AE86の次に登場したAE92レビンを見て、当時のクルマ好きが最初に引っかかったのは、やはりこれだろう。
「なんでFFにしちゃったんだ?」
AE86はFR。後輪を駆動し、軽い車体を振り回して走れる。現在では「ハチロク」という型式そのものがブランドになってしまったほどだ。
ところが1987年に登場したAE92では、レビン/トレノまでFFになった。
これだけを見ると、トヨタがAE86で築いたスポーツ性を捨て、効率優先のクルマにしてしまったように見える。
だが歴史を逆にたどると、少し事情が違う。
※掲載している挿絵はAI生成画像です。実車の特徴を参考にしていますが、車体形状・灯火類・細部デザインなどが実車と一部異なる場合があります。
実はAE86の時代、カローラはすでにFFだった
ここが一番面白い。
AE86が発売された1983年、5代目カローラ/スプリンターのセダン系は、すでにFRからFFへ移行していた。
つまり、当時のカローラ一族は単純にすべてFRだったわけではない。
カローラの主力モデルはFF、レビン/トレノなどスポーツ系はFR。
同じ車種系列なのに、駆動方式が違うという特殊な構成になっていたのである。
トヨタはファミリーカーとしての使いやすさを求めるセダン系をFFへ変更する一方、スポーツ性を重視するクーペ系にはFRを残した。
言い換えればAE86は、FF時代へ向かっていくカローラ一族の中で、スポーツモデルだけ一世代取り残されたFR車だった。
後世から見るとAE92のFF化が異例に見えるが、当時の流れから見れば、むしろAE86の方が例外だったのである。

なぜトヨタはカローラをFFにしたのか
理由は単なるコストダウンではない。
1980年代、世界の小型車ではFF化が急速に進んでいた。
エンジンを前に置き、前輪を駆動するFFは、小型車との相性が良かった。
FRではエンジンから後輪まで動力を送るため、プロペラシャフトが必要になる。そのため車体中央の床下にはセンタートンネルが通り、室内空間を圧迫する。
FFならエンジン、トランスミッション、駆動輪を車体前方にまとめられる。
結果として、同じボディサイズでも室内を広く取りやすい。
さらにプロペラシャフトなど後輪駆動用の部品を減らせるため、軽量化や燃費面でも有利になる。
大衆車として考えれば、かなり合理的な構造だった。
つまり1980年代の小型ファミリーカーでは、FRを守る理由よりも、FFへ移る理由の方が増えていたのである。

それでもAE86だけはFRで残された
それなら1983年の段階で、レビン/トレノまでFFにしてしまえばよかったはずだ。
ところがトヨタはそうしなかった。
当時はまだ、スポーツ走行を重視するならFRの方が有利という考え方が強かった。
そのためセダン系をFFにする一方で、レビン/トレノについてはFRを継続した。
同じカローラ系列なのに、FFとFRを同時に生産することになったわけで、メーカー側から見れば決して効率のいい方法ではない。
それでもスポーツモデルだけはFRとして残した。
ここから見えてくるのは、AE86が「FRカローラの正常進化」だったというより、FF時代へ移行する途中で、スポーツモデルだけFRを一世代延命したクルマだったということだ。
そして皮肉にも、その一世代が後に伝説になってしまった。
1987年、AE92でレビンもFFへ
1987年5月。
6代目カローラへのモデルチェンジと同時に、レビン/トレノもついにFF化された。
これがAE92である。
「AE86の後継なのだからFRで当然」と考えると大転換に見える。
しかしトヨタ側から見れば、ようやくレビンもカローラ本流のFFレイアウトへ統合されたと考えた方が自然だ。
しかもトヨタは、スポーツ性そのものを捨てたわけではない。
AE92には1.6リッターDOHCの4A-GEが引き続き搭載され、さらにスーパーチャージャー付き4A-GZEを積むGT-Zまで設定された。
GT-Zは登場時145PS、その後の改良では165PSまで強化された。
つまり発想が変わったのである。
「FRだからスポーツ」から、「FFでも速くて面白いクルマを作る」へ。
AE92は、その転換点にいた。

AE101――レビンが一番バブルっぽくなった時代
1991年、レビンはAE101へモデルチェンジする。
この頃になると、レビンの性格はAE86時代とはかなり違っていた。
ボディは大型化し、装備も豪華になり、軽量FRスポーツというよりスペシャリティクーペに近づいていく。
一方でエンジンは強烈だった。
4A-GEは20バルブ化され160PSを発生。スーパーチャージャー付き4A-GZEでは170PSに達した。
さらに上級モデルでは、セリカなどでも使われたスーパーストラットサスペンションまで用意された。
軽さで遊ぶAE86とは別物だが、これはこれで1990年代初頭の日本車らしい。
馬力も装備も足回りも、とにかく盛る。
AE101は、レビンが最もバブル時代らしくなったモデルだったとも言える。
AE111――最後にもう一度、軽さを取り戻した
1995年に登場したAE111では、方向性が少し変わる。
先代から多くの部品を引き継ぎながら、最大約70kgの軽量化が行われた。
スーパーチャージャー仕様は姿を消したものの、1.6リッター4A-GEは自然吸気で165PSを発生。
さらに高性能仕様にはスーパーストラットサスペンションやヘリカルLSDが用意された。
1997年のマイナーチェンジでは6速MTまで投入される。
高回転NA+軽量ボディ+6速MT+LSD。
FRではない。
しかしFFスポーツとして見れば、かなり本気の仕様だった。

レビンを殺したのはFFではなかった
2000年、AE111を最後にカローラレビンは姿を消した。
すると後年、「AE92でFFにしたからレビンは衰退した」という話が出てくる。
だが、これは少し単純すぎる。
1980年代には、若者が2ドアクーペを買う市場が存在していた。
ところが1990年代後半になると、その市場自体が急速に縮小していく。
セダン、ミニバン、RV、SUVなどへ人気が移り、スペシャリティクーペを選ぶ人間そのものが減った。
どれだけ4A-GEを高回転まで回しても、6速MTを搭載しても、クーペそのものを買う人が減ればどうにもならない。
つまりレビンを終わらせた最大の理由は、FF化というより「若者向け2ドアクーペ市場そのものの縮小」だった。
AE86→AE92は「改悪」だったのか?
クルマ好きの感情として、「FRのまま残してほしかった」という意見は当然ある。
実際、後世まで圧倒的な人気を残したのはAE92ではなくAE86だった。
しかしメーカー側から見れば、AE92のFF化はかなり合理的だった。
1983年にはカローラ本体がすでにFF化している。
世界の小型車もFFへ進んでいる。
室内を広くできる。
軽量化や燃費にも有利。
その状況で、レビンだけ永久にFRとして作り続ける理由は、どんどん薄くなっていた。
だからAE92は、単純に「トヨタがFRスポーツを捨てたクルマ」と見るよりも、別の見方をした方が面白い。
「最後までFRで粘ったレビンを、ようやく時代の本流へ戻したクルマ」だったのである。

そう考えると、AE86が異常なほど輝いて見える理由も分かってくる。
AE86は新時代の始まりではない。
FR大衆車時代の最後に残った、ものすごく出来のいい“はぐれ者”だった。
そして皮肉なことに、そのはぐれ者こそが、40年以上経った現在まで「ハチロク」と呼ばれ続ける伝説になったのである。
参考:トヨタ自動車75年史/カローラ50周年公式資料
【編集者が思うこと】
趣味として乗るなら、やっぱりガソリン、FR、マニュアルがいい。速さや効率だけなら今のクルマの方が上だろう。でも、クラッチを踏んでギアを選び、後輪で曲がっていく感覚まで含めてクルマ遊びなんだよね。便利になりすぎると、少しつまらない。
