「先生」と呼ばれるほど偉いのか?参議院・県議・市議の“実際の力”を辛口分析

「先生」と呼ばれるほど偉いのか?参議院・県議・市議の“実際の力”を辛口分析

国会議員、県議、市議。街を歩けば周囲から「先生」と呼ばれ、選挙になれば大物政治家のような顔で演説する。
しかし、肩書きを取り払って制度だけを見ると、一人の議員が持っている実際の力は、世間が想像するほど大きくない。

「先生」と呼ばれるほど偉いのか?――参議院議員・地方議員の“実際の力”を辛口分析

特に、党内で重要な役職もなく、委員会でも中心人物ではなく、当選回数も少ない議員となれば、「先生」と呼ばれている割には、できることはかなり限られている。
「先生」と呼ばれるほど偉いのか?参議院・県議・市議の“実際の力”を辛口分析

「先生」と呼ばれた瞬間、偉くなった気になる不思議

議員という肩書きには、独特の空気がある。

秘書を従え、会合では前列に座り、地元では丁寧に頭を下げられる。そうした場面が続くうちに、本人も周囲も、いつの間にか「かなりの権力者」であるかのように感じ始める。
だが実際には、議員バッジを付けた瞬間に、何でも決められる特権階級になるわけではない。

この「見た目の威圧感」と「制度上の権限」のズレこそが、議員という存在を必要以上に大きく見せている最大の理由である。

参議院議員でも、一人で国を動かせるわけではない

参議院は、法律、予算、条約などを審議し、行政監視を行う重要な機関である。

しかし、それは「参議院」という組織に力があるのであって、無名の参議院議員一人ひとりが、巨大な権力を握っているという話ではない。

法律を変えたいと言ったから変わるわけではない。大臣に迫ったから政府が従うわけでもない。実際には、多数の賛成、党内調整、委員会での審議、政府との折衝など、多くの段取りが必要になる。
つまり、一議員がテレビやSNSで勇ましいことを言っていても、それだけで国政を直接動かせるわけではない。

本当に政治を動かしているのは、大臣、党幹部、委員長、政策責任者、多数派をまとめられるベテラン議員などである。

「参議院議員」という名刺だけで、国を自由自在に動かせるわけではない。
「先生」と呼ばれるほど偉いのか?参議院・県議・市議の“実際の力”を辛口分析

県議・市議になると、さらに“先生感”と実権が離れてくる

地方議員になると、この落差はさらに分かりやすい。

県議会議員や市議会議員は、条例や予算を審議・議決し、行政を監視する立場であって、自分自身が役所を直接動かす執行者ではない。
市議が「この道路を直せ」と言っても、その一言で工事が始まるわけではない。県議が「ここに施設を造れ」と言っても、本人の一存で建設計画が決まるわけでもない。

それでも地元では、「○○先生がお見えになりました」と持ち上げられ、本人も腕を組んで偉そうに写真へ納まる。

だが、会社にたとえるなら、経営者でも社長でもなく、会議で一票を持っている人に近い。
もちろん、その一票が集まれば意味はある。だが、一票を持っていることと、自分一人に巨大な権力があることは、まったく別の話である。

「議員に頼めば何とかなる」という昭和型幻想

今でも「困ったら議員に相談すれば何とかしてくれる」という感覚は根強い。

確かに、議員は役所への問い合わせ、住民要望の伝達、議会質問などができる。一般市民より行政との接点が多いため、地域の細かな案件では、それなりに役に立つこともある。
しかし、それをもって「俺には役所を動かす力がある」と勘違いすると、話はおかしくなる。

実態は、命令できる人ではなく、かなりの部分が「話を持っていける人」「質問できる人」「投票できる人」なのである。
「先生」と呼ばれるほど偉いのか?参議院・県議・市議の“実際の力”を辛口分析

一番強い能力は「先生に見える能力」なのか

無役の参議院議員、県議、市議などを冷静に評価すると、肩書きほど万能ではない。

議員バッジを付け、秘書を連れ、選挙カーから名前を連呼し、地域行事では来賓席に座る。その姿だけ見れば大権力者に見える。
しかし制度を一枚ずつ剥がしていけば、残るのは「議会を構成する一人」である。

もちろん、議会という仕組み自体は必要である。行政監視も、議案審議も、民主主義には欠かせない。

問題なのは、議員本人や周囲が、その肩書きを実際以上の権力として演出してしまうことだ。
「先生、先生」と持ち上げられている地方議員を見たら、一度こう考えてみるといい。
「で、この人、一人では実際に何を決められるんだ?」

そこまで見れば、政治家の見え方はかなり変わってくる。
「先生」と呼ばれるほど偉いのか?参議院・県議・市議の“実際の力”を辛口分析

まとめ

参議院議員以下の多くの議員は、世間が思うほど万能ではない。

特に、党内で役職もなく、行政を直接動かす権限もない議員は、見た目ほどの実力者ではないのが現実である。

一票を持つ議会の構成員であることは事実だが、一人で行政や政策を決められる存在ではない。

肩書きに惑わされず、制度の中でその人が何を本当に動かせるのかを見れば、「先生」という呼び名の大きさと、中身の小ささに気付くはずである。

【編集者が思うこと】

参議院議員くらいなら、俺の中では「国を動かす大先生」じゃない。繁華街の呼び込みに「センセイ、センセイ」とカタカナで持ち上げられて、ちょっと気分よくなるくらいの存在。肩書きより、実際に何を動かせるかで見たいね。

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