『相棒』の初代相棒・亀山薫を演じた寺脇康文は、なぜ2008年に降板したのか。
この降板をめぐっては、後年、水谷豊との不仲説も報じられ、「事実上の追放だったのでは?」という見方まであった。ところが2023年、当の水谷と寺脇が語ったのは、ずいぶん違う話だった。
寺脇は当時の卒業を「武者修行に出る感覚」だったと振り返り、水谷も、寺脇には『相棒』以外で主演を経験してほしかったと説明している。
しかし、ここで引っかかる。2008年の制作側は「リアリティの追求」を理由に挙げていた。なぜ15年後には「俳優としての成長」という話になるのか。
当時の発表、後年の本人証言、劇中の卒業理由を別々に調べてみた。
人気絶頂だった2008年、なぜ亀山を外したのか
2008年8月28日、テレビ朝日は寺脇康文の『相棒』卒業を発表した。season7の放送開始より前という、異例のタイミングだった。
当時の『日刊スポーツ』を読み直すと、妙な数字が並んでいる。
直前のseason6は平均世帯視聴率16.1%。2008年5月公開の劇場版も、同年8月の報道時点で興行収入44.3億円、観客動員約370万人という成功を収めていた。
つまり、人気が落ちたから相棒を入れ替えた、という説明は当時の数字に合わない。 むしろ絶頂期の交代だった。
松本基弘チーフプロデューサーは当時、リアリティを追求するには亀山が去る必要があるという趣旨を説明。別の発言では、映画も成功した絶頂期だからこそ、薫の人生を考える区切りにしたかったと述べている。
寺脇本人も当時、「気持ちよく卒業させていただくことにしました」とコメントしていた。少なくとも公表された言葉は、降板を拒絶するものではなかった。
さらに発表日を計算すると、卒業が放送される2008年12月17日より111日も前。season7の初回放送10月22日より55日前だった。
制作側は情報漏れを避け、視聴者に正式に伝えるため事前発表したと説明している。少なくとも当時の公表内容は、人気低迷や俳優間の不仲を理由とするものではなかった。

2008年、人気絶頂の『相棒』で亀山薫の卒業が発表された当時の制作現場をイメージしたAI生成イラスト。実際の制作会議や撮影現場を再現したものではない。
2023年、水谷豊が語った「もう一つの卒業理由」
2023年2月22日、放送400回突破を記念したTELASAのインタビューで、水谷と寺脇は2008年の卒業について振り返った。
水谷が寺脇に伝えたのは、長く『相棒』に出演するだけではなく、自分自身が主役を背負い、さまざまな作品を経験してほしいという思いだった。
寺脇も、その言葉を受けて武者修行に出るつもりだったと説明している。
両者の説明を並べると、こうなる。
| 時期・発言者 | 卒業を説明する視点 |
|---|---|
| 2008年・制作側 | 物語のリアリティと、亀山薫の人生に区切りをつけるため |
| 2008年・寺脇康文 | 当時の公式コメントでは、卒業を前向きに受け止める姿勢を示した |
| 2023年・水谷豊 | 寺脇康文に主演俳優としての経験を積んでほしかった |
| 2023年・寺脇康文 | 水谷の言葉を受け、武者修行に出るという認識だった |
一見、説明が変わったようにも思える。しかし、よく見ると同じ質問に答えていない。
2008年の制作側は、なぜ亀山というキャラクターを物語から去らせるのかを説明している。一方、2023年の二人は、寺脇という俳優が卒業をどう受け止めたのかを語っている。
制作上の理由と、俳優としての理由は、必ずしも矛盾しないのだ。
実際、同年8月31日のテレビ朝日公式インタビューでも、寺脇は、かつて水谷から主役を経験するよう送り出されたと改めて説明している。
では、不仲説や追放説はどこまで本当なのか
もちろん、昔の週刊誌的な話も気になる。
2022年6月24日の『女性自身』には、水谷と寺脇の不仲説や制作スタッフとの意見の食い違いが取り上げられている。そこでは匿名の関係者による証言も紹介されていた。
ただし、意見の相違が実際にどの程度あったのか、それが降板を決定づけたのかは、記事の匿名談話だけでは確認できない。
逆に、2023年の本人たちの説明だけで、2008年の制作現場に対立が一切なかったと証明することもできない。
それでも、2022年の復帰発表で寺脇が水谷を俳優人生の師匠と表現し、2023年にも二人が卒業の経緯をそろって語っている事実は重い。
少なくとも「水谷豊が不仲を理由に寺脇を追放した」と断定できる裏付けは、今回確認した資料には見当たらなかった。
亀山薫自身は、なぜサルウィンへ旅立ったのか
ここで、俳優の降板から劇中の物語へ戻ろう。
亀山の卒業理由は、season7の最終出演回で突然作られたものではない。
2008年10月22日・29日放送の第1~2話「還流」では、亀山の高校時代の友人・兼高が殺害される。事件の背後には、架空の南アジア国家サルウィンへの支援物資をめぐる不正があった。
元法務大臣・瀬戸内米蔵まで関わる事件を経て、亀山は、サルウィンで支援活動をしていた旧友の遺志を受け継ぎたいと考えるようになる。
そして12月10日・17日放送の第8~9話「レベル4」。殺人ウイルスを使った事件を解決したあと、亀山は警察官を辞め、妻の美和子とともにサルウィンへ向かった。
つまり劇中では、単に特命係から外されたのではない。日本の警察組織を離れ、別の場所で自分の正義を実践する道を選んだのである。

亀山薫が移住した架空の国サルウィンでの教育・支援活動をイメージしたAI生成イラスト。実際のドラマ場面や実在する学校を再現したものではない。
しかも面白いことに、2022年のseason21で亀山が日本へ戻ることになった経緯には、サルウィン側から国外退去を命じられたという事情がある。
「追放」という言葉が本当に劇中で当てはまるのは、2008年の特命係卒業ではなく、むしろ14年後のサルウィンからの帰国のほうだった。なかなか皮肉な話だ。
2008年の卒業は「追放」だったのか
改めて整理すると、2008年の制作側は、人気が高い時期だからこそ作品と亀山の人生を次の段階へ進めると説明した。2023年の水谷と寺脇は、その卒業を俳優として成長する機会だったと振り返った。そして劇中の亀山は、旧友の遺志を継ぐため自ら警察を去っている。
これらは同じ出来事を、制作、俳優、物語という三つの立場から見た説明である。
ただし、最終的な降板決定に誰がどこまで主導権を持ったかなど、制作過程のすべてが公開されているわけではない。
「追放された」とは断定できない。しかし、「すべて円満だった」と証明されたわけでもない。 ここが、当時の噂と現在確認できる事実との境界線だろう。
【編集者が思うこと】
俺が今回いちばん引っかかったのは、あんなに人気があった『相棒』が、なぜわざわざ亀山を外したのか、ということだった。
普通、テレビ局は当たっているものを簡単には変えない。平均視聴率16.1%、劇場版44億円超。それで主演の片割れを卒業させるのだから、そりゃあ裏で何かあったのかと勘繰りたくもなる。
ところが、15年ほどたって本人たちが語ったのは、追放どころか武者修行の話。しかも亀山は劇中でも、自分の意思で別の人生を選んでいた。
ただ、当時の制作現場で何がどこまで話し合われたのか、そこは結局分からない。何でも美談にして片づけるのも、ゴシップを事実扱いするのも違うと思う。
それにしても妙なのは、2008年には人気絶頂で卒業させた俳優を、2022年にまた主役の相棒として呼び戻したことだ。しかも2026年には、その亀山から神戸尊へ再交代する。
『相棒』というドラマは、人物を退場させても、物語から完全には捨てない。今になってみると、それがこのシリーズ最大の武器なのかもしれない。
参考資料
- ORICON NEWS(2008年8月29日)「寺脇康文が『相棒』を卒業」(松本基弘プロデューサーの当時の説明)
- 日刊スポーツ(2008年8月29日)「寺脇康文『相棒』亀山薫を卒業」(当時の制作側と寺脇本人の発言、視聴率、劇場版興行収入、発表の経緯)
- テレビ朝日『相棒 season21』公式ニュース(2023年2月22日)(放送400回記念・水谷豊と寺脇康文のインタビュー企画)
- ORICON NEWS(2023年2月22日)「水谷豊『相棒で終わってほしくなかった』」(本人たちの武者修行・主演経験に関する具体的な証言)
- テレビ朝日『相棒 season22』公式コメント(2023年8月31日)(寺脇康文が振り返った水谷豊の教え)
- 女性自身(2022年6月24日)「寺脇康文“不仲説”も流れた『相棒』」(後年の不仲説報道。匿名談話は事実認定と区別)
- テレビ朝日『相棒』放送300回記念特設ページ(season7第1~2話「還流」の事件と兼高の死)
- テレビ朝日「#右京と歴代相棒」(亀山のサルウィン渡航、国外追放処分、帰国までの人物経歴)
- テレ朝POST(2022年6月23日)寺脇康文の復帰発表(水谷豊を俳優人生の師匠と表現した本人コメント)
- テレビ朝日『相棒 season25』公式ニュース(2026年10月13日)(亀山薫から神戸尊への再交代の正式発表)
