占い、風水、パワーストーン。科学技術がここまで発達した時代なのに、なぜか消えない。
天気は気象衛星で予測し、道順はGPSに聞き、分からないことはAIに質問する。それでも「今年の運勢」「金運が上がる方角」「運気を高める石」は、今でも立派な商品になっている。
もしかすると不思議なのは占いではなく、それを完全には捨てられない人間の方なのかもしれない。

「そんなの信じる人いるの?」と思ったら意外といる
占いやおみくじを信じる人は、決して珍しい存在ではない。国内調査では、占い・おみくじを「信じる」と答える人が3割程度存在する。
しかも、何でも占い師に決めてもらうような熱心な人だけではない。
「基本的には信じないけど、大吉ならちょっと嬉しい」「風水は怪しいと思うけど、玄関を掃除すると運気が上がるなら掃除しておく」。そんな半信半疑の利用者まで考えると、占い的なものと完全に無縁の人は案外少ない。

信じる人は頭が悪い……では説明できない
ありがちなのが、「占いなんて信じるのは騙されやすい人」という説明だ。しかし、それだけでは話が終わらない。
普段は合理的な人でも、受験、転職、恋愛、結婚、商売など、答えを事前に確認できない問題に直面すると事情が変わる。
努力すれば必ず成功すると分かっているなら占いはいらない。しかし現実には、努力しても落ちることがあり、慎重に選んでも失敗することがある。

つまり占いが入り込むのは、知識がない場所というより、自分では結果を完全にコントロールできない場所なのである。
科学を使いながら、水晶玉も気になる
ここが人間の面白いところだ。
台風の進路なら気象データを見る。電車の時間ならスマートフォンで調べる。ところが「この会社に転職したら幸せになれるか」となると、検索しても正解は出てこない。
最新技術が答えられる問題と、どうやっても答えられない問題。その境目に、昔から占いやおまじないが入り込んできたとも考えられる。

「当たった!」は覚える。「外れた」はどこへ行った?
占いが生き残る理由には、人間の記憶のクセも関係している。
「近いうちに思わぬ出会いがあります」と言われ、半年後に昔の友人と偶然再会すれば、「占いが当たった」と感じるかもしれない。
ところが、何も起きなかった占いの結果はどうだろう。半年後まで覚えている人は少ない。
当たった出来事は証拠として保存され、外れた出来事は静かに削除される。これを繰り返せば、本人の中では「結構当たる占い」が完成する。
さらに「人付き合いを大切にする一方、一人になりたいと感じることもある」といった、多くの人に当てはまる説明でも、自分の性格を言い当てられたように感じることがある。心理学で知られるバーナム効果だ。

パワーストーンはただの石でも、持つ意味は生まれる
では、パワーストーンやお守りにはまったく意味がないのだろうか。
ここは少しややこしい。
石そのものが金運や恋愛運を物理的に引き寄せるという話とは別に、「これを持っているから大丈夫」と思うことで本人が落ち着き、自信を持てることはある。
試験の日に家族から渡されたお守りも同じだ。神秘的な力が証明されていなくても、持っている本人にとって心理的な支えにはなり得る。

風水が当たった? それとも掃除したから?
風水には、さらに面白い問題がある。
「玄関をきれいにすると運気が上がる」と聞いて、玄関だけでなく部屋まで片付けたとする。その結果、生活が整い、人を家に呼ぶようになり、仕事まで少し前向きになった。
本人から見れば「風水を始めてから運が良くなった」。しかし実際には、風水をきっかけに本人の行動が変わった可能性もある。
だから「効果があった」という体験そのものを否定する必要はない。ただし、その原因まで超自然的な力だったと決めるのは別の話だ。
「俺は信じない」も、ひとつの強い信念?
そして最後に少しややこしいのが、信じない側である。
「占いなんか絶対に信じない」と強く思っている人もいる。しかし「絶対に何かある」と信じる人と、「絶対に何もない」と信じる人は、方向こそ逆でも、かなり強い立場を取っている点では似ている。

もちろん、科学的根拠の有無は別問題だ。それでも人間は、完全に無関心でいるより「信じる」「信じない」のどちらかに寄った方が気持ちいいのかもしれない。
占いが未来を当てるから残っているのではなく、未来を気にせずにはいられない人間がいる限り、占いもなくならない。
そう考えると、本当に面白い研究対象は、水晶玉の中身より、それを信じたり疑ったりする人間の頭の中なのかもしれない。
【編集者が思うこと】
女性の知人は占いを信じる人が多く、たまに話が噛み合わない。でも考えてみれば、「絶対そんなもの信じない」という俺の頑固さも、「絶対何かある」という彼女らの頑固さも、向きが逆なだけかもしれない。まあ、それでも石に金運を相談する気はないけど。
