1964年1月3日、連続殺人犯・西口彰は熊本県玉名市の古川泰龍宅で逮捕された。
後年の報道によれば、西口は古川一家を殺害して活動資金を奪い、沖縄へ逃げるつもりだったという。ただし、今回確認できた資料には供述調書の原本がなく、計画の詳細まで独立に裏付けられたわけではない。
それでも、すでに5人を殺害していた男が、古川一家のすぐそばにいたことは事実だ。
ところが話は、逮捕で終わらなかった。
古川はその後も西口と文通を続け、残された家族とも交流し、子供の学費まで援助したと伝えられている。
自分の一家を危険にさらした男に、なぜそこまでするのか。そもそも、犯罪者を支えることと、犯罪を許すことは同じなのか。
調べてみると、この話の答えは逮捕後ではなく、事件より前の国会会議録にあった。
実は西口の逮捕前から、古川は国会で問題になっていた
古川泰龍は宗教家であり、1952年から福岡刑務所で教誨師として活動していた。
その古川が力を入れていたのが、1947年に発生した「福岡事件」の再審・助命運動だった。
ここで注意したい。福岡事件の死刑囚・西武雄と、連続殺人犯・西口彰は別人であり、まったく別の事件である。
福岡事件で死刑が確定した西武雄は事件への関与を否定し、石井健治郎は発砲を認めつつ、正当防衛や誤殺を主張していた。古川は独自調査を行い、裁判の結論に疑問を抱いて救済活動を始めた。
ところが1963年5月23日、参議院法務委員会で、この古川の活動が取り上げられている。
法務当局は、古川に西・石井両死刑囚の教誨担当を辞退するよう求めたことを認めた。確定判決を前提とする刑務所行政と、無罪を訴えて再審を求める活動が衝突したのである。
ただし、教誨師そのものを全面的に辞めさせたわけではない。当局は、ほかの収容者への宗教教誨は引き続き依頼する考えだった。
さらに国立国会図書館の書誌には、古川が1963年7月に福岡事件の『真相究明書』を刊行した記録も残っている。
この国会審議は、西口が古川家を訪ねた1964年1月2日より224日前のことだ。
つまり、古川は西口事件に巻き込まれる前から、罪を犯したとされた人間とどう向き合うかを、実際の行動で問い続けていた。
西口の家族にまで手を差し伸べたのはなぜか
では、逮捕後の西口との関係はどうだったのか。
2026年の文春オンラインは、古川が「犯罪者は心の病気」という考えのもと、西口と文通を続けたと紹介している。
また、2019年のフジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』では、古川が西口の家族と交流し、子供の学費も援助していたと伝えている。獄中の西口も古川への感謝を繰り返し口にしたという。
ただし、手紙の総数、全文、学費援助の具体的な金額は、今回確認した一次資料からは確定できなかった。この部分は後年の報道に基づく。
ここで考えたいのは、古川が誰を助けようとしていたのか、ということだ。
| 関わった相手 | 古川の活動・立場 |
|---|---|
| 福岡事件の西武雄・石井健治郎 | 判決に疑問を持ち、再審・助命を支援 |
| 連続殺人犯・西口彰 | 逮捕後も文通を続けたと報道 |
| 西口の子供たち | 家族との交流や学費援助が報じられている |
この表は、国会会議録と後年の報道から当サイトが整理したものだ。重要なのは、3者に対する行動の意味が違うこと。
福岡事件では、裁判の正しさを疑っていた。西口本人については、犯罪をなかったことにするのではなく、人間として関わり続けたと考えられる。そして西口の子供たちは、父親の犯罪について責任を負う立場ではない。
加害者本人をどう扱うかと、その子供をどう扱うかは、そもそも別の問題なのである。

古川泰龍は逮捕後も西口彰との文通を続け、子供の学費も援助したと伝えられる。画像はその活動を象徴したAI生成イラスト。描かれた男性は古川本人の容姿を忠実に再現したものではなく、書斎、手紙、学用品も実物ではない。
それでも、殺された5人は帰ってこない
ここまで読むと、古川の寛容さに感心するかもしれない。しかし、この事件を感動話だけで終わらせるのは危険だ。
西口は1963年、福岡で2人、静岡で2人、東京で1人、合計5人を殺害している。警察庁の白書にも記録された事実だ。
本人がどれほど感謝を口にしたとしても、その5人の命が戻ることはない。
また、古川による西口への支援を、被害者遺族がどのように受け止めたのかについては、今回確認した資料から判断できない。遺族も西口を許した、などと書く根拠はない。
ここは分けて考えたい。
人間としての尊厳を認めることは、犯した罪を帳消しにすることではない。加害者の家族を助けることも、被害者の苦しみを軽く扱う理由にはならない。
古川の行動をどう評価するかは人によって違うだろう。ただ、少なくとも「犯罪者を許した美談」という一言で片づけられるほど単純ではない。
死刑確定、そして執行。文通は何を変えたのか
西口は1964年12月に福岡地裁小倉支部で死刑判決を受け、翌1965年の控訴審でも判決が維持された。
1966年8月15日には、自ら上告を取り下げ、死刑が確定したと事件年譜で伝えられている。最高裁が改めて死刑判決を言い渡したという経過ではない。
そして1970年12月11日、西口の死刑が執行された。講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』にも、この日付が記録されている。
古川への感謝や獄中での言動は後年の報道に残る。しかし、どの手紙が西口の心境にどのような影響を与えたのか、本人の内面を確かめることはできない。
「古川のおかげで完全に改心した」と断定するのも、「すべて演技だった」と決めつけるのも、確認できた事実を超えてしまう。
むしろ気になるのは、古川が西口の変化を確認できたかどうかではない。変わるかどうか分からない相手にも関わり続けるという選択をしたことだ。
1975年の小説、1979年の映画。事件は物語になった
西口の死後、この事件はさらに別の形で人々に知られることになる。
1975年、佐木隆三が『復讐するは我にあり』を講談社から刊行。同作は第74回直木賞を受賞した。
1979年4月21日には、今村昌平監督、緒形拳主演で映画化された。映画で西口をモデルにした主人公の名前は「榎津巌」である。
取材を重ねた小説と、それを基にした映画には、犯罪者の心理や家族関係を描く力がある。一方で、小説・映画の場面や台詞を、そのまま現実の西口の発言や行動と考えることはできない。
ここにも気になる問題がある。事件が傑作映画になるほど、犯人の存在感は強くなる。しかし、現実に殺害された人々は、映画の登場人物になるために生きていたわけではない。
事件を作品として楽しむことと、現実の被害を忘れないこと。その両方が必要なのだと思う。

西口彰事件を題材にした佐木隆三の小説『復讐するは我にあり』は、1979年に今村昌平監督によって映画化された。画像は昭和50年代の映写室をイメージしたAI生成イラスト。男性は架空の映写技師であり、西口彰・古川泰龍本人ではない。実際の映画の映像・上映設備・映写作業を再現したものではない。
【編集者が思うこと】
正直、最初は「自分の一家を殺そうとしたという男に、まだ手紙を書くのか?」と思った。俺なら、二度と関わりたくない。
ところが、調べたら古川泰龍という人は、西口事件の前から死刑囚の救済に関わり、刑務所当局とまで衝突していた。事件に巻き込まれて急に聖人になったわけではないのだ。
それでも、俺が一番引っかかるのは被害者のことだ。西口が感謝した、反省した、家族が救われた。そういう話は分かる。でも、そこで感動して終わったら、殺された5人はどうなるのか。
一方、西口の子供にまで父親の罪を背負わせるのも違う。親が殺人犯だから学校に行けなくても仕方ない、などという理屈はおかしい。
結局、犯人を許すかどうかと、犯人の家族を助けるかどうかは別の話なんだろう。
そして、もう一つ。西口は大学教授や弁護士の肩書を使って人を信用させた。ところが古川は、相手が連続殺人犯だと分かった後にも関わりを続けた。
前者は信用を利用した。後者は、信用できない相手に何ができるかを考えた。
この違いは大きい。
ただし、俺はこれを「美しい許しの物語」だけにはしたくない。5人の被害者がいたという事実を残してこそ、古川の行動の意味も考えられるのだと思う。
ちょっと分かりにくい用語
- 教誨師(きょうかいし)
- 刑務所や拘置所などで、収容者の求めに応じて宗教的な助言や精神的支援を行う宗教者。裁判の弁護人や再審請求の代理人とは役割が異なる。
少女が止めた78日間――西口彰事件の真相・全4回
偽弁護士を疑った小学5年生の少女。少女の発見、西口彰の詐欺と逃亡、逮捕時の警察対応、そして逮捕後の古川家との関係まで、4つの視点で事件を検証します。
- 第1回: 大人が信じた偽弁護士を、少女はなぜ疑った?――連続殺人犯・西口彰を見抜いた夜
- 第2回: 大学教授、弁護士、そして5人殺害――西口彰は78日間、どうやって日本中を騙し続けたのか?
- 第3回: 警察官21人が包囲、なのに室内は0人!?――西口彰逮捕の夜、警察は何をしていたのか
- 完結編: 一家を殺すつもりだったとされる男に、なぜ手紙を送り続けたのか――西口彰と古川泰龍、逮捕後の奇妙な関係
参考資料
- 第43回国会 参議院法務委員会 第14号(1963年5月23日) — 古川泰龍の教誨活動、福岡事件再審支援、法務当局が担当変更を求めた理由を確認できる一次資料。特に第60・64・81~83発言。
- 国立国会図書館サーチ『福岡、中国人闇ブローカー殺し殺人請負強盗殺人事件真相究明書 : 九千万人のなかの孤独』古川泰龍著(1963年7月) — 事件以前に古川が独自調査に基づく資料を刊行していたことを確認できる書誌情報。
- 福岡事件学生の会「再審運動の軌跡」 — 古川家の活動、西武雄・石井健治郎への支援、福岡事件のその後。当事者側の資料。
- テレビ西日本『ドキュメント九州』「その月が割れるまで~福岡事件・再審請求の行方~」 — 西武雄が事件への関与を否定し、石井健治郎が正当防衛や誤殺を主張したことを確認する補助資料。
- 警察庁『平成12年警察白書』第1章 — 西口彰の連続強盗殺人事件、5人の被害者、事件の概要。
- フジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』2019年5月30日放送記録 — 古川一家殺害計画とされる話、逮捕後の西口家族への援助に関する後年の再構成。
- 文春オンライン(2026年5月3日)「5人殺害の凶悪犯の正体に気づいた少女」を扱った記事 — 古川家への接近、逮捕後の文通に関する二次資料。
- 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』「西口彰」 — 1970年12月11日の死刑執行日を確認。
- 国立国会図書館サーチ『復讐するは我にあり』佐木隆三・講談社(1975年) — 原作の刊行年と書誌情報。
- 公益財団法人日本文学振興会「直木賞受賞者一覧」 — 第74回直木賞の受賞作品を確認。
- 松竹『復讐するは我にあり』公式作品情報 — 1979年4月21日公開、監督・出演者、映画の内容。
