初代フェアレディZ、S30を見ると、どうしても1960年代の欧州スポーツカーを思い出す。長いノーズ、後ろへ寄せたキャビン、なだらかに落ちるファストバック。中でもジャガーEタイプとの類似は昔から語られてきた。
では、ZはEタイプを日本流に安く作ったクルマだったのか。調べてみると、話はそんな単純ではなかった。むしろ日産が真似しようとしたのは「形」より、欧州スポーツカーが成立させていた世界そのものだったように見える。
フェアレディZの歴史・全3回
初代S30がなぜ生まれ、アメリカで成功したのか。そこからZ31・Z32へと姿を変え、一度途絶えたZがZ33で復活し、現在へどうつながったのか。フェアレディZの変化と、残り続けた思想を全3回で追います。
- 第1回: フェアレディZはジャガーEタイプの真似だった? 初代240Zが生まれた理由
- 第2回: 準備中 公開予定
- 完結編: 準備中 公開予定
そもそも、Z以前のフェアレディは遅くなかった
Zの前身にあたるフェアレディ2000、SR311は1967年に登場した。1982ccのU20型直4は国内仕様で145ps、車重910kg、最高速度205km/h。日産によれば日本車初の200km/hオーバーカーで、第4回日本グランプリのGTクラスでは1~3位を独占している。
つまり「フェアレディでは性能不足だからZを作った」という話ではない。SR311はすでに十分どころか、当時としてはかなり速かった。問題は別にあった。オープン2座、後輪はリーフスプリング。小さく軽快なスポーツカーとしては魅力的だが、広大なアメリカを高速で長距離移動する商品として考えれば、もっと快適で実用的な形が欲しくなる。

AI生成による比較イメージです。SR311からS30への用途・車格の変化を示したもので、特定年式・グレードの純正仕様を完全再現したものではありません。
松尾良彦が狙ったのは「少量生産の名車」ではなかった
初代Zの開発を率いた松尾良彦は後年、自動車技術会誌で、学生時代から「本格派高性能スポーツカーを米国でヒットさせ、少量ではなく量販する」ことが夢だったと回想している。1960年代半ばからコンセプトを作り、北米日産の片山豊との出会いによって実現へ向かった。
ここが重要だ。目標は「日本にも高級スポーツカーを一台作る」ではない。少なくとも松尾の構想では、最初から「アメリカで量販する」ことまで視野に入っていた。
日産自身も初代Zについて、高い信頼性、優れた動力性能、そして「誰でも手に届く価格」が成功の理由だったとしている。北米向けには240Zを名乗り、1970年に発売された。

1970年前後の北米市場をイメージしたAI生成画像です。特定の販売店や実在の一場面を再現したものではありません。
Eタイプのコピー? 似ているのは事実、だがそれだけではない
ジャガーEタイプは、ロングノーズと低い車高を持つ1960年代スポーツカーの象徴だった。ポルシェ911などと並び、北米でも強い存在感があった。当然、日産が欧州車を意識しなかったと考える方が不自然である。
一方で、確認できる開発史料から「EタイプをコピーしてZを作った」とまでは言えない。日産もS30について、欧州型スポーツカーの楽しさを手頃な価格で提供したモデルという趣旨で説明しているし、デザインそのものは日産社内チームによるものだった。
BMW 507で知られるアルブレヒト・フォン・ゲルツを「240Zのデザイナー」とする説も長く語られた。しかし、日産が後年示した見解では、240Zは日産デザインスタッフの作品。ただし、ゲルツが日産在籍時に行った仕事から担当者たちが影響を受けたことまでは認めている。
要するに、完全コピーでも完全な真空状態からのオリジナルでもない。当時の欧州GTという教科書を読みながら、アメリカで量販できる答えへ作り替えた――この見方が一番無理がない。
2000GTと並べると、Zの異様さが見えてくる
同時代の日本にはトヨタ2000GTもあった。1967年発売、1970年までの生産は337台。対して初代Zは1978年までに世界で52万台以上を販売した。
もちろん価格も販売期間も目的も違い、片方は世界販売、片方は総生産なので、優劣を比べる数字ではない。それでも台数だけを単純に割れば、約1540倍である。
2000GTが「日本にも世界級のGTを作れる」と見せたクルマなら、Zはそれとは別方向だった。世界級に見えるスポーツGTを、工業製品として大量に作り、大量に売ってしまった。ここにZの本当の怖さがある。
売れすぎたZは、次第にもっとGTになっていく
S30は従来のフェアレディを捨てたように見えるが、日産自身は「オープンスポーツから、居住性を高めてクルージングできるGTへ劇的に変化した」と説明している。しかも世界販売は52万台以上。その大成功を受け、1978年の2代目S130では室内をさらに広げ、4輪ディスクブレーキを採用し、快適性と使いやすさを強めた。
後世の旧車好きから見ると「S30の軽快なスポーツカーが、S130で豪華なGTになった」と言いたくなる。だが初代から調べると少し違う。Zは最初からGT志向だった。それが売れたので、2代目ではさらにGTへ振ったとも読めるのである。

AI生成による世代比較イメージです。S30からS130への大型化・GT化を示したもので、特定年式・グレードの純正仕様を完全再現したものではありません。
【編集者が思うこと】
俺は最初、初代ZとEタイプを並べて「まあ、影響は受けてるよな」と思っていた。でも調べるほど気になったのは形より商売の方だった。速いクルマならSR311がすでにあったし、豪華な国産GTなら2000GTもあった。それなのに日産がやったのは、アメリカ人が普通に買って、遠くまで走って、荷物まで積めるスポーツカーを何十万台も売ることだった。
名車というと「職人が採算度外視で作った孤高の一台」みたいな話をありがたがりがちだが、Zは逆だ。大量生産、大量販売を狙って、それでも格好良かった。結局、そこが一番すごいのではないかと思う。
参考資料
- 日産自動車「NISSAN HERITAGE COLLECTION|フェアレディ Z-L」
- 日産自動車「NISSAN HERITAGE COLLECTION|ダットサンスポーツ2000」
- 日産自動車「『フェアレディZ』:50年に亘る情熱の系譜」
- 日産自動車「NISSAN HERITAGE COLLECTION|フェアレディ 2シーター 280Z-L」
- 自動車技術会 松尾良彦「初代フェアレディZ,デザイン先行の開発」
- 三樹書房『フェアレディZストーリー―米国市場を切り拓いたスポーツカー』
- Nissan Motor Co.「Design Evolution of the 240-Z」(ゲルツ宛て日産書簡の転載)
- トヨタ自動車「トヨタ2000GTの補給部品復刻・再販売」
