A70スープラは途中で“血統”を変えた――ターボA、1JZ、280馬力までの後半戦

A70スープラは途中で“血統”を変えた――ターボA、1JZ、280馬力までの後半戦

第1回では、2000GTからセリカXXを経て、1986年にA70スープラが誕生するまでを追った。ところが70スープラは、登場した時の姿のまま7年間を生きた車ではない。むしろ後半になるほど、中身が別物に近づいていく。

象徴的なのがエンジンだ。登場時の主役は、2000GTの3Mから続く「M系」の7M-GTEU。それがモデル末期には、新世代の1JZ-GTEへ交代する。同じA70なのに、2000GT側の血統から、次のA80へ続くJZ系へ途中で乗り換えている。 70スープラ後半戦は、単なる前期・後期の違いではなかった。


トヨタ・スープラの歴史・全3回

2000GTとセリカXXからA70誕生へ。そしてターボA、1JZへの世代交代を経て、A80の伝説とスープラ復活まで。スープラがどのように姿と血統を変えてきたのかを全3回で追います。

1988年、70スープラは顔だけでなく中身も変わった

1988年8月、A70は大幅なマイナーチェンジを受ける。フロントやリアの意匠が変わり、3L車はすべてワイドボディ化。3Lターボの7M-GTEUは240PS、2Lツインターボの1G-GTEUは210PSへ強化された。初期型3.0GTターボの230PSから見ても、着実に性能を上げている。

現在の70スープラといえば、張り出したフェンダーを持つワイドボディを思い浮かべる人が多い。しかし初期型はナローボディだった。我々が「70らしい」と感じる姿も、実はモデル途中で出来上がったものなのである。


1986年のナローボディA70前期型と、1988年以降のワイドボディA70スープラの比較イメージ

500台のターボAは、単なる「最強グレード」ではなかった

この1988年の改良と同時に登場したのが3.0GTターボA。500台限定、7M-GTEUは270PSまで引き上げられた。通常の3Lターボより30PS高く、当時の市販国産車としてはかなり刺激的な数字だった。

目的も明確で、トヨタは発表時に国内外モータースポーツでの競争力向上を掲げている。A70は1987年の全日本ツーリングカー選手権SUGOでデビューウインしたものの、その後は勝ち星に恵まれなかった。ターボAは、そのA70をさらに競技向けに進化させたエボリューション的な存在だった。

ここで少し注意したい。ターボAを「グループAへ初めて出場するため500台作った車」と説明すると正確ではない。FIAではターボ仕様MA70が1987年7月にはGroup A公認を取得済みで、ターボA登場より1年以上早い。つまり、すでに走っていたA70をもっと戦える車にするための一手、と見る方が実態に近い。

A70スープラ3.0GTターボAとグループA仕様レーシングカーをイメージしたサーキットのピット風景AI生成によるイメージです。実在のレース写真や特定の競技車両を再現したものではありません。

3Lをやめて2.5Lにしたら、40馬力増えた

そして1990年8月。A70で最も興味深い変更が起こる。3Lの7M-GTEUがラインナップから退き、新しい2.5L直6ツインターボ1JZ-GTEが投入された。

7M-GTEU 1JZ-GTE
排気量 2954cc 2491cc
最高出力 240PS / 5600rpm 280PS / 6200rpm
最大トルク 35.0kg・m / 3200rpm 37.0kg・m / 4800rpm

数字をそのまま引き算すると、排気量は463cc減ったのに、最高出力は40PS増加。しかも500台限定だったターボAの270PSまで、通常カタログモデルの2.5Lが10PS上回ってしまった。

もちろん排気量だけで性能を語ることはできない。1JZ-GTEはセラミックタービンを使ったツインターボで、設計世代そのものが新しい。ただ、昭和の「大きいエンジンの方が偉い」という感覚で見ると、3Lから2.5Lへ縮小して最強になったという逆転はかなり面白い。

7M-GTEU搭載A70と1JZ-GTE搭載A70を並べたエンジン世代交代のイメージ7M-GTEUから1JZ-GTEへの世代交代を示すAI生成イメージです。エンジンルーム内の部品配置は精密図ではありません。

ここで「M」のスープラが「JZ」のスープラになった

第1回では、2000GTの3M、セリカXXの4M・5M、A70の7MというM系直6の流れを取り上げた。その意味では1990年の変更はかなり大きい。スープラのトップエンジンとして続いてきたM系がここで退き、JZ系の時代が始まった。

型式を見るとさらに分かりやすい。7M搭載車はMA70、1JZ搭載車はJZA70。同じ70スープラなのに、型式の頭まで変わっている。

後から見ると、この変更はA80への予告編にも見える。次の80スープラを象徴するエンジンは2JZ-GTE。つまりA70は、2000GTから続いたM系GTの最後を受け持ちながら、その車体のままJZ時代へ片足を突っ込んだことになる。

ツインターボRだけが70スープラではない

1JZ時代の象徴が2.5GTツインターボRだった。280PSに加え、RECAROシート、Bilstein製ショックアブソーバー、Torsen LSD、MOMOステアリングなどを装備。1986年に「TOYOTA 3000GT」として登場した豪華GTから、かなり走りを意識した方向へ振れている。

ただし、ここで現在の旧車記事が陥りやすい罠がある。ターボAやツインターボRばかりを並べると、まるで当時の70スープラが全部怪物だったように見えてしまう。

1990年以降も、210PSの2Lツインターボだけでなく、150PSの2L自然吸気「2.0GT」も存在していた。街にいた70スープラには、普通の2Lもちゃんといた。 最強グレードだけが旧車の歴史ではない。このあたりは、当時実際に走っていた70を知る世代ほど実感があるはずだ。


1990年代初頭の日本の街を走る2.5GTツインターボRと標準的な2.0GTのA70スープラ

A70は、一代の中で80年代から90年代へ渡った

A70のトップエンジンを並べると、230PSの7Mから始まり、240PS、限定270PSのターボA、そして280PSの1JZへ進んだ。外観もナローボディからワイドボディへ変化した。7年間のモデルライフの中で、80年代の豪華GTから90年代の高性能スポーツGTへ、かなり性格を変えた車だった。

だからA70は、単なる「A80になる前のスープラ」と片付けるには惜しい。2000GTやセリカXXから続いた古い血統を受け取り、その途中でJZへ乗り換え、次世代へ渡した中継地点だったと見ると、この車の立ち位置がよく分かる。

そして1993年、そのJZ系は3Lの2JZとなり、A80へ引き継がれる。ここから先、スープラは日本の高性能GTという枠を超え、生産終了後まで世界で神格化される妙な車になっていく。その話は第3回で追いたい。

【編集者が思うこと】

俺が学生時代に乗っていた後期70は2Lのノンターボ。今ならターボAや1JZばかりが主役だけど、当時の街にはそんな怪物ばかり走っていたわけじゃない。速くないスープラだって普通にあったし、それでも十分カッコよかった。旧車って、結局「最強グレードだけ」で語ると当時の空気を半分なくすんだよね。

参考資料

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