1964年1月2日、熊本県玉名市。東京の弁護士を名乗る男が、宗教家・古川泰龍のもとを訪ねてきた。
冤罪事件の救済活動に協力したいという。しかも、古川の知人の名前まで知っている。これは頼もしい人物が現れた、と古川は歓迎した。
ところが、小学5年生の娘だけは違った。
少女は、男が指名手配中の殺人犯に似ていると家族に訴えた。
その男こそ、すでに5人を殺害し、全国を逃亡していた西口彰だった。
なぜ大人が信用した男を、少女は疑えたのか。そして、そもそも偽弁護士の何を信用してしまったのか。調べてみると、単なる少女のお手柄話では済まない、詐欺の厄介な仕組みが見えてきた。
5人殺した男が、今度は弁護士になった
警察庁の『平成12年警察白書』によれば、西口は1963年10月から福岡、静岡、東京で計5人を殺害。78日間の犯行・逃亡期間には、殺人事件とは別に窃盗2件、詐欺10件を重ねていた。
金を奪い、人を殺し、その後は立派な肩書で別人になりすます。殺人を重ねながら、人を信用させる芝居も続けていた。実にたちが悪い。
1964年の正月、西口が目をつけたのは古川泰龍だった。古川は死刑囚の教誨活動(刑務所などで宗教的な教えや助言を行う活動)や冤罪救済に取り組んでおり、活動資金も必要としていた。
そこへ、東京から支援を申し出る弁護士が現れたのである。
ただし、ここを「金欲しさに騙された」と決めつけるのは違う。古川が期待していたのは、救済活動への協力だった。西口は相手の欲望だけでなく、信念にも入り込んでいたと考えられる。
驚いたことに、弁護士の名前は実在した
さらに妙なのは、身分詐称の中身だ。
1964年2月4日の参議院法務委員会で、警察庁長官は、西口が「川村弁護士」の名刺と「近藤弁護士」の紹介状を利用していたと説明している。
警察が東京へ確認すると、両方の弁護士は実在した。しかし、一方は自宅におり、もう一方は紹介状を書いた事実を否定した。
つまり、名前を調べて実在すると分かっても、目の前の男が本人とは限らない。
さらに2019年のフジテレビの事件検証番組では、古川家に届くはずの年賀状を西口が盗み、そこから知人の名前を仕入れていたと紹介されている。この部分は国会会議録で確認できた事実とは区別する必要があるが、本当なら実に嫌らしい準備である。
相手の知人を知っている。本物の弁護士の名前を使っている。活動にも理解を示す。信用させる材料が、いくつも用意されていたわけだ。

弁護士の名刺や紹介状、知人の名前などが信用を生む材料になった。画像は仕組みを表した創作イラストで、実際の証拠品ではない。書類や郵便物の意匠も1964年当時の正確な再現ではない。
大人は肩書を見た。少女は顔を見た
一方、古川の娘・るり子さんは、通学中に西口の指名手配写真を何度も見ていたという。
少女は客人の顔に見覚えを感じた。後年の報道には、顔にある2つのほくろまで一致したという記述がある。フジテレビの番組では、顔のあざという説明になっている。
細部の記録には食い違いがあるが、少女が指名手配写真との共通点に気づいたことは、複数の資料に共通している。
ここで、大人と少女の判断材料を並べてみよう。
| 大人が信用した材料 | 少女が疑った材料 |
|---|---|
| 東京の弁護士という肩書 | 指名手配写真の顔 |
| 知人の名前を知っている | 顔立ちや特徴の一致 |
| 救済活動への協力の申し出 | 見覚えのある逃亡犯の印象 |
この表は事件資料から当サイトが整理したものだ。大人全員が最後まで信用していたという意味ではない。娘の指摘を受け、古川も男の法律知識や言動を疑い始めた。
つまり、少女が特別な超能力で嘘を見抜いたわけではない。大人が肩書や会話の内容を重視する一方、少女は以前に記憶した顔と照合していた。見ていた情報が違ったのである。

大人が信用した偽弁護士と、その正体を疑った少女。窓の外の手配写真は少女の記憶を象徴した演出であり、人物・室内・座席配置は実際の現場を再現したものではない。
通報から4時間30分。家には殺人犯がいた
少女の指摘を受けた家族は、西口に疑惑を悟られないよう対応した。男を家に泊め、家族は別室に鍵を取り付けるなどして安全を確保しようとした。そして、警察へ連絡した。
この後の経過は、国会会議録で具体的に確認できる。
古川家側から警察への連絡は1月2日午後11時30分ごろ。最初の警察官5人が家の周囲を警戒したのは翌3日午前1時30分ごろ。警察官が家族に合図したのは午前4時ごろだった。
単純に差を計算すると、通報から家族への合図まで約4時間30分。
ここで注意したい。2019年のテレビ番組では午前4時過ぎに警察が到着したように説明されているが、国会答弁によれば最初の5人は午前1時30分ごろから屋外を警戒していた。つまり、4時間30分すべてが警察の到着待ちだったわけではない。警察が現場にいたことと、家族に連絡が届いていたことは別問題なのである。
警察は何もしていなかったわけではない。偽弁護士の身元を調べ、警察官を順次配置していた。それでも、家族からすれば、同じ敷地内に連続殺人犯がいる状態が続いた。
この間の警察対応については、後に国会でも問題となった。詳しくは第3回で扱いたい。
ともあれ、1月3日、西口は警察に身柄を確保され、逮捕された。少女が最初に抱いた疑問は、78日間の逃亡劇を終わらせる重要なきっかけとなった。
【編集者が思うこと】
俺が最初に引っかかったのは、こんな怪しそうな弁護士を、なぜ信用したのかという点だった。
ところが、調べたら話が違った。実在する弁護士の名前を使い、知人の名前を出し、相手が必死に取り組んでいる活動を応援するという。これはなかなか性質が悪い。
金に目がくらむ人間を狙う詐欺は分かりやすい。しかし、誰かを助けたいという気持ちまで利用されるとなると、話はもっと厄介になる。
それにしても、少女の観察力はたいしたものだ。大人が立派な肩書に感心している横で、顔を見て「ちょっと待て」となる。
結局、詐欺師が恐れるべき相手は、難しい理屈を振り回す人間ではなく、話の前提を疑う人間なのかもしれない。
肩書も名刺も立派。だが、顔は別人。昭和の大事件から60年以上たっても、この手の商売がなくならないのだから、人間の信用というやつは実に面白く、そして危なっかしい。
少女が止めた78日間――西口彰事件の真相・全3回
偽弁護士を疑った小学5年生の少女。指名手配犯を見抜いた手掛かりから、西口彰の詐欺と逃亡、逮捕の裏側に残った疑問まで、3つの視点で事件を検証します。
- 第1回: 大人が信じた偽弁護士を、少女はなぜ疑った?――連続殺人犯・西口彰を見抜いた夜
- 第2回: 準備中 公開予定
- 完結編: 準備中 公開予定
参考資料
- 警察庁『平成12年警察白書』第1章 — 殺人事件、詐欺・窃盗件数、78日間の犯行・逃亡期間。
- 第46回国会 参議院法務委員会 第2号(1964年2月4日) — 偽弁護士の名刺・紹介状、通報時刻、警察の対応。
- フジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』2019年5月30日放送記録 — 古川家の行動、指名手配写真、年賀状に関する後年の再構成。
- 文春オンライン(2026年5月3日)西口彰事件を扱った記事 — 少女による発見と古川家の対応。書籍に基づく二次資料。
