スープラはなぜ「売っていない17年間」に伝説になった?――A80・2JZからA90復活まで

第2回では、A70が7Mから1JZへエンジンの“血統”まで変え、次の時代へ橋を架けたところまで追った。そして1993年、そのJZ系を受け取ったA80スープラが登場する。

ところがA80には妙なところがある。普通の車なら、新車として売っている時が一番目立ち、生産終了後は少しずつ昔の車になっていく。A80は逆だった。2002年に生産を終えた後も、ゲーム、映画、チューニング、モータースポーツの中で存在感を増し続け、2019年の復活まで17年間も「現行車がないのにスープラだけは生きている」という状態が続いた。なぜスープラは、“売っていない17年間”にむしろ伝説になったのか。


トヨタ・スープラの歴史・全3回

2000GTとセリカXXからA70誕生へ。そしてターボA、1JZへの世代交代を経て、A80の伝説とスープラ復活まで。スープラがどのように姿と血統を変えてきたのかを全3回で追います。

A80は、A70を豪華にしただけの車ではなかった

1993年5月に登場したA80は、3L直6の2JZ-GEとツインターボ2JZ-GTEを搭載。日本仕様の2JZ-GTEは280PSで、RZにはトヨタ初の6速MTも用意された。

ただし、本当に注目したいのは馬力だけではない。トヨタはA80開発で「Less is more」を掲げ、A70より100kg以上軽量化した。アルミ製ボンネット、樹脂製燃料タンクなどを使い、安全装備や大径タイヤを増やしながら重量を削っている。

A70が「豪華なGTを速くする」方向で進化したのに対し、A80は「余分な重さまで削って速くする」方向へ踏み込んだ。 同じスープラでも、ここで性格がかなり変わっている。

「A80=2JZ」なのに、レースで勝ったスープラは2JZではない

A80といえば2JZ。これは現在ではほとんどセットで語られる。しかしモータースポーツまで調べると、少し妙な事実が出てくる。

1997年にJGTCでタイトルを獲得したカストロール・トムス・スープラが積んでいたのは、3L直6の2JZではなく、1998ccの直4ターボ「3S-GT改」。出力は480PS以上だった。さらにSUPER GT末期の2005年には、スープラGT500は4.5L V8の3UZ-FEを搭載している。

つまり、「2JZの伝説」と「JGTCで強かったスープラの伝説」は、同じA80に付いた別々の伝説なのである。「スープラは2JZでレースを勝ちまくった」と一行でまとめると、実はかなり違う。

AI生成による解説イメージです。1997年JGTCの実際の36号車や鈴鹿のピット風景を忠実に再現したものではありません。

新車が消える直前に、世界的な人気が始まった

A80の伝説化を説明するうえで、車そのものの性能だけでは足りない。トヨタ自身も後年、スープラの人気が長く続いた理由として、ゲーム『グランツーリスモ』シリーズと映画『ワイルド・スピード』への登場を挙げている。

特にタイミングが面白い。第1作『ワイルド・スピード』の公開は2001年。そしてA80の日本での生産終了は2002年7月。つまり、世界的なポップカルチャーの主役になった頃には、現実のスープラはもう新車として終わりに近づいていた。

昔なら絶版車は、街から減るにつれて若い世代からも忘れられていく。しかしA80は、実車を見たことがない世代までゲームの中で運転し、映画で知った。新車販売が終わっても、スープラに触れる入口だけは増えていったのである。

17年間、新型がないのにブランドだけは消えなかった

2002年から2019年まで、新車のスープラは存在しなかった。17年間である。それでもチューニング文化、ゲーム、映画、レースがA80を何度も再生産した。中古車なのに「昔の車」として固定されず、むしろ新しい世代のファンが追加されていった。

これはスープラの歴史でもかなり異例な部分だと思う。普通なら後継車が出れば旧型は一世代前になる。ところが後継車そのものが17年間なかったため、A80はずっと「最後のスープラ」であり続けた。 時間が止まったことで、逆に神格化する余地までできてしまったとも考えられる。

17年待って帰ってきたスープラは、BMWと一緒に作られた

復活への空気が目に見える形になったのは、2014年のコンセプトカー「FT-1」。その後、2018年にGR Supra Racing Conceptが現れ、2019年にA90型GRスープラが市販された。

ただし17年ぶりの新型は、昔と同じ方法では作られなかった。A90はBMWとの包括提携から生まれた最初の商品で、BMW Z4とアーキテクチャや主要コンポーネントを共有。生産もトヨタの工場ではなく、オーストリアのMagna Steyrグラーツ工場で行われた。

ここを「BMWだから偽物」と片付けるのも、「名前がスープラだから全部同じ」とするのも少し雑だろう。事実としてA90はBMWとの協業車である一方、直列6気筒、FRというスープラの中心的な構成は残された。 何をもって「スープラらしい」と考えるかは、むしろ復活したことで改めて問われることになった。

そして2026年、復活したスープラもまた一区切りを迎えた

2019年に復活したA90にも終点が来た。トヨタは2025年に「A90 Final Edition」を設定し、日本では150台限定で販売。北米では第5世代GRスープラの生産を2026年春に終了すると発表している。

2002年に一度消え、17年後に復活し、そして第5世代も一区切り。だが、これをもって「スープラという車が永久に終了した」とはまだ言えない。トヨタもモータースポーツを通じてスープラを鍛え続けるとしており、次に何が出るかは確定情報を待つべきだろう。

3回にわたって追ってきたスープラは、2000GTの精神、セリカXX、M系、JZ系、A80、そしてBMWとの協業まで、意外なほど何度も姿を変えてきた。それでも「直6FRのGT」という芯が何度も顔を出す。スープラの歴史は、同じものを守り続けた歴史というより、何を残して何を捨てるかを繰り返した歴史だったのかもしれない。

【編集者が思うこと】

昔なら生産終了した車は、少しずつ「懐かしい車」になっていくものだった。でも80スープラは逆で、俺たちが歳を取っている間に若い連中まで知る車になった。2JZの数字だけじゃ、ここまでにはならない。ゲームや映画まで味方につけて、絶版中にブランドが育つ。そんな旧車、なかなかないよね。

参考資料

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