8馬力から12馬力へ、最後は軽規格ギリギリ!?――ミゼットDK・DS・MP型の知られざる進化

8馬力から12馬力へ、最後は軽規格ギリギリ!?――ミゼットDK・DS・MP型の知られざる進化

1957年に登場したダイハツ・ミゼットDKA型は、249cc・8馬力、バーハンドルの一人乗り。ドアもない、小さな働き者だった。

ところが、最後のMP5型では305cc・12馬力、丸ハンドルの二人乗り。車体も立派になり、軽三輪トラックというより「後輪がもう1個あれば普通の軽トラ」といった姿になっている。

気になったのは、その進化の中身だ。

最高出力は8馬力から12馬力へ50%増。しかし最大積載量は300kgから350kgへ16.7%増にとどまる。しかも最終型の全幅は、当時の軽自動車規格の上限まで残り5mmしかなかった。

小さいことが売りだったミゼットは、約15年間で何を手に入れ、何を失ったのか。DK・DS・MP型の変遷を追ってみた。

最初は「屋根付きオートバイ」に近かった

初代DKA型の最大の特徴は、オートバイ式のバーハンドルと一人乗りの座席だ。249ccの空冷2ストローク単気筒エンジンで後輪を駆動し、最大300kgの荷物を積む。ドアなし、前輪1個、後輪2個という割り切った設計だった。

発売初期の出力は8PS。その後は改良され、トヨタGAZOOや自動車技術会のDKA資料には10PSの仕様も記録されている。つまり「DKA型=すべて8馬力」ではない。

さらに興味深いのが、1959年ごろのDS系列だ。サイドドア付きのDSA、箱型荷室を持つDSV、荷台を短くして二人乗りに対応したDSAPなど、バーハンドル系のまま実用性を広げている。

二人乗りは丸ハンドルのMP型で突然始まったわけではない。 DSAPという途中段階が存在したことは、型式の変化を追ううえで見落としたくない。


昭和30年代の整備工場で整備士が前輪を点検するダイハツ・ミゼットDKA型のイメージイラスト
※1957年型ミゼットDKAを参考にしたAI生成イラスト。車体やバーハンドル周辺の細部は実車を完全に再現したものではありません。

丸ハンドルMP2は、わずか2か月後に次の型式が登場

1959年、ミゼットは大きく姿を変える。海外向けMPA型に続き、同年10月には国内向けMP2型が登場。丸ハンドル、ドア付きキャビン、並列二人乗りを採用した。

もはや、オートバイを三輪化したような車ではない。普通の自動車に近い操作感と居住性を狙った設計だ。

ところが、同年12月には早くもMP3型が登場する。249ccのZA型から305ccのZD型エンジンへ変更され、最高出力は12PSになった。

専門資料では、車体の大型化に対する出力不足が背景だったと説明されている。ただし、当時の開発試験記録によって改良理由を直接確認できたわけではない。

さらに1960年5月にはMP4型が登場。荷台を延長し、最大積載量を350kgへ拡大した。1962年には最終系列となるMP5型が登場し、キャビンや荷台などを改良。後には2ストロークエンジンの給油方式も混合給油から分離給油へ進化している。

なお、MP5の登場月は専門資料に9月説と12月説があるため、ここでは1962年とする。

馬力は50%増。しかし積載量は16.7%しか増えていない

ここで初期DKA型と、資料の揃う1964年型MP5を比較してみる。

項目 DKA系 MP5型
代表時期 1957~60年 1964年
排気量 249cc 305cc
最高出力 初期8PS/後年10PS 12PS
乗車定員 1人 2人
全長 2,540mm 2,970mm
全幅 1,200mm 1,295mm
車両重量 305kg 415kg
最大積載量 300kg 350kg

※DKAの寸法・305kgはトヨタGAZOO掲載の1958~60年仕様、8PSは発売初期の値。MP5は1964年型の専門誌掲載値。異なる年次の代表資料による比較であり、1957年発売時のDKAが必ず305kgだったと断定するものではない。なお、自動車技術会の旧資料にはDKAの全長2,450mmという別記録もある。

車両重量の代表値を比べると、305kgから415kgへ110kg増、約36.1%の増加。一方、最大積載量は50kg増にすぎない。

積載量÷車両重量は、DKAの約98.4%からMP5では約84.3%へ低下する。

車両重量に対して積める荷物の割合は、むしろ小さくなったわけだ。もちろん、これは積載効率の一指標であって、走行性能や総合的な実用性の優劣を決める数値ではない。

エンジンの強化だけを見れば8PSから12PSへ1.5倍。だが、その力は積載量の増加だけでなく、二人乗り化や大きくなった車体を動かすためにも必要だったと考えられる。

最終MP5は、軽規格の幅を99.6%まで使っていた

さらに面白いのは、車体の寸法である。

当時の軽三・四輪自動車は、全長3.00m、全幅1.30m、排気量360cc以下などの規格に制限されていた。

1964年型MP5の全長は2,970mm、全幅は1,295mm。規格の上限との差を計算すると、次のようになる。

全長:3,000-2,970=残り30mm(上限の99.0%)
全幅:1,300-1,295=残り5mm(上限の約99.6%)

車体を拡大したミゼットは、ついに軽規格のほとんどを使い切る寸法に達していた。

小ささが最大の武器だった三輪車が、最後には四輪軽トラックと同じ寸法制限の中で、ほぼ限界まで大きくなっていたのである。

もっとも、これは車体寸法の話であり、必ずしも設計の余地がなくなったことを意味しない。荷室や車体構造の改良には、別の可能性も残っていたはずだ。


昭和30年代後半の整備工場前に停められた緑色のダイハツ・ミゼットMP5型。二灯式ヘッドライトと二人乗りキャビンが特徴
※1964年ごろのミゼットMP5を参考にしたAI生成イラスト。灯火器や装備などの細部、周囲の整備工場は厳密な実車・実在施設の再現ではありません。

三輪の弱点は「倒れやすさ」だけだったのか

ミゼットは前1輪・後2輪。3つのタイヤの接地点を結ぶ三角形の範囲が、車体を支える基本となる。旋回時の横加速度、重心位置、積荷の高さなどによって転倒のしやすさは変わる。

これは当時から知られた問題だった。1951年に東洋工業の増田栄次が発表した論文『三輪車の安定性』も、ホイールベースや後輪の間隔、重心高さ、旋回半径と速度の関係を検討している。

ただし「三輪だから必ず四輪より危険」と決めつけるのも正確ではない。三輪車の転倒しやすさは、車輪の数だけでなく、車輪配置や重心の位置、走行条件によっても変わるからだ。

もう一つ、現代の感覚では驚くのがブレーキだ。トヨタGAZOO掲載のDKA諸元では前輪ブレーキなし、後輪ドラムブレーキ。名車文化研究所のMP5諸元でも前輪の主ブレーキは未装備とされている。

ただし、同研究所の1959年型MP系の諸元には前輪ドラムブレーキの記載もある。したがって、すべてのミゼットに前輪ブレーキがなかったと断定することはできない。

また、こうした仕様だけから制動距離や事故率を推定することもできない。積載状態や路面条件も含めた実測値が必要だ。

ミゼットの進化は居住性と積載能力を高めた一方、三輪という基本構造は最後まで維持された。大型化しても変わらなかった部分が、ここにある。

【編集者が思うこと】

俺が一番妙だと思ったのは、最終型の全幅が軽規格まで、たった5mmしか余裕を残していなかったことだ。

あれほど小さかったミゼットが、いつの間にか規格いっぱいに膨らんでいた。馬力は増え、二人乗りになり、荷台も大きくなった。でも前輪は相変わらず1個。なんとも昭和の技術屋らしい、割り切りと執念を感じる。

しかも、初期の8馬力だけを見て「非力だった」と片づけるのも違う。あの車体で300kgを積めること自体が、当時の商店には大きな進歩だったはずだ。

ただ、進化を数字で並べると、軽三輪はいつまでも小さなままではいられなかったことも分かる。便利にしようとすれば大きく重くなる。だったら次は四輪でいいんじゃないか――。そういう疑問が生まれてくるのも当然だろう。

その答えは、ミゼットが姿を消していく時代にある。

ちょっと分かりにくい用語

2ストロークエンジン
ピストンの2行程で1回の燃焼サイクルを行う方式。初期のミゼットは燃料に潤滑油を混ぜる混合給油方式を採用し、後期には燃料と潤滑油を別々に供給する分離給油方式へ進化した。

ダイハツミゼット 4部作

大村崑のCMより前に売れ始めた営業現場、DK・DS・MP型の進化、ライバル軽三輪との競争、そして軽四輪への世代交代まで。初代ダイハツ・ミゼットの歩みを4つの視点から検証します。

参考資料

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