1960年、ダイハツ・ミゼットの年間登録台数は約8万6,000台。昭和の商店街を走り回った、軽三輪トラックの大ヒット作である。
ところが、その同じ年の11月、ダイハツは初の軽四輪商用車「ハイゼット」を発売している。自社の三輪車が飛ぶように売れている最中に、四輪トラックまで送り出したのだ。
さらに調べると、妙な数字が見つかった。
1964年型ミゼットMP5と、同年登場の2代目ハイゼットは、全幅がどちらも1,295mm。三輪なのに、四輪より細いわけではなかった。
しかも、ミゼットは1971年12月に生産を終了する。わずか十数年前まで軽三輪旋風を巻き起こしていた人気車に、何が起きたのか。四輪に負けたのか、それとも商売の現場が変わったのか。
ミゼットが絶好調だった1960年、ダイハツは四輪を発売した
1957年発売のミゼットは、オートバイでは運べない荷物を、小回りの利く安価な車両で運ぶために生まれた。ダイハツ自身も「小回りが利いて、取り扱いに便利、かつ経済的」という開発思想を説明している。
しかし、1960年11月に登場した初代ハイゼットは、ミゼットからさらに上級の使い勝手を求める客層も狙っていた。
356ccの空冷2ストローク2気筒エンジンを搭載し、最高出力17PS。前輪は独立懸架、変速機にはシンクロ機構も備えた。ダイハツ初の軽四輪車らしく、当時の乗用車に近い機構まで取り入れていた。
ミゼットMP系列の305cc・12PSと比べれば、出力は約41.7%増。単なる車輪1個の追加ではない。
ただし、最初のハイゼットはボンネット型だった。専門誌掲載値では荷台長1,075mm。同じ資料にある短いミゼットの荷台長1,160mmより、むしろ85mm短い。
四輪になったから、すぐに荷台が広くなったわけでもなかった。 初代ハイゼットが重視したのは、居住性や乗用車に近い使い勝手という、別の付加価値だったのである。
価格差7万円。三輪にはまだ勝ち目があった
では、ハイゼットが優れていたなら、商店はすぐ四輪へ乗り換えたのだろうか。そう単純でもない。
『モーターファン』系の専門資料によると、1961年ごろの価格はミゼットが約23万円、ハイゼットが約30万円だった。
30万円-23万円=約7万円差
7万円÷23万円×100=約30.4%
四輪を選ぶには、三輪より約3割多い購入予算が必要だった計算になる。価格は代表的な概算値であり、全グレードの同条件比較ではない。
今なら小さく見える車でも、当時の商店にとって自動車は大きな設備投資だった。近所への配達が中心で、荷物もミゼットに収まるなら、あえて高い四輪を買う理由は薄い。
つまり、ミゼットは四輪が登場した瞬間に価値を失ったわけではない。安さと小回りが役立つ仕事には、引き続き意味があった。
1964年、三輪と四輪の幅が同じになっていた
ところが1964年、状況はもう一段変わる。
ダイハツは4月に2代目ハイゼットを発売。エンジンを座席下へ移したキャブオーバー型で、同じ軽規格の中でも荷室を有効に使える構造になった。
ここで1964年型ミゼットMP5と、2代目ハイゼットの代表諸元を並べてみた。
| 項目 | ミゼットMP5 | 2代目ハイゼット |
|---|---|---|
| 車輪数 | 3輪 | 4輪 |
| 全長 | 2,970mm | 2,990mm |
| 全幅 | 1,295mm | 1,295mm |
| 排気量 | 305cc | 356cc |
| 最高出力 | 12PS | 17PS |
| 乗車定員 | 2人 | 2人 |
※MP5は『Nostalgic Hero』掲載の1964年式車両、ハイゼットはダイハツ公式60周年史の2代目代表諸元を使用。仕様の代表値を比較しており、全車両・全グレードの一致を意味しない。
全長差は20mm、全幅差はゼロ。しかも、四輪のハイゼットの方が最高出力は5PS大きい。
三輪であることが「車体寸法の小ささ」に直結する時代では、もはやなくなっていた。
もちろん、全幅が同じだから最小回転半径まで同じとは限らない。実際、1964年型MP5の専門誌掲載値は2.7mで、小回りという持ち味は残っていた。
しかし、同じ幅の中に四輪を収め、荷室やキャビンの設計を工夫できるようになれば、三輪を選ぶ理由は以前より厳しく問われる。

1964年ごろのダイハツ・ミゼットMP5と2代目ハイゼットを基にしたAI生成イメージ。実際の展示風景ではなく、車両の細部には一部創作を含みます。
三輪の弱点は、四輪ならすべて解決できたのか
三輪車の接地点は三角形、四輪車は通常四角形になる。旋回中の横方向の力に対する安定性には、この接地点の配置や重心の高さが関係する。
荷物を高く積む、急な操作をする、路面が傾いている。こうした条件では、車両の構造や積み方が転倒のしやすさに影響する。
ただし、三輪なら必ず危険、四輪なら絶対安全という話ではない。実際の比較には重心位置、輪距、速度、積載状態、ブレーキ性能などの条件を揃えた試験が必要だ。
ミゼットの方にも、小回り、比較的安い購入価格、単純な機構という強みは残っていた。
問題は、四輪の側がそれらの長所に近づきながら、居住性や用途の広さでも商品力を高めていったことだろう。
初代ハイゼットのボンネット型から、1964年のキャブオーバー型への変化は、その典型だった。
1973年の車検制度が、ミゼットを消したわけではない
もう一つ確認しておきたいのが、軽自動車の車検制度との関係だ。
軽自動車検査協会と日本自動車工業会の資料によれば、軽自動車は1952年に検査対象から外され、その後、1972年の法改正を経て1973年10月1日に検査業務が始まった。
一方、旧車専門資料では、ミゼットは1971年12月に生産を終了し、1972年にも少数の販売記録が残っている。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1960年 | 軽三輪生産が約19万台に達する。11月、初代ハイゼット発売 |
| 1964年4月 | 2代目ハイゼット・キャブオーバー型発売 |
| 1969年 | マツダK360生産終了。ミゼットMP5は後期改良型へ |
| 1971年9月 | 4代目ハイゼット・トラック発売 |
| 1971年12月 | ミゼット生産終了とする専門資料の記録 |
| 1972年 | ミゼットの少数の販売記録。軽自動車の検査制度に関する法改正 |
| 1973年10月 | 軽自動車検査協会が検査業務を開始 |
ミゼットの生産終了は、軽自動車への車検再導入より前だった。
したがって「車検が始まったからミゼットが消えた」という説明は時系列が合わない。
もちろん、当時の安全基準や制度の変化が将来の商品開発に影響した可能性はある。しかし、それをミゼット生産終了の直接原因とする当時の社内判断資料は確認できなかった。
ミゼットは敗者だったのか。それとも役目を終えたのか
1957年のミゼットは、オートバイの次に買う、手頃な運搬車として成功した。ところが1960年代には、同じダイハツがハイゼットで四輪商用車の選択肢を広げ、1964年には荷室を大きく取れるキャブオーバー型まで投入している。
旧車専門資料によれば、マツダK360は1969年、ミゼットは1971年12月に生産終了。軽三輪が担った小口配送の仕事そのものが消えたわけではない。
むしろ、その仕事を四輪の軽トラックが引き継いでいった。ダイハツ自身も、ハイゼットをミゼットから続く小型商用車の系譜として紹介している。
ミゼットは単純に性能不足で負けたというより、自分が切り開いた市場の要求が、次の段階へ進んでいった車だった。
安さ、小回り、300kgを運べることが画期的だった時代から、二人で快適に乗れ、さまざまな仕事に使える軽四輪の時代へ。三輪の良さが消えたのではなく、それだけでは選ばれにくくなったのである。

1971年ごろの小口配送の変化を表現したAI生成イメージ。実在の商店街や当時の出来事を再現したものではなく、車両の細部にも創作を含む。
【編集者が思うこと】
俺は最初、ミゼットが消えた理由は単純だと思っていた。三輪より四輪の方が安定しているし、ハイゼットも登場した。だから三輪はお役御免、と。
でも調べると、初代ハイゼットの荷台はミゼットより短いし、価格も約3割高かった。それでも四輪を買う人がいた。そこが面白い。
しかも1964年には、三輪と四輪の全幅がまったく同じ。これにはちょっと驚いた。小さいから三輪、という思い込みも、数字を見れば怪しくなってくる。
ミゼットは安くて小回りが利く、十分に合理的な商売道具だった。ただ、商売が大きくなれば、車に求めるものも変わる。積荷だけでなく、運転する人間の快適さや、使い道の広さまで欲しくなる。
そう考えると、ミゼットが売れなくなった話というより、ミゼットを必要としていた日本が豊かになっていった話なのかもしれない。
1957年に「こんなオモチャ売れるんか?」と言われた小さな三輪車が、最後は四輪の時代を開くきっかけの一つになった。なんとも皮肉で、実に昭和らしい話だ。
ちょっと分かりにくい用語
- キャブオーバー
- 運転席を前輪付近またはその上方に配置し、車体全長に対して荷室や室内を大きく確保する車体構造。ボンネット型と比べて、同じ全長でも荷台を長く取りやすい。
ダイハツミゼット 4部作
大村崑のCMより前に売れ始めた営業現場、DK・DS・MP型の進化、ライバル軽三輪との競争、そして軽四輪への世代交代まで。初代ダイハツ・ミゼットの歩みを4つの視点から検証します。
- 第1回: 大村崑のCMより前に注文殺到!?――ダイハツ・ミゼットを売った「牛肉店20店舗」の知られざる話
- 第2回: 8馬力から12馬力へ、最後は軽規格ギリギリ!?――ミゼットDK・DS・MP型の知られざる進化
- 第3回: 大村崑のCMより前に売れていた!? ミゼット旋風の真相と、マツダK360の猛追
- 完結編: 年間8万6,000台の人気車はなぜ消えた?――ミゼットとハイゼット、全幅1,295mmの逆転劇
参考資料
- ダイハツ工業「ハイゼット60周年」:ミゼットからハイゼットへの系譜、1960年初代・1964年2代目の発売、代表諸元、車体構造の変更。
- ダイハツ工業「軽商用車『ハイゼット』シリーズ、初代発売から60年」(2020年11月2日):歴代ハイゼットの開発思想と四輪商用車の発展。
- ダイハツ工業「DAIHATSU 111th HISTORY」vol.3:ミゼットの開発思想と1960年の登録台数。
- Motor-Fan「ダイハツ・ハイゼット(1960)今とはまったく違う、ボンネットタイプのコンパクトギア」:初代ハイゼットの価格、機構、荷台寸法とミゼットとの比較。
- Nostalgic Hero「1964年式 ダイハツ ミゼット MP5 Vol.2」:MP5の全長・全幅・出力・最小回転半径などの諸元。
- 名車文化研究所「ミゼット」:1969年以降の改良、K360の生産終了、1971年12月のミゼット生産終了と1972年の販売記録。
- 軽自動車検査協会「軽自動車の歴史」:軽三輪生産のピーク、軽四輪への移行、1972年法改正、1973年の検査業務開始。
- 日本自動車工業会『JAMAGAZINE』2014年10月号「車検制度の歴史と自動車検査の意義・役割」:1952年の軽自動車検査対象除外と1973年の再導入。
