なぜ林間学校ではカレーを作るのか? 全国で定番になった意外な理由

林間学校や子ども会のキャンプ。班ごとに薪を集め、火を起こし、飯盒で米を炊く。そして横の鍋では、ほぼ決まったようにカレーを作る。

なぜカレーなのか。焼きそばでも豚汁でもいいはずなのに、世代も地域も違う日本人が、なぜか山の中でジャガイモを切っている。

調べてみると、全国共通の「キャンプではカレーを作れ」という決まりがあったわけではない。むしろ、学校行事に必要な条件を突き詰めた結果、カレーが異常なほど都合のいい料理だったと考えた方が分かりやすい。

林間学校は昔からあったが、最初からカレーではない

日本の学校や青少年団体による野外活動そのものは古い。日本キャンプ協会の資料では、学校や自治体による林間学校的な行事は戦前から行われ、1918年に178か所だった林間学校・キャンプなどの夏季活動が、1923年には1,384か所まで増えている。

ただし、この時代から全国の子どもがカレーを煮込んでいたわけではない。

大きな変化は戦後だった。1953年には文部省が『キャンプ指導の手引き』を刊行し、1955年には教育キャンプ指導者の中央講習会も始まった。さらに1970年代には学校キャンプの指導者育成や野外教育施設の整備が進み、「学校教育としてキャンプをする」仕組みそのものが全国へ広がっていった

そこへ現れた、失敗しにくい固形カレールウ

ほぼ同じ時代に、家庭のカレーも劇的に簡単になっている。

エスビー食品は1954年に本格的な固形即席カレーを発売。ハウス食品も1960年に固形ルウの「印度カレー」、1963年には子どもでも食べやすい「バーモントカレー」を発売した。

つまり昭和30年代になると、カレーは「カレー粉や小麦粉から味を作る料理」ではなく、肉と野菜を煮てルウを入れれば、大量でもだいたいカレーになる料理へ変わった。

学校側から見ると、カレーは出来すぎた教材だった

カレーの強さは味よりも、作業を簡単に分けられることにある。

米を研ぐ人。野菜を洗う人。切る人。薪を集める人。火を見る人。鍋をかき回す人。

班員全員にそれらしい仕事を与えられる。多少ジャガイモの大きさがバラバラでも、玉ねぎが妙な形でも大事故にはなりにくい。大鍋ひとつで何人分も作れ、飯盒で炊いた米とも抜群に合わせやすい。

カレーはキャンプ料理というより、班活動を成立させるための教材だったのである。

これがハンバーグなら面倒だ。人数分を成形して焼かなければならない。天ぷらなら油が危ない。焼き魚では仕事を分担しづらい。カレーなら、とりあえず全部鍋へ入れて煮れば何とかなる。

でも、本当にそんなにうまかったか

ここで思い出を美化しないで考えてみたい。

煙が目に入り、米は底が焦げ、ジャガイモは妙に硬い。水の量を間違えてシャバシャバになり、慣れない包丁で切ったニンジンだけ巨大だったりする。

先生は「みんなで作って外で食べるとおいしいね」と言う。

確かに楽しい。しかし子どもの本音としては、「いや、お母さんが家で作ったカレーの方が普通にうまい」だったとしても何も不思議ではない。

うまいカレーを作ることが目的ではなかった

考えてみれば当然である。林間学校は料理教室ではない。

火がつかない。誰かが薪を取りに行く。米の水加減でもめる。切る係が遅れて煮込み時間が足りなくなる。それでも全員で夕飯まで持っていく。

味だけ評価すれば、自宅の台所で大人が作った方が圧勝する。しかしわざわざ不便な場所で、子どもだけで一食を完成させる過程に学校行事としての意味がある。

そう考えると、カレーが何十年も生き残った理由も見えてくる。

特別にキャンプ向きの味だからではない。安い、大量に作れる、失敗しにくい、仕事を分けられる、腹いっぱいになる。そして最後には全員が同じ鍋を食べる。

つまり林間学校のカレーとは、国民的キャンプ料理というより、日本の集団教育が発見した「ものすごく便利な共同作業」だったのかもしれない。

【編集者が思うこと】

カレー嫌いの子は少ないとはいえ、今はアレルギー対応もあって、昔みたいに「全員同じ鍋でOK」とはいかない。面倒は増えた。でも、薪で火を起こして、失敗した飯をみんなで食う。ああいう雑な共同作業って、今思うとかなり贅沢なコミュニケーションだった気がする。

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