「PAネロ」と聞いて、初代いすゞ・ピアッツァのヤナセ版「ピアッツァ・ネロ」の後継か何かだと思っていた。
ところが調べると、これがまるで違う。PAネロは3代目ジェミニ系のクーペで、北米のGeo Stormともつながる世界戦略車の一族だった。しかも1991年には、1.6Lターボで180馬力、フルタイム4WD、5速MTというイルムシャー160Rまで投入されている。
問題は「180馬力もあった」ことより、なぜヤナセでこんな国産車を別名で売っていたのか、である。
「ピアッツァ・ネロ」と「PAネロ」は別のクルマ
まず名前を整理しておきたい。1981年に登場したピアッツァ・ネロは、ジウジアーロのピアッツァをヤナセが扱ったモデル。一方のPAネロは、その約9年後に登場した3代目ジェミニ系のクーペである。
ヤナセ社史によれば、PA-NEROの販売開始は1990年6月1日。翌1991年3月2日にはスポーツモデル「PA-NERO イルムシャー160R」を発売している。
ややこしいことに、いすゞ販売店で売られたジェミニ・クーペは1990年8月に追加された。少なくとも販売時期を比べると、「ジェミニ・クーペのヤナセ版」と簡単に片付けたくなるPAネロの方が先に市場へ出ている。

PAネロのカタログ写真を参考にしたAI生成イメージです。本文で扱う160Rそのものではなく、PAネロ系の基本的な外観を示すための参考画像です。
160Rは名前だけのスポーティ仕様ではなかった
トップモデルの「イルムシャー160R」は、型式E-JT191S。1,588ccの4XE1型DOHCターボから180PS/6,600rpm、21.2kgm/4,800rpmを発生し、フルタイム4WDと5速MTを組み合わせる。車重は1,190kg、新車時の車両本体価格は207万9,000円だった。
| PAネロ イルムシャー160R | 数値 |
|---|---|
| 排気量 | 1,588cc |
| 最高出力 | 180PS/6,600rpm |
| 最大トルク | 21.2kgm/4,800rpm |
| 駆動方式 | フルタイム4WD |
| 変速機 | 5速MT |
| 車両重量 | 1,190kg |
| 新車時価格 | 207万9,000円 |
そこで単純にパワーウェイトレシオを計算すると、
1,190kg ÷ 180PS = 約6.61kg/PS。
現在の感覚なら180馬力という数字だけで驚くことはない。しかし1991年の1.6L車、それも全長4.15mほどの小型クーペで、ターボ+4WD+5MTでこの数字である。見た目だけのスペシャルティカーではない。
ところがジェミニにも「ほぼ同じ160R」がいた
ここからPAネロはさらに妙になる。
同時期のジェミニ・クーペにも「イルムシャーR」があり、こちらも型式E-JT191S、4XE1型1.6Lターボ、180PS、21.2kgm、4WD、5MT、車重1,190kg。主要な数字がPAネロ160Rとほぼ同じなのである。
| PAネロ160R | ジェミニ・クーペ イルムシャーR | |
|---|---|---|
| 型式 | E-JT191S | E-JT191S |
| 最高出力 | 180PS | 180PS |
| 車重 | 1,190kg | 1,190kg |
| 駆動 | 4WD/5MT | 4WD/5MT |
| 価格 | 207.9万円 | 199.9万円 |
差額は8万円。PAネロは約4%高い。
つまり「ヤナセにしかない180馬力の秘密兵器」だったわけではない。同じいすゞの高性能パッケージを、いすゞ店ではジェミニ・クーペ、ヤナセではPAネロとして売っていたと見る方が近い。

AI生成による比較イメージです。左はPAネロ160R、右はジェミニ・クーペ イルムシャーRを参考にしていますが、灯火類・ホイール・バンパーなど細部は実車を完全再現したものではありません。
さらに北米では「Geo Storm」になる
この一族は国内だけを見ていると分かりにくい。北米ではGMのGeoブランドからGeo Stormとして販売された兄弟車が存在する。
GMが残している1991年型Stormの公式仕様書を見ると、車両メーカー欄にはしっかりISUZU MOTORS LIMITEDと記載されている。つまり「アメリカ車を日本に持ってきた」のではなく、日本のいすゞが世界向けに作ったクーペが、地域や販売網によって違う名前と顔を与えられていた、と考えた方が理解しやすい。
PAネロの妙なアメリカ臭さも、こうして見ると突然ではない。
「売れなかった珍車」で終わらせると少し違う
PAネロについては「総生産約3000台」とする記事も見かける。しかし今回確認できたメーカー・ヤナセの公式資料では、その数字を直接裏付けるところまではできなかったため、本稿では断定しない。
一方、終わり方についてははっきりしている。いすゞは公式に、1992年に乗用車の開発を中止し、1993年に自社製乗用車の生産を終了したとしている。ヤナセも、いすゞが乗用車の開発・生産中止を決めたことを受け、1993年に提携を解消したとしている。
だからPAネロを「人気がなかったので消えた」とだけ説明するのも乱暴だろう。PAネロ自身の商品力とは別に、いすゞの乗用車事業そのものが幕を下ろす時期と重なっていた。
PAネロ160Rの凄さは180馬力だけではない
180馬力という数字だけなら、旧車好きにはもっと派手なクルマがいくらでもある。
PAネロ160Rが面白いのは、いすゞが作った1.6Lターボ4WDの本気メカを、ジェミニとは別の顔、別の名前、別の販売網でヤナセまで売っていたことだ。
しかも北米へ目を向ければGeo Stormという別人格まで現れる。さらに同時期には2代目ピアッツァ/ピアッツァ・ネロまで存在した。車種体系を整理しようとすると、だんだん頭がおかしくなってくる。
しかし、この妙な重複こそ1990年前後のいすゞ乗用車の面白さなのかもしれない。合理化される直前だからこそ存在できた、妙に贅沢で、妙に複雑な小型スポーツクーペだった。
ちょっと分かりにくい用語
- DOHC
- 吸気側と排気側それぞれにカムシャフトを持つエンジン形式。当時は高性能エンジンを象徴する言葉のひとつだった。
- フルタイム4WD
- 通常走行時から4輪すべてを駆動に使う方式。必要な時だけ4WDへ切り替える方式とは異なる。
- パワーウェイトレシオ
- 車両重量を最高出力で割った数値。一般には数字が小さいほど、1馬力が負担する重量が少ない。
- イルムシャー
- ドイツのチューナー。いすゞは1980年代から同社の名前を冠したスポーティモデルを展開していた。
【編集者が思うこと】
俺も最初は「ピアッツァ・ネロの後に出た、もっとマイナーなネロ」くらいに考えていた。
でも調べていて一番引っかかったのは180馬力ではない。同じ型式、同じ180馬力、同じ1,190kgのジェミニ・クーペがあるのに、わざわざヤナセでもPAネロ160Rとして売っていたことだ。
今なら「車種整理します」で真っ先に消されそうな重複である。でも昔の日本車には、こういう「そこまでやる必要あった?」という枝葉が妙に多かった。そして何十年か経つと、その枝葉の方が面白い。
PAネロ160Rも、速さだけなら歴史に残るほどではない。でも1991年に1.6ターボ・180馬力・4WD・5MTの小型クーペを、ヤナセ専売車として用意していたという事実は、やっぱりちょっとおかしい。俺はこういうクルマの方が覚えておきたくなる。
