俺は若い頃、警察官になりたかった。
理由は単純だ。正義感が強かったからだ。
悪い奴を捕まえる。困っている人を助ける。社会の役に立つ。
ところが採用試験には合格できず、結局あきらめた。
その後、元刑事と知り合い、警察官を目指していた話をしたところ、意外なことを言われた。
「正義感が強いと、警察は辛いよ」
当時は不思議だった。
警察こそ、正義感の強い人間が入るところじゃないのか。
しかし話を聞くうちに、意味が分かってきた。
警察官は「自分が正しいと思ったこと」をする仕事ではない。
法律、証拠、手続き、上司、組織の方針の中で動く仕事なのだ。
目の前にどう見ても怪しい男がいる。

刑事の経験から「こいつが犯人だ」と思う。
それでも証拠がなければ捕まえられない。
逆に「そこまでやる必要があるのか」と感じる案件でも、法律上必要なら処理しなければならない。
正義感だけで突っ走ることなど許されない。
さらに厄介なのが、警察も巨大な役所だということだ。
刑事ドラマでは、一匹狼の刑事が上司に逆らいながら事件を解決する。
現実に毎回そんなことをしていたら、たぶん組織では生きていけない。
警察には階級がある。
上司がいる。
担当部署がある。
捜査方針がある。
新人が「俺はこう思います!」と言ったところで、組織全体が動いてくれるわけではない。
<p>そして警察官にも評価がある。
事件処理、検挙、交通取締り、職務質問など、仕事をしている以上は活動実績を見られる。
若者が思い描く、

「悪い奴を一人でも多く捕まえたい」
という世界だけではない。
書類を書き、報告し、上司に説明し、組織として結果を残す。
何だ、普通の会社と同じじゃないか。

いや、人の自由や人生を左右する権限を持っている分、もっと重い。
そして最も正義感を試されるのは、悪人を相手にした時ではない。
身内がおかしなことをした時だ。
警察官も人間なのだから、不祥事は起きる。
そこで相手が昨日まで一緒に飯を食っていた同僚だったらどうする。
世話になった先輩だったら。
かわいがってくれた上司だったら。
「間違っているものは間違っている」
と突っぱねられるだろうか。
内部通報という制度があるのも、こうした問題が現実の組織に存在するからだ。
もちろん、警察内部が不正だらけだなどという話ではない。
しかし、正義を守る組織の中にも、人間社会特有の義理、人情、上下関係、出世、保身は存在する。

ここを「警察だから特別」と思って入った若者ほどショックを受ける。
さらに毎日のように、人間の嫌な部分を見る。
DV、虐待、詐欺、性犯罪、酔っぱらい、自殺、孤独死、家庭崩壊。
助けたくても助けられない人もいる。
被害者本人から「もういいです」と言われることもある。
一つの事件に人生をかけたくても、次の110番は待ってくれない。
正義感の強い人ほど、
「俺は何のために警察官になったんだ」
と思う瞬間が増えていくのかもしれない。
だから元刑事は言ったのだろう。
「正義感が強いと警察は辛いよ」
正義感が不要という意味ではない。
むしろ警察官には必要だ。
ただし必要なのは、漫画のヒーローのような正義ではない。
納得できないことがあっても法に従う。
全員を救えないことを受け入れる。
組織の中で折り合いをつけながら、それでも最後の一線だけは越えない。
そんな汚れた現実を知った上で残せる正義感なのだろう。
俺は警察官になれなかった。
当時は悔しかった。
だが今となっては思う。
試験に落ちたのではなく、別の人生へ振り分けられたのかもしれない。
もし若い頃の俺が、理想と正義だけを抱えて警察社会へ入っていたら――。
犯罪者より先に、組織という現実と喧嘩していた可能性が高い。
【管理者が思うこと】
若い頃は、正義感が強ければ警察官に向いていると思っていた。でも今は、むしろ逆なのかもしれないと思う。悪い奴を捕まえるだけなら話は簡単だ。
しかし実際に相手にするのは犯罪者だけではなく、法律、証拠、階級、上司、組織の都合、時には身内の論理まである。俺は昔から、間違っていると思うことに「組織だから仕方ない」と黙って従うのが苦手だ。
もし警察官になっていたら、犯人より先に上司や組織と喧嘩していただろう。そう考えると、採用試験に落ちたことも、今となっては悪い結果ではなかったと思える。正義感があることと、正義を仕事にできることは、どうやら別の話のようだね。