家の複合機のガラス面に一万円札を置いて、「スキャン」を押したらどうなるのか。
機械が「これは紙幣だ」と見抜いて止まるのか。画像はプリンターの中に残るのか。どこかへ通報されるのか。そして一番気になるところだが、スキャンした時点でもう犯罪なのか。
偽札と知りながら店で使えば犯罪――そこまでは誰でも知っている。ところが調べてみると、その手前には「画像」「模造」「偽造」という、似ているようで別の境界線があった。
一万円札を画像にしただけで「偽札」なのか
まず意外なのは、紙幣のデジタル画像と、紙に出てきた“お札らしき物”が法律上まったく同じ扱いとは限らないことだ。
財務省は、紙幣をデジタルカメラなどで撮影した画像データをホームページやブログに掲載する行為について、その行為自体は「通貨及証券模造取締法」の取締対象ではないとしている。
スキャナーで読み取る行為そのものを名指しした説明ではないので、「スキャンなら絶対合法」とまで断定するのは乱暴だ。しかし少なくとも、紙幣をデジタル画像にした瞬間、自動的に“偽札を製造した”ことになるわけではないと考える材料にはなる。

AI生成による模式図。券面は架空です。実際の紙幣画像の取り込みや複製時の挙動は、使用する機器やソフトによって異なります。
ところが「紙に出した」瞬間、別の法律が顔を出す
ここから話が妙になる。
日本には刑法の通貨偽造罪とは別に、1895年、明治28年制定の「通貨及証券模造取締法」が今も存在する。
この法律は、本物の貨幣や紙幣などと紛らわしい外観を持つ物の製造・販売を禁止している。現在の罰則は3年以下の拘禁刑だ。
つまり「店で使うつもりはないから大丈夫」と単純には言えない。財務省も、紙幣画像を印刷した場合には、この法律に抵触する可能性があると注意している。
しかも「見本」と書けば自動的にセーフ、何%か拡大すればセーフ、といった万能ルールがあるわけでもない。図柄、大きさ、材質、表示、使われ方などを総合して判断される。
紙幣の世界では、「使ったかどうか」より前の段階から法律が待っているのである。
さらに「本物として使うつもり」になると刑法へ
そして、本物の通貨として使う目的で紙幣を偽造・変造すれば、今度は刑法148条の世界になる。
通用する紙幣などを行使の目的で偽造・変造した場合、無期または3年以上の拘禁刑。実際に行使した場合なども同様だ。
ここを整理すると、「画像を作る」「紙幣に紛らわしい物を作る」「本物として使う目的で偽造する」「実際に使う」は、全部同じ一本の罪ではない。
悪いことを考える側からすれば細かい話に見えるだろうが、法律側はむしろ、その細かい段階を分けて網を張っている。

AI生成による法律上の段階を説明するイメージで、券面は架空です。デジタル画像、紙幣に似た印刷物、本物の通貨として使用・交付しようとする行為では法律上の要件が異なり、印刷物も外観や用途などから個別に判断されます。
芸術作品でも有罪になった「模型千円札」
この法律の妙な存在感を示すのが、前衛芸術家・赤瀬川原平の「模型千円札事件」だ。
赤瀬川は1963年、千円札の図様を印刷した作品を制作した。偽札を作って店で使おう、という種類の事件ではない。芸術作品や個展案内などをめぐる行為だった。
それでも通貨及証券模造取締法違反で1965年に起訴され、裁判は芸術表現をめぐる大事件へ発展。1970年、最高裁で上告が棄却され、懲役3月・執行猶予1年の有罪が確定した。
半世紀以上前の前衛芸術が、家庭用スキャナーの疑問と同じ法律へつながってくる。ここがこの話の妙なところだ。
ではプリンターは「一万円札だ」と見抜いているのか
こちらは都市伝説だけの話ではない。
各国の中央銀行が参加するグループは、パソコンやデジタル画像機器による紙幣画像の取り込み・複製を抑えるCounterfeit Deterrence System(CDS)を開発した。2004年に日本銀行が掲載したG10中央銀行総裁のリリースでは、主要なハードウェア・ソフトウェアメーカーが自主的に採用していると説明された。
そのため製品やソフトによっては、保護された紙幣画像の取り込みや複製が正常に行えない場合がある。
ただし、ここでよくある怪談が一つ崩れる。日本銀行が掲載する説明には、この技術にはPCやデジタル画像機器の使用状況を追跡する機能はないと明記されている。
つまり「一万円札を読み取った瞬間、秘密の通信が飛んで警察へ自動通報」という話とは違う。
では、スキャン画像はプリンターに記憶されるのか
これは「残る」「残らない」の二択では答えられない。
複合機は画像を処理するため、内部メモリーやストレージを一時的に使用することがある。例えばリコーは、コピーやスキャン時の画像データが一時的にストレージやメモリーへ保存されることを前提に、暗号化や上書き消去機能を用意している。
一方、家庭用機では構成が機種ごとに違い、保存先もPC、スマートフォン、USBメモリーなどさまざまだ。
したがって、「紙幣をスキャンするとプリンターが永久にその画像を記録している」とは言えないが、「本体内部では絶対に何も保持されない」とも言えない。
少なくとも、PCへ保存したならPCにはファイルが残る。当然といえば当然だが、秘密の紙幣データベースより、まず自分で保存したJPEGの心配をした方が話は早い。

AI生成による模式図。複合機からすべての保存先へ自動・同時に送信されるという意味ではありません。画像の一時保存や保存先は機種、接続方法、設定によって異なります。
コピー機とのいたちごっこは、平成初期にはもう始まっていた
警察庁の2002年版警察白書によれば、1992年ごろの偽造銀行券は、そのほとんどがカラーコピー機で作られていたという。
その後、偽造防止対策を施したカラーコピー機が普及して偽造券はいったん減少。しかし今度は、パソコンとプリンターの普及・高性能化によって再び増えた。
つまり「プリンターが紙幣を拒否する」という仕組みは、メーカーが妙な嫌がらせをしているわけではない。コピー技術が良くなるたびに、実際に偽造へ使われてきた歴史への対策なのである。
【編集者が思うこと】
最初は俺も、「スキャンしたくらいじゃ犯罪にならんだろ。でもプリンターの中に記録されたり、どこかへ通知されたりするのか?」という機械の話だと思っていた。
ところが調べたら、面白かったのはプリンターより法律の方だった。「使わなければ偽札じゃない」という単純な話ではなく、その前に明治28年の模造取締法が待っている。しかも前衛芸術の千円札まで引っ掛かった。
一方で、「スキャンすると警察に自動通報される」という未来的な監視装置が確認できたわけでもない。機械は意外に現実的で、法律の方がよほど執念深い。結局そこが一番、この話らしい。
参考資料
家の複合機のガラス面に一万円札を置いて、「スキャン」を押したらどうなるのか。
機械が「これは紙幣だ」と見抜いて止まるのか。画像はプリンターの中に残るのか。どこかへ通報されるのか。そして一番気になるところだが、スキャンした時点でもう犯罪なのか。
偽札と知りながら店で使えば犯罪――そこまでは誰でも知っている。ところが調べてみると、その手前には「画像」「模造」「偽造」という、似ているようで別の境界線があった。
一万円札を画像にしただけで「偽札」なのか
まず意外なのは、紙幣のデジタル画像と、紙に出てきた“お札らしき物”が法律上まったく同じ扱いとは限らないことだ。
財務省は、紙幣をデジタルカメラなどで撮影した画像データをホームページやブログに掲載する行為について、その行為自体は「通貨及証券模造取締法」の取締対象ではないとしている。
スキャナーで読み取る行為そのものを名指しした説明ではないので、「スキャンなら絶対合法」とまで断定するのは乱暴だ。しかし少なくとも、紙幣をデジタル画像にした瞬間、自動的に“偽札を製造した”ことになるわけではないと考える材料にはなる。

AI生成による模式図。券面は架空です。実際の紙幣画像の取り込みや複製時の挙動は、使用する機器やソフトによって異なります。
ところが「紙に出した」瞬間、別の法律が顔を出す
ここから話が妙になる。
日本には刑法の通貨偽造罪とは別に、1895年、明治28年制定の「通貨及証券模造取締法」が今も存在する。
この法律は、本物の貨幣や紙幣などと紛らわしい外観を持つ物の製造・販売を禁止している。現在の罰則は3年以下の拘禁刑だ。
つまり「店で使うつもりはないから大丈夫」と単純には言えない。財務省も、紙幣画像を印刷した場合には、この法律に抵触する可能性があると注意している。
しかも「見本」と書けば自動的にセーフ、何%か拡大すればセーフ、といった万能ルールがあるわけでもない。図柄、大きさ、材質、表示、使われ方などを総合して判断される。
紙幣の世界では、「使ったかどうか」より前の段階から法律が待っているのである。
さらに「本物として使うつもり」になると刑法へ
そして、本物の通貨として使う目的で紙幣を偽造・変造すれば、今度は刑法148条の世界になる。
通用する紙幣などを行使の目的で偽造・変造した場合、無期または3年以上の拘禁刑。実際に行使した場合なども同様だ。
ここを整理すると、「画像を作る」「紙幣に紛らわしい物を作る」「本物として使う目的で偽造する」「実際に使う」は、全部同じ一本の罪ではない。
悪いことを考える側からすれば細かい話に見えるだろうが、法律側はむしろ、その細かい段階を分けて網を張っている。

AI生成による法律上の段階を説明するイメージで、券面は架空です。デジタル画像、紙幣に似た印刷物、本物の通貨として使用・交付しようとする行為では法律上の要件が異なり、印刷物も外観や用途などから個別に判断されます。
芸術作品でも有罪になった「模型千円札」
この法律の妙な存在感を示すのが、前衛芸術家・赤瀬川原平の「模型千円札事件」だ。
赤瀬川は1963年、千円札の図様を印刷した作品を制作した。偽札を作って店で使おう、という種類の事件ではない。芸術作品や個展案内などをめぐる行為だった。
それでも通貨及証券模造取締法違反で1965年に起訴され、裁判は芸術表現をめぐる大事件へ発展。1970年、最高裁で上告が棄却され、懲役3月・執行猶予1年の有罪が確定した。
半世紀以上前の前衛芸術が、家庭用スキャナーの疑問と同じ法律へつながってくる。ここがこの話の妙なところだ。
ではプリンターは「一万円札だ」と見抜いているのか
こちらは都市伝説だけの話ではない。
各国の中央銀行が参加するグループは、パソコンやデジタル画像機器による紙幣画像の取り込み・複製を抑えるCounterfeit Deterrence System(CDS)を開発した。2004年に日本銀行が掲載したG10中央銀行総裁のリリースでは、主要なハードウェア・ソフトウェアメーカーが自主的に採用していると説明された。
そのため製品やソフトによっては、保護された紙幣画像の取り込みや複製が正常に行えない場合がある。
ただし、ここでよくある怪談が一つ崩れる。日本銀行が掲載する説明には、この技術にはPCやデジタル画像機器の使用状況を追跡する機能はないと明記されている。
つまり「一万円札を読み取った瞬間、秘密の通信が飛んで警察へ自動通報」という話とは違う。
では、スキャン画像はプリンターに記憶されるのか
これは「残る」「残らない」の二択では答えられない。
複合機は画像を処理するため、内部メモリーやストレージを一時的に使用することがある。例えばリコーは、コピーやスキャン時の画像データが一時的にストレージやメモリーへ保存されることを前提に、暗号化や上書き消去機能を用意している。
一方、家庭用機では構成が機種ごとに違い、保存先もPC、スマートフォン、USBメモリーなどさまざまだ。
したがって、「紙幣をスキャンするとプリンターが永久にその画像を記録している」とは言えないが、「本体内部では絶対に何も保持されない」とも言えない。
少なくとも、PCへ保存したならPCにはファイルが残る。当然といえば当然だが、秘密の紙幣データベースより、まず自分で保存したJPEGの心配をした方が話は早い。

AI生成による模式図。複合機からすべての保存先へ自動・同時に送信されるという意味ではありません。画像の一時保存や保存先は機種、接続方法、設定によって異なります。
コピー機とのいたちごっこは、平成初期にはもう始まっていた
警察庁の2002年版警察白書によれば、1992年ごろの偽造銀行券は、そのほとんどがカラーコピー機で作られていたという。
その後、偽造防止対策を施したカラーコピー機が普及して偽造券はいったん減少。しかし今度は、パソコンとプリンターの普及・高性能化によって再び増えた。
つまり「プリンターが紙幣を拒否する」という仕組みは、メーカーが妙な嫌がらせをしているわけではない。コピー技術が良くなるたびに、実際に偽造へ使われてきた歴史への対策なのである。
【編集者が思うこと】
最初は俺も、「スキャンしたくらいじゃ犯罪にならんだろ。でもプリンターの中に記録されたり、どこかへ通知されたりするのか?」という機械の話だと思っていた。
ところが調べたら、面白かったのはプリンターより法律の方だった。「使わなければ偽札じゃない」という単純な話ではなく、その前に明治28年の模造取締法が待っている。しかも前衛芸術の千円札まで引っ掛かった。
一方で、「スキャンすると警察に自動通報される」という未来的な監視装置が確認できたわけでもない。機械は意外に現実的で、法律の方がよほど執念深い。結局そこが一番、この話らしい。
