【完結編】警察は犯人を知っていたのか?――三億円事件、57年間の沈黙

【完結編】警察は犯人を知っていたのか?――三億円事件、57年間の沈黙

三億円事件の犯人は、実は警察には分かっていた――。そんな話を、俺はかつて事件の捜査に関わったという刑事から聞いたことがある。

1968年12月10日、東京・府中で約3億円が奪われた。5日後には、捜査対象となった19歳の少年Sが死亡。父親は現職の白バイ隊員だった。

少年の父親が現金を燃やし、警察内部の力で真相を封じたという説まである。

では、警察は本当に犯人を知りながら、57年以上も隠し続けてきたのか?

1975年の国会記録と、2026年に行われた新たな取材を比べてみると、単純な陰謀説では片付かない問題が見えてきた。

あの犯人写真は、なぜ破棄されたのか

三億円事件といえば、白いヘルメットをかぶった若い男のモンタージュ写真だろう。

写真が公開されたのは1968年12月21日。ところが、後年の捜査報道によれば、あの顔には事件前に死亡した別人の写真が使われていたという。

長年事件を追ったジャーナリスト近藤昭二氏は、警察官の息子である少年Sの存在を表に出さず、似た人物の写真を使ったという説を紹介している。

ただし、それが警察の正式な作成理由だったと裏付ける資料までは確認できない。

そして1974年12月、写真は信頼性への疑問から正式に破棄されたと報じられている。

捜査上の信頼性を失い、破棄されたと報じられた写真が、その後も「三億円事件の犯人像」として世間に残り続けた。

これでは、真犯人を探すための写真が、逆に犯人像を固定してしまった可能性もある。


昭和40年代後半の警察捜査室をイメージした劇画。刑事風の男性が白バイの写真を手に取り、机上の資料と照合している
1974年ごろの三億円事件捜査を象徴したAI生成イラスト。人物・白バイ・写真・捜査資料は架空のもので、実際の刑事や警察の捜査現場、証拠写真を再現したものではありません。

1975年、国会ではすでに捜査の失敗が追及されていた

意外だったのは、捜査上の問題が後世になって初めて指摘されたわけではないことだ。

公訴時効が成立した翌日の1975年12月11日、衆議院地方行政委員会で片岡清一議員が三億円事件について質問している。

問題にされたのは、初動捜査、指揮体制、そして特定の人物を犯人と見込んで追い続ける「見込み捜査」だった。

さらに片岡議員は、土田國保警視総監が捜査の失敗を認め、国民に謝罪したことにも言及している。

つまり、警察の捜査方法に問題があったのではないかという疑問は、事件から7年後の国会ですでに公然と取り上げられていた。

ただし、国会で追及されたことと、警察幹部による証拠隠滅や組織的隠蔽が証明されたことは違う。

当時の国会記録から、少年Sの父親が捜査を止めたという認定は確認できない。

2026年、約20km離れた場所の目撃証言が問題に

それから約50年。2026年1月10日、NHKは『未解決事件 File.10 三億円事件』を放送した。

NHKは大量の捜査資料を入手し、180人以上の関係者に取材を試みたという。事件当時、現場を目撃した元女子高校生の証言にも改めて光が当てられた。

さらに番組の事前紹介では、事件現場から約20km離れた場所で得られていた偽白バイに関する重要な証言が、十分に生かされなかったことも取り上げられている。

ここで引っかかる。

警察は犯人を知っていたのに隠したのか。それとも、犯人に近づく情報を持ちながら、それが重要だと判断できなかったのか。

後者でも、捜査としては重大な問題だ。だが、特定の人物を守るために意図的に情報を潰したという証明には、さらに別の証拠が必要になる。

警察官の父親は、どこまで捜査を動かせたのか

2021年のテレビ東京の記事では、近藤昭二氏が少年Sの父親を交通機動隊の中隊長で、公安勤務の経験もある人物と説明している。

その父親が取材に強く反発したという証言も紹介された。

しかし、交通機動隊の中隊長であることと、三億円事件の捜査本部を指揮できることは別だ。さらに、家族への疑惑に反発すること自体も犯罪の証拠ではない。

そこで、これまでの資料を整理すると、次のようになる。

疑惑・問題 確認できること まだ足りないもの
少年Sが犯人だった 捜査対象となり、事件5日後に死亡したとの報道 犯行と直接結び付ける物証
父親が現金を焼いた 焼却をめぐる伝聞や説が存在する 原目撃証言、焼却物の鑑定
警察が犯人像を誤った モンタージュ写真の信頼性が問題化し、破棄されたとの報道 写真作成の詳しい経緯と判断記録
警察幹部が隠蔽した 国会で捜査の問題が追及された。ただし、隠蔽を直接裏付ける資料は確認できない 隠蔽を指示・実行した具体的記録

この表で重要なのは、怪しい話をすべて否定することではない。疑惑を裏付ける事情と、犯行や隠蔽を証明する証拠を分けることだ。


2026年の資料調査室をイメージした劇画。中年の編集者がノートPCと古い事件記録、写真、手書きのノートを照合している
三億円事件の資料を現代の編集者が再検証する様子を描いたAI生成イラスト。人物・調査室・写真・文書は架空のもので、実際のNHK取材現場や警察の捜査資料を再現したものではありません。

軍艦島に3億円? 漫画が真相を隠したのか

三億円事件には、軍艦島まで登場する漫画もある。渡辺潤の『モンタージュ』だ。講談社の公式紹介でも、実際の三億円事件を題材に、軍艦島で物語の核心に迫る展開が確認できる。

しかし、これはフィクションである。軍艦島に実際の盗難現金が隠されたことを示す資料ではない。

では、こうした作品は真相から人々を遠ざけるために作られたのか。

その目的を示す証拠は確認できない。ただ、事件の資料より漫画や映画の記憶が強く残れば、創作上の犯人像が実際の捜査記録と混同されることはあるだろう。

57年間、いったい何が沈黙していたのか

1975年には国会で捜査が追及され、捜査員や記者の回想も出版され、2026年には新たな検証番組が放送された。

つまり、57年間誰も何も語らなかったわけではない。

問題は、数々の証言や推理がありながら、誰が犯行を実行し、誰が協力し、盗まれた金をどうしたのかという結論が、公的には確定しなかったことだ。

少年Sの父親が権力で真実を封じた可能性を、今回の資料だけで完全に否定することはできない。しかし、そうした隠蔽があったと断定することもできない。

三億円事件を本当に解き明かすには、もう一つの「真犯人説」を増やすより、残された証言と捜査記録の食い違いを一つずつ確かめる必要がある。

【編集者が思うこと】

俺が昔、元刑事から聞いた話は、今でも妙に頭に残っている。犯人には事件直後から目星がついていたという話だった。

だから警察内部で何かあったのでは、と疑いたくなる。ただ、調べてみると、1975年にはすでに国会で捜査の問題が取り上げられ、2026年になっても当時の証言を掘り起こしている。警察も報道も、完全に口を閉ざしていたわけじゃない。

それなのに、あの犯人写真は破棄された後も有名なまま。新しい証言が見つかっても、犯人の名前は確定しない。何とも歯切れの悪い事件だ。

父親が息子をかばったのか、それとも警察が自分たちの捜査の失敗を引きずったのか。俺にはまだ答えが出せない。

だが、もし真相を知っている人がいたのなら、なぜそれを証明できる形で残せなかったのか。

結局、そこなんだよな。

三億円事件シリーズは、これにて完結。未解決という結末まで、勝手に作り替えるわけにはいかない。

三億円事件・全4回

事件5日後に死亡した警察官の息子、消えた現金と焼却説、偽白バイと逃走車両、そして警察の捜査と隠蔽疑惑。4つの視点から昭和の未解決事件を検証します。

参考資料

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