1983年秋、三菱は東京モーターショーに「スタリオン4WDラリー」を出展した。最高出力350PS、フルタイム4WD。グループBで世界ラリー選手権(WRC)を戦うための試作車だった。
ところが、この350馬力のスタリオンは、正式なグループB公認を取得することなく計画終了となった。いわゆる「幻のラリーカー」である。
しかし、三菱の公式競技記録を調べると話が違ってくる。1984年にはフランスでクラス優勝。1986年には香港~北京ラリーで総合2位を獲得していた。
グループBでは走れなかったのに、ラリーには出場して、しかも結果を残していた。いったいどこまでが「幻」なのか?
4WDが必要だった理由は、1982年の4分差にあった
スタリオン4WD誕生の背景には、先代ワークスマシン、ランサーEX2000ターボの経験がある。
1982年8月のWRC・1000湖ラリーで、ランサーEXはペンティ・アイリッカラの運転により総合3位を獲得した。ところが1位と2位を独占した4WDのアウディ・クワトロとは、4分以上の差があった。
三菱の公式モータースポーツ史によれば、この結果から開発陣は、2WDのまま戦闘力を高め続けることの限界を認識し、新しい4WDラリーカーが必要だと判断した。
そこで愛知県岡崎市の乗用車技術センターで開発が進められたのが、スタリオン4WDラリーだった。
1983年10月28日から11月8日まで開催された第25回東京モーターショーで試作車が公開された。市販スタリオンのリトラクタブルライトとは異なる固定式の丸型ライト、短縮されたフロント部分、幅広い車体など、外観からして普通のスタリオンとは別物だった。
三樹書房が紹介する当時のショー資料には、CFRP製のプロペラシャフトやサスペンション部品、FRP製のボディ外板など、軽量化を狙った構造も記録されている。
350馬力なのに、排気量が資料によって違う
ところが、諸元を調べていて妙なことに気づいた。
三菱自動車の公式モータースポーツ史では、スタリオン4WDラリーのエンジンは4G63型SOHCターボ、排気量2,140cc、最高出力350PSとされている。
一方、三樹書房が紹介する1983年の東京モーターショー資料では、1,997cc、350PS、車両重量960kgとなっている。
さらに両資料を照合すると、全長にも違いがある。1983年の展示資料は4,280mmだが、三菱公式モータースポーツ史では4,170mmだ。
| 資料 | 排気量 | 全長 | 最高出力 |
|---|---|---|---|
| 1983年ショー資料の紹介 | 1,997cc | 4,280mm | 350PS |
| 三菱公式モータースポーツ史 | 2,140cc | 4,170mm | 350PS |
※いずれもスタリオン4WDラリーに関する掲載値。資料の対象時期や車両仕様が完全に同じとは限らない。
試作・開発段階で排気量や車体仕様が変更された可能性はある。しかし、今回確認できた資料だけでは、いつ、どの仕様に変更されたのかを確定できない。
興味深いのは、ここからだ。
2,140ccを1.4倍すると、わずか4ccの余裕しかない
1983年のFIA競技規則「Appendix J」には、ターボなどの過給エンジンの排気量を1.4倍し、競技上の排気量区分を決める規定がある。
これを三菱公式車史にある2,140ccへ適用すると、次のようになる。
2,140cc × 1.4 = 2,996cc
つまり、1983年規則に従って計算すると、3,000cc区分の上限まで残りわずか4ccだ。
同じ規則では、3,000cc以下のグループB車の最低重量は960kgと定められていた。そして1983年のスタリオン4WDラリーのショー資料に記された車両重量も960kgだった。
一方、1,997ccを同じ規則で換算すると2,795.8ccとなり、こちらも3,000cc以下の区分に入る。
2,140ccという仕様は、当時の3,000cc区分の上限近くに収まる排気量だった。
この数字を見ると、競技規則を意識した排気量設定だった可能性が浮かぶ。ただし、三菱の開発陣がこの上限を狙って2,140ccに設定したという直接の証言は確認できない。規則と数値が符合することと、設計意図が証明されたことは別である。
また、ショー資料の960kgを、すべての実戦仕様の重量として扱うこともできない。
ミルピストで優勝、香港~北京では総合2位
では、スタリオン4WDラリーはどこを走ったのか。三菱の公式競技史を基準に、主な記録を時系列で整理した。
| 年 | 競技・出来事 | 記録 |
|---|---|---|
| 1983年 | 東京モーターショー | 試作車公開 |
| 1984年8月 | ミルピストラリー(フランス) | プロトタイプクラス優勝 |
| 1984年 | RACラリー(英国) | 特設クラスで試験的に出場 |
| 1985年 | マレーシアラリー・Sクラス | オーバーヒートでリタイア |
| 1986年 | 香港~北京ラリー | 総合2位 |
| 1987年 | 香港~北京ラリー | 出場 |
※三菱公式モータースポーツ史を基準に整理。試作車が出走可能なクラスと、グループB公認車によるWRC正式参戦は区別している。RACへの出場もグループB公認取得を意味しない。
初実戦となった1984年のミルピストラリーでは、サスペンショントラブルを乗り越えてクラス優勝を記録した。同年のRACにもテストを兼ねて出場している。
1985年には旋回性能の改善を狙って新しいセンターディファレンシャル方式を投入したが、マレーシアラリーではエンジンのオーバーヒートによりリタイアした。
その後も開発と出場は続き、1986年の香港~北京ラリーでは総合2位。これが三菱公式史に記されたスタリオン4WDラリーの最上位成績である。
「幻」だったのは、実戦そのものではない。目指していたグループB公認車としてのWRC本格参戦だった。
なぜグループB公認を取れなかったのか
グループBは、競技専用車を1台作れば自由に参戦できるカテゴリーではなかった。
1983年のFIA規則では、ホモロゲーション取得の基本条件として、12か月以内に同一仕様の車両を少なくとも200台生産することが求められていた。
三菱も公認取得に向けた市販仕様の開発を進めていたが、スタリオン4WDラリーは結局、グループB公認を取得できなかった。
そして1986年5月、WRCツール・ド・コルスでのランチアの死亡事故を受け、グループBは同年限りで終了することになる。三菱のWRC本格参戦計画も取り消された。
ただし、公認取得の遅れをすべて1986年の事故だけで説明することはできない。それ以前から車両の開発と市販化計画には時間がかかっていた。
また、1987年のヒマラヤンラリーで篠塚建次郎が総合優勝した「スタリオン ターボ」は、三菱公式史でも350PSの4WDラリーとは別の車両として掲載されている。この優勝をスタリオン4WDの戦績に加えるのは誤りだ。
350馬力の試作車は、結局何を残したのか
三菱はスタリオン4WDラリーの経験を、その後の4WDターボ開発の礎と位置付けている。
実際、1987年にはフルタイム4WDのギャランVR-4が登場し、1988年からWRCへ投入された。1989年にはギャランVR-4がWRCで総合優勝を記録する。
ただし、スタリオンの試作部品がそのままギャランに移植されたといった具体的な技術継承までは、今回の資料から確認できない。
スタリオン4WDは、世界のグループB勢と正式な同条件で戦う機会こそ得られなかった。しかし、4WDラリーカーの開発、実戦での故障と改良、海外イベントでの入賞という経験は確かに残した。
350PSのスタリオンは、存在しなかった名車ではない。目指した舞台に間に合わなかった競技車だった。
【編集者が思うこと】
スタリオン4WDラリーというと、「グループBに出られなかった幻の350馬力マシン」で話が終わりがちだ。でも調べてみたら、フランスでクラス優勝しているし、香港~北京では総合2位。思っていた以上に走っていた。
俺がいちばん引っかかったのは、実は350馬力より2,140ccという中途半端な排気量だ。FIA規則で1.4倍すると2,996cc。ここまで3,000ccに近いと、技術屋が何も考えずに設定した数字とは思いにくい。
もちろん、そういう意図だったと証明できたわけではない。でも、こういう数字の妙を見つけると、昔のカタログを読むのがやめられなくなる。
それにしても、グループB公認を取れず、そのカテゴリー自体も終わってしまったというのは惜しい。正式に参戦していたら勝てたのか、それともプジョーやランチアに歯が立たなかったのか。それだけは、いくら資料を探しても答えが出ない。
ただ、「走らなかった幻のマシン」と言ってしまうのは違うだろう。結果を残したラリーがあるのだから。
本編で追ったスタリオンの歴史とは別に、特別編では石原プロのガルウイング・スタリオンも取り上げたい。あちらはラリーとは別方向に突き抜けた、もう一つのスタリオンだ。
スタリオン 5部作
1982年の誕生と開発思想、200馬力のDASH、限定GSR-VRと最終型2.6L、幻の4WDラリー、そしてガルウイング仕様まで。本編4記事+特別編1記事で検証します。
- 第1回: スタリオンは本来もっと小さい車だった? 1982年の三菱FRクーペを変えた北米の注文
- 第2回: スタリオンはなぜ吸気バルブを1本休ませた? 1984年「DASH 3×2」200馬力の仕掛け
- 第3回: 排気量28%増で、たった5馬力!? スタリオンGSR-VRはなぜ2.6Lになったのか
- 完結編: 「幻」なのに総合2位!? 350馬力のスタリオン4WDは、どこまで走ったのか
- 特別編: 準備中 公開予定
ちょっと分かりにくい用語
- ホモロゲーション
- 競技車両が定められた規則に適合していることを認める公認制度。1983年のグループB基本規定では、指定期間内に同一仕様の車両を200台以上生産することが条件だった。
参考資料
- 三菱自動車「世界ラリー選手権 1981–1987」(スタリオン4WDラリーの350PS・2,140cc仕様、開発経緯、ミルピスト、RAC、マレーシア、香港~北京ラリーの記録)
- 三樹書房 M-BASE「第141回 三菱スタリオン-1」(1983年東京モーターショー資料の紹介。1,997cc・350PS・960kgおよび車体構造・全長)
- FIA/FISA「Appendix J to the International Sporting Code, 1983」(過給エンジンの排気量換算係数1.4、グループBの最低重量、200台の公認条件)
- 東京モーターショー公式「第25回 東京モーターショー 1983」(1983年10月28日~11月8日の開催記録)
- Webモーターマガジン「ランサーエボリューション以前の三菱のモータースポーツ活動(後編)」(スタリオン4WDラリーの開発、ミルピストのプロトタイプクラス優勝、RACへの試験参戦と公認取得の遅れ)
- 三菱自動車「世界ラリー選手権 1988–1992」(ギャランVR-4のWRC参戦と、その後の競技実績)
