国会議員、県議、市議。
地域の会合へ行けば「○○先生」、選挙になれば「先生、お願いします」、議員本人が登場すると周囲が妙に丁寧になる。
でも、ふと思う。
そもそも議員は、なぜ「先生」なのだろう。
学校の先生でもない。医者でもない。法律上「先生」という資格を取ったわけでもない。
しかも制度を調べてみると、議員は私たち国民の上に立つ身分ではない。国民や住民から選ばれ、議会を構成する代表者である。
では、あの独特の「先生感」はどこから来るのか。
そもそも「先生」は議員の正式な肩書きではない
まず、一番基本的なところから。
国会議員、県議会議員、市議会議員を「先生」と呼ばなければならない法律はない。
「先生」は役職名ではなく、政治家に対して昔から使われてきた慣習的な敬称である。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースでも、辞書類では「先生」を教員や医師だけでなく、政治家や議員などを敬って呼ぶ語として紹介している。
つまり「先生」と呼ばれているから偉いのではない。
偉そうに聞こえる敬称を、長年使い続けてきた。
順番としては、こちらなのである。

面白いことに、衆議院公式サイトでは「先生」ではなく「君」
さらに面白い。
衆議院の公式ホームページで議員一覧を見ると、氏名には「○○君」と表示されている。
衆議院規則も、議員同士について「互いに敬称を用いなければならない」としているが、「先生と呼べ」とは書いていない。
国会の公式な世界ですら、全員が「先生」でなければならないわけではないのである。
それなのに街へ出ると、
「先生、こちらへどうぞ」
「先生がお見えになりました」
「先生、一言お願いします」
急に先生だらけになる。
政治制度というより、日本社会の接待文化に近い部分があるのではないか。
憲法を読むと「偉い人」より「国民の代表」に近い
日本国憲法43条は、衆議院と参議院について、全国民を代表する選挙された議員によって組織すると定めている。
つまり国会議員の基本的な立場は、国民より上の階級ではない。
国民から選ばれて国政を行う代表者だ。
さらに憲法15条は、公務員について「全体の奉仕者」であるとしている。
人事院も、この憲法上の「公務員」という概念には、一般的な役所職員だけではなく、国会議員、大臣、裁判官、地方公共団体の長や議員なども含まれると説明している。
ここを普通の会社で考えると、少し妙な話になる。
選んだ側が、選ばれた側を「先生、先生」と持ち上げている。
店のオーナーが、雇った店長に「先生、本日はありがとうございます」と頭を下げ続けているような妙な構図にも見えてくる。
もちろん議員は単なる雇われ店長ではないし、選挙で信任された公職である。
しかし少なくとも、「選挙に勝った瞬間、有権者より身分が上になる」という制度ではない。
「国会は国権の最高機関」=議員一人一人が最高権力者、ではない
ここは勘違いしやすい。
憲法41条には、国会は「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」であると書かれている。
だから国会議員はものすごい権力者なのでは?と思うかもしれない。
しかし、強い権限を持っているのは国会という機関である。
国会議員一人が、
「この法律を変える」
「この予算を付ける」
「この事業を今すぐ始める」
と言ったところで、それだけで決まるわけではない。
議員には質問、発言、表決、政策提案など重要な役割があるが、国会として何かを決定するには議会の手続と多数の意思が必要になる。

しかも憲法65条には、はっきりと、
「行政権は、内閣に属する」
とある。
ここが重要だ。
国会議員だから役所を自由に指揮できるわけではない。
国会議員が大臣も務めている場合は話が変わるが、その行政上の権限は「国会議員だから」ではなく、内閣総理大臣や国務大臣という別の立場から生じている。
地方議員も「役所の上司」ではない
県議や市議になると、この違いはさらに分かりやすい。
地方議会は、条例、予算、決算など自治体の重要事項を審議・議決し、行政を調査・監視する。
非常に重要な仕事である。
しかし、議会と行政の執行機関は役割が違う。
たとえば市議会議員が市役所の職員に、
「あの道路を明日直せ」
と言ったからといって、その一言が行政上の正式な命令になるわけではない。
県議が、
「ここに県立施設を造ろう」
と言っただけで建設が決定するわけでもない。
議員は要望を聞く。行政へ問い合わせる。議会で質問する。政策を提案する。予算や条例に一票を投じる。
そして、それらを積み重ねて政策を動かしていく。
「役所を直接命令して動かす人」と「議会活動を通じて行政を動かす人」は、似ているようでかなり違う。
2023年、地方自治法には「住民の負託」が明記された
この話をするうえで面白い法律改正がある。
2023年に成立した地方自治法の改正では、地方議会の役割と地方議員の職務が改めて明文化された。
現在の地方自治法89条では、地方議会は住民が選挙した議員で構成され、自治体の重要な意思決定を議決し、検査や調査などの権限を行使するとされている。
さらに議員について、
住民の負託を受け、誠実に職務を行わなければならない
という趣旨が明記された。
ここには「住民から尊敬されなければならない」とも、「先生と呼ばれなければならない」とも書いていない。
書いてあるのは住民の負託である。
私は、議員を見るときはこの言葉の方がずっと重要だと思う。

「議員に頼めば何とかなる」は全部ウソでもない
では、「議員に相談すると役所が動く」という話は全部幻想なのか。
そこまで単純でもない。
議員は日常的に行政と接触し、制度や担当部署を知り、議会質問や委員会などを通して問題を取り上げることができる。
一般住民が役所の窓口へ一度相談して終わってしまう案件でも、議員が問題として継続的に取り上げれば、行政側が詳しく調査することもある。
また、多数の議員や会派を動かせる人物なら、政策への影響力は当然大きくなる。
つまり、
「法的に命令できる力」と「政治的に動かす力」は別物なのである。
ベテラン議員、党幹部、委員長、有力会派の中心人物、地域で強い支持基盤を持つ議員なら、肩書き以上の政治的影響力を持つこともある。
逆に、同じ「議員」でも当選したばかりの一人と、多数の議員をまとめられる人物では実際の影響力がまるで違う。
だから「議員だから偉い」も乱暴だし、「一票しかないから何の力もない」も乱暴なのだ。
議員自身も「先生と呼ばないで」と思っている?
面白いことに、政治家本人が全員「先生」と呼ばれたがっているわけでもない。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースが紹介している神戸新聞の2023年調査では、兵庫県内の地方議員へのアンケートで「先生と呼ばないで」という趣旨の回答が半数を超えたという。
考えてみれば当然かもしれない。
「先生」という一言には、敬意だけでなく、
偉い人。
逆らいにくい人。
何か特別な力を持っている人。
そんな空気までくっついてくる。
本人にそのつもりがなくても、周囲が「先生、先生」とやっているうちに、政治家と有権者の距離まで必要以上に広がってしまう。
一番怖いのは「肩書きが権力を作ってしまう」こと
元の記事では、「一番強い能力は先生に見える能力なのか」と書いた。
調べ直した今も、この感覚はあまり変わらない。
議員バッジ。
来賓席。
秘書。
選挙カー。
壇上での紹介。
そして「○○先生」という呼び方。
これらが全部そろうと、人間は制度上の権限以上に、その人物を「偉い人」と感じてしまう。

しかし民主主義で本当に見るべきなのは、偉そうに見えるかどうかではない。
その人が一票と発言権を使って、何を提案し、何に賛成し、何に反対し、何を実現したのか。
こっちだろう。
結論――議員は「偉い人」ではなく「重い仕事を任された人」
ここまで調べると、「議員なんて大した権力はない」で終わらせるのも違うことが分かった。
国会議員にも地方議員にも重要な権限と責任がある。
法律を作る。条例を決める。予算を審議する。行政を監視する。住民や国民の声を政治へ持っていく。
これは軽い仕事ではない。
しかし、それと「国民より偉い」はまったく別の話だ。
議員は、偉い人というより、大きな仕事を一時的に任された人。
そう考えた方が民主主義の仕組みには近い。
「先生」と呼ばれている人を見たら、肩書きに圧倒される前に一度こう考えてみる。
「この先生、実際には何をした人なんだ?」
たぶん政治家を見る目は、その方が少しだけまともになる。
【編集者が思うこと】
私は昔から、議員を何でもかんでも「先生」と呼ぶ文化が妙に気になっていた。県議でも市議でも、当選した途端に周囲が「先生」。昨日まで普通のおっちゃんだった人まで、翌日から先生だ。
でも今回調べてみて、「議員は大したことない」という話でもないことが分かった。権限も責任も重い。ただし、それは身分が上になったという意味ではない。
だから私は「先生」より、何を提案した、何に投票した、何を変えた、で見たい。
先生と呼ばれて偉くなるのではない。仕事をして初めて、先生と呼びたくなる人になる。
参考資料
- 衆議院「日本国憲法」
- 衆議院「国会議員の地位」
- 衆議院「衆議院規則」
- 衆議院「議員一覧」
- e-Gov法令検索「地方自治法」
- 人事院「令和6年度 年次報告書・公務員の種類と数」
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「なぜ地方議員を先生と呼ぶのか」
