人の成功を心から喜べる人なんている?――「おめでとう」の裏で始まる脳内順位計算

友人が昇進した。知人が結婚した。同年代の人が家を買った。友人の子供が難関校に合格した。

そこで口から出る言葉は、たいてい「おめでとう」である。もちろん、本当に嬉しい気持ちもある。

ところが、その直後に「それに比べて自分はどうなのか」という余計な計算まで始まることがある。

これは性格の悪さだけでは説明できない。人間には、他人と比較しながら自分の位置を確認する性質があるからだ。

知らない大富豪より、同期の昇進が気になる

世界的な大富豪が豪邸を買ったと聞いても、それほど腹は立たない。プロスポーツ選手が何十億円稼いでも、「すごい世界だ」で終わる。

ところが、同じ年齢の友人が8000万円の家を買ったとなれば話が違ってくる。

「そんなに稼いでいたのか」「ローンはいくらだ」「俺とは何が違った?」――急に現実味を帯びてくる。

心理学や脳科学の研究でも、嫉妬は単に「相手が優れているから」生じるのではなく、自分にとって重要で、比較しやすい相手ほど強くなりやすいことが示されている。

つまり人間は、遠くにいる成功者より、横を走っていたはずの人間に抜かれたときの方が順位を意識しやすい。

嫉妬は、壊れた感情ではなく順位センサーなのか

嫉妬という言葉には悪い印象がある。しかし、人間が集団の中で生きてきたことを考えれば、他人との比較そのものは不自然ではない。

誰が自分より能力を持っているのか。誰が高く評価されているのか。自分には何が足りないのか。

そうした情報を知ることは、自分の立ち位置を確認する材料になる。

問題は嫉妬を感じることではなく、その後に何をするかである。

研究では嫉妬を、相手に追いつこうとする「良性嫉妬」と、相手を引きずり下ろしたくなる「悪性嫉妬」に分けて考えることがある。

「あいつにできたなら、自分も頑張ろう」と動くことも嫉妬なら、「あいつ失敗しないかな」と願うのも嫉妬なのである。

前者は努力や高い目標につながる場合がある。つまり悔しさは、人間を動かす燃料にもなる。

「嬉しい」と「悔しい」は同時に存在できる

友人の成功を喜んだら嫉妬してはいけない、というものでもない。

「本当に良かったな」と思いながら、「でも少し羨ましい」と感じる。人間の感情は、それほど単純な一色ではない。

むしろ興味深いのは、嫉妬していた人物が失敗すると、少しだけ気分が良くなる現象まで確認されていることだ。いわゆる「シャーデンフロイデ」である。

祝福、比較、嫉妬、安心。人間は他人の人生を見ながら、自分の位置まで測っている。

他人の幸福まで使える人は、少し得をしている

一方で、本当に他人の成功を自分のことのように喜べる人もいる。他人の良い出来事を共有して、自分にも喜びが生じる心理反応は実際に研究対象になっている。

よく「幸せホルモンが出る」と表現されるが、これは少々雑である。特定のホルモンが必ず増えると単純に言える話ではない。ただし、他者に関係する喜びや社会的な報酬に、脳の報酬処理の仕組みが関与することは知られている。

ここから考えると、他人の成功を喜べる人は、単に人格者なのではないのかもしれない。

自分が昇進したときだけ嬉しい人より、友人の昇進でも嬉しい人。自分の子供の成功だけでなく、友人や仲間の成功まで嬉しい人。

自分以外に起きた幸福まで、自分の喜びとして受け取れる。

反対に、他人の成功を毎回「自分が負けた証拠」に変換してしまえば、周囲に良いことが起きるほど自分が苦しくなる。

「おめでとう」の裏側にいる、かなり人間らしい自分

人の成功を見て一瞬比較してしまったからといって、それだけで性格が悪いとは言えない。

比較してしまう。羨ましくなる。少し悔しくなる。そして、ときには「俺もやってみるか」と動き出す。

おそらくそこまで含めて人間なのである。

人の成功を心から喜べる人は存在する。ただ、その人の頭の中から比較という機能が完全に消えているとは限らない。

喜びながら比較する。嫉妬しながら応援する。

そんな少々面倒な感情を同時に抱えられるところが、人間のサガなのかもしれない。

【編集者が思うこと】

自分が目指していないポストなら、他人の出世も素直に「よかったね」と思える。でも、その玉突きで自分が地方転勤となれば話は別だ。人の成功を喜べるかどうかって、結局はその成功が自分の生活にどこまで食い込んでくるかで変わる気がする。聖人ぶるより、そのくらいが普通じゃないか。

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