フェアレディZはなぜ直6を捨て、2年で戻した? Z31から280PSのZ32へ

フェアレディZはなぜ直6を捨て、2年で戻した? Z31から280PSのZ32へ

1983年、3代目フェアレディZ・Z31は、それまでのZが積み続けてきた直列6気筒を捨て、新開発のV6へ切り替えた。ところが約2年後、日産はZに直6を戻している。

だったら最初から直6でよかったのではないか。調べてみると、Z31は「V6化に失敗して直6へ戻った」のではなかった。むしろこの時代の日産は、Zの中で直6とV6を同時に使い分け、最後はZ32で3L V6一本へ整理している。Z史の中でも、かなり妙な6年間である。

フェアレディZの歴史・全3回

初代S30がなぜ生まれ、アメリカで成功したのか。そこからZ31・Z32へと姿を変え、一度途絶えたZがZ33で復活し、現在へどうつながったのか。フェアレディZの変化と、残り続けた思想を全3回で追います。

1983年、Zは直6をいったん捨てた

Z31は1983年9月に登場した。初代S30、2代目S130まで続いたL型直6に代わり、2.0Lと3.0Lの新型VG系V6を採用。日産は、よりコンパクトなV6によって重量配分を改善し、運動性能を高めたと説明している。

国内の2.0LターボはVG20ETで170PS、3.0LターボのVG30ETは230PS。さらにCd値0.31、消灯時にもレンズの一部が見えるパラレルライジングヘッドランプなど、Z31はエンジンも姿も一気に1980年代へ進んだ。

しかも「V6化してGTになったから軟弱になった」と片付けるのも雑だ。VG30ETを積む300ZXは1985年の全日本ラリー選手権へ途中参戦しながらシリーズチャンピオンを獲得している。V6のZは、ちゃんと競技でも結果を出していた。


1983年に登場したZ31型フェアレディZ 300ZXをイメージしたAI生成画像
1983年に登場したZ31型フェアレディZをイメージしたAI生成画像です。特定年式・グレードの純正仕様を完全再現したものではありません。

ところが1985年、直6の200ZRが出てくる

話がおかしくなるのは1985年10月だ。追加された200ZRは、2.0LのRB20DETを搭載した。DOHC24バルブ、ターボ、インタークーラー付きの新世代直列6気筒で、最高出力は180PS。

つまり、「直6からV6へ全面転換したZ」に、わずか約2年で直6が復活した。しかもL型を引っ張り出したわけではない。スカイラインにも搭載されたばかりの新型RBを入れてきたのである。

ではVGは失敗だったのか。1986年のマイナーチェンジを見ると、どうも違う。2.0Lスポーツ系はRB20DETの200ZRへ整理された一方、3.0LにはV6 DOHC24バルブのVG30DEを積む300ZRが追加された。VG30DEは190PS、VG30ETターボも残る。

後期Z31は「直6へ逆戻り」ではなく、2Lのスポーツ系にRB直6、3Lの上級系にVG V6という使い分けをしたと見る方が実態に近い。

旧車の馬力を並べるときは、数字に罠がある

ここでスペック表だけ眺めると妙なことになる。前期300ZXは230PSなのに、後期VG30ETは195PS、200ZRは180PS。「マイナーチェンジで遅くなったのか?」と思いたくなる。

だが1985年頃は、国産車の出力表示がグロス値から、補機類を装着した実車に近いネット値へ切り替わった時期。日産自身も200ZRについて、表示方式変更により数字が従来より約15%低く表れると説明している。

したがって、Z31の230PSと後年の180PS、195PSを額面だけで比べるのは危険だ。この辺は昔のカタログスペックを並べる時の、地味だが重要な落とし穴である。


Z31世代のV6搭載車とRB20DET直6搭載車を対比したAI生成イメージ
Z31世代にV6搭載車とRB20DET直6搭載車が共存したことを表現したAI生成比較イメージです。車両の細部は特定年式・グレードの純正仕様を完全再現したものではありません。

Z32になると、今度こそ直6は完全に消えた

1989年7月、4代目Z32が登場する。ここでは2.0Lそのものがなくなり、エンジンは3.0L V6へ一本化された。自然吸気VG30DEが230PS、ツインターボのVG30DETTは280PS。

しかも変わったのはエンジンだけではない。Z31までのロングノーズ感を薄め、キャビンを前へ出したワイド&ローのボディへ一変。2シーター同士ならZ31後期300ZRに対して、Z32は全長を95mm短くしながら全幅は65mm広く、全高は45mm低くなった。

つまり「巨大化した」というより、短く、広く、低くしたのである。あの突然スーパーカーっぽくなった姿には、ちゃんと寸法上の理由がある。

280PSだけでなく、足回りまで全部盛りだった

Z32ツインターボの280PSばかりが有名だが、日産が投入したのは馬力だけではない。4輪マルチリンク、スーパーHICAS、フロントのアルミ製対向4ピストンブレーキなど、当時の日産が持っていたシャシー技術をまとめて載せた。

Z32は、日産が「1990年までに動性能世界一」を目指した901活動から生まれた一台でもある。同じ時代にはR32スカイライン/GT-RやP10プリメーラが登場している。Z32の280PSは、単なる馬力競争というより、あの時代の日産が本気で「世界級」を狙っていた結果だった。

その代わり重量は増えた。前期Z31の300ZX 2シーターは1325kg。Z32の2シーター・ツインターボ5MTは1510kg。単純計算で185kg、約14%増である。

初代240Z的な「軽さとシンプルさ」とはかなり遠い。Z32は軽量化だけで速くするのではなく、パワー、サスペンション、電子制御、ブレーキを積み上げて性能を作るZになった。


Z31型とZ32型フェアレディZのプロポーション変化を比較したAI生成イメージ
Z31型からZ32型へのプロポーション変化を表現したAI生成比較イメージです。実寸比較図ではなく、車両も特定年式・グレードの純正仕様を完全再現したものではありません。

そして2000年、最強クラスまで行ったZがいったん消える

Z32は1989年から長期生産され、2000年8月に生産終了。フェアレディZの系譜はいったん途切れた。

ただし、「重く複雑になりすぎたからZは滅びた」と一言で片付けるのも危ない。日産自身が経営再建へ入った時代でもあり、Z32は10年以上生産された長寿モデルだった。高性能化そのものだけを原因と断定できる材料はない。

むしろ面白いのは、その終幕より少し前から日産社内で次のZをもっと小さくできないかという模索が始まっていたことだ。

日産ヘリテージには、1990年代半ばに作られたZ33先行検討車が残っている。ベースはS14型240SX/シルビア。2.4L直4のKA24DEを200PSへ高め、フロントミッドシップ化した一台物だった。1997年には片山豊も試乗したとされる。

280PSツインターボまで行き着いたZの次を考える時、日産は一度「もっと小さく、もっと単純なZでもいいのではないか」という方向まで戻っていたのである。

そして2002年、本当にZは復活する。だがそれは次回の話だ。

【編集者が思うこと】

俺はZ31を「ZがV6になった世代」とだけ覚えていた。ところが調べたら、そのZ31の途中でRB直6をわざわざ戻している。これが妙に引っ掛かった。

直6を守るのがZらしさなら、最初から捨てなければいい。逆にV6こそ正解なら、なぜRBを積むのか。結局この時代の日産は、伝統を守るというより使えるものは全部試していたのだと思う。

そして最後は3L V6ツインターボ280PS、電子制御も足回りも全部載せのZ32へ行く。その一方で、1990年代半ばには4気筒の小さな次期Zまで試している。節操がないと言えば節操がない。でも、こういう迷走寸前の試行錯誤から名車が出るのも、昭和末期から平成初期の日産らしいところだった気がする。

参考資料

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