に消えた?――火災、MR2、最後の大改良 公開予定
  • 完結編: ポンティアック・フィエロはなぜフェラーリになった?――“レプリカ界の王様”になったアメ車 公開予定

スポーツカーを作るために「通勤車」を名乗った

フィエロ計画を率いたのは、ポンティアックのエンジニア、ハルキ・アルディカクティらだった。1970年代末、彼らが考えていたのは安価なミッドシップ2シーター。しかし当時のGMにとって、新たなスポーツカー企画は簡単には通らない。グループ内にはすでにシボレー・コルベットがあり、さらに燃費規制への対応も大きな課題だった。

そこで計画は、スポーツカーではなく「燃費のいい2人乗りコミューター」として上層部へ提案された。当初は50mpg級の燃費まで構想されていたとされる。つまりフィエロは、通勤車をスポーツカー風にしたのではない。スポーツカーを作るために「これは通勤車です」と名乗ったという、なんともGMらしい社内事情から始まったのである。

※フィエロ開発時の「スポーツカー」と「コミューター」という企画上のねじれをイメージしたAI挿絵。

「通勤車」の建前が、本当に中身へ入ってしまった

問題は、安価なコミューターとして企画を通した以上、開発予算にも制約があったことだ。そこで初期フィエロには既存GM車の部品が大量に利用された。フロント側はChevetteなどT-car系の構成をベースとし、リア側には前輪駆動X-car系のフロント用メカニズムを応用。専用設計のスーパーカー的メカとは程遠い。

それでも車体は面白かった。鋼製スペースフレームを骨格とし、その上に樹脂製ボディパネルを取り付ける方式を採用。外板自体に大きな構造強度を持たせないため、デザイン変更もしやすい。後にフィエロが別の「第二の人生」を歩むことになるのだが、それは第3部で詳しく触れたい。

※1984年型ポンティアック・フィエロのスペースフレーム、樹脂製外板、ミッドシップ構造をイメージしたAI挿絵。部品形状・配置は実車を完全に再現した技術図ではありません。

見た目はスーパーカー、エンジンは92hp

1984年型に搭載された2.5L OHV直4「Iron Duke」は92hp。耐久性や実用性を重視したGMの量産エンジンであり、フィエロ専用の高回転スポーツユニットではない。車重もCar and Driverのテスト車で2580lb(約1170kg)あり、0-60mphは11.3秒だった。

ただし、ここで「だからフィエロは最初から不人気だった」としてしまうと事実と逆になる。1984年型の生産台数は13万6840台。当初の予想を大きく上回るヒットだった。速さより、低く構えたスタイル、ミッドシップという珍しさ、7999ドルからという価格に、多くの客が魅力を感じたのである。

そしてFFのHonda CRXに負ける

ところが同時期、日本から非常に厄介なクルマが現れる。Honda CRXだ。こちらはシビックを基礎としたFF車で、ミッドシップでもなければ2.5Lエンジンでもない。しかし圧倒的に軽かった。

MotorTrendは当時、CRX 1.5との比較でフィエロについて、より重く、わずかに遅く、燃費でも劣り、しかもかなり高価と評価している。つまり、フィエロがGMへ企画を通すために掲げた「安くて燃費のいい2人乗りコミューター」という仕事を、皮肉にもFFのHondaがうまくやってしまった。

ミッドシップの2.5Lアメリカ車が、シビックから生まれた1.5L FF車に「軽くて速くて経済的」という部分で負ける。フィエロというクルマの奇妙さを象徴する出来事だった。

女性に売れた。しかしパワステがない

さらに予想外だったのが購入者層である。Washington Postは後年、1984年のフィエロ販売では女性が半数を超えていたと報じている。安価でスタイリッシュな2人乗りという商品性が、若い女性にも強く受けた。

ところがフィエロにはパワーステアリングがなかった。同紙の取材では、GM側も発売前のテストに十分な女性を参加させず、低速時のステアリングの重さを見落としたことを認めている。工場関係者からも「妻たちは見た目を気に入っているが、駐車が大変」という声が出ていたという。

それでも最初は売れてしまった。そのためGMは、コストを掛けて早急に改良する必要性を強く感じなかった。フィエロ最大の不幸は、最初から売れなかったことではない。むしろ、未完成の状態なのに売れすぎたことだったのかもしれない。

やがてV6が追加され、フィエロは少しずつ本来あるべきスポーツカーへ近づいていく。しかしその頃にはToyota MR2が登場し、さらに初期型を巡る火災問題まで表面化する。フィエロの車生が本当におかしくなるのは、ここからである。

【編集者が思うこと】

俺がフィエロを面白いと思うのは、「昔のアメ車だから遅かった」で終わらないところだ。スポーツカーを作りたい。でもスポーツカーでは企画が通らない。だから通勤車ですと言ったら、本当に通勤車みたいなエンジンと予算になってしまった。それで見た目だけはカッコいいから売れちゃった。しかもFFのCRXに走りや燃費でやられる。なんだ、このクルマ(笑)。普通なら歴史の片隅に消えるクルマなんだろうけど、こういう「あと一歩ずつ全部ズレている車」の方が、俺は名車より気になってしまう。

参考資料

  • Car and Driver「1984 10Best Cars」― 1984 Pontiac Fiero 2M4の諸元・当時評価
  • Car and Driver「Remember the Fiero」― 初期型の性能、販売実績、当時の評価
  • Car and Driver「The Design Rejects: Second-Generation Pontiac Fiero」― Fiero開発思想、コミューターとしての位置付け
  • The Washington Post「Crash Course at GM」― 開発上の妥協、女性購入者、パワーステアリング問題に関するGM関係者証言
  • MotorTrend「The Ringer: 1985 Honda Civic CRX Si」― 初代CRXとFieroの当時比較
  • Ate Up With Motor「Kill Your Darlings: The Birth and Death of the Pontiac Fiero」― Fiero計画成立と開発経緯
  • Gary Witzenburg『Fiero: Pontiac’s Potent Mid-Engine Sports Car』― 開発関係者証言・Fiero開発史

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