スタリオンは本来もっと小さい車だった? 1982年の三菱FRクーペを変えた北米の注文

スタリオンは本来もっと小さい車だった? 1982年の三菱FRクーペを変えた北米の注文

1982年5月14日、三菱は新型FRスポーツクーペ「スタリオン」を発売した。全長4,400mm、全幅1,685mm。リトラクタブルヘッドライトに鋭いスラントノーズ、そして2.0Lターボ。当時の三菱が持てる技術を投入した、いかにも1980年代らしい一台だった。

ところが開発の経緯を調べると、意外な事実にぶつかった。スタリオンは最初から、この大きさのスポーツクーペとして企画されていたわけではない。

当初はランサーセレステの後継として検討されていた。それが北米の事情によって車格を上げ、世界市場を狙うモデルへ変わったという。なぜ、そんなことになったのか。

最初は「セレステII」になるはずだった

スタリオンの外観を担当した三菱のデザイナー、青木秀敏氏は、2022年の『Motor-Fan』のインタビューで開発初期の事情を語っている。

当初の構想は、ランサーEXの部品や基本構成を利用したセレステ後継車だった。ところが、提携先の米国クライスラーから、より大きくスポーティな車を望む意向が示され、ギャラン系をベースとする方向へ変更された。青木氏の記憶では、この転換は1978年6月ごろだったという。

実際にGAZOOの車種解説でも、スタリオンはギャランΛ(ラムダ)の部品を流用したスポーツスペシャリティとして説明されている。

つまりスタリオンは、セレステの後継構想から出発しながら、より上級の国際的なスポーツクーペへ企画が変化した車だった。


1982年型三菱スタリオンのナローボディをイメージした赤いスポーツクーペのイラスト
1982年型スタリオンをイメージした創作イラスト。ミラーやバンパーなど一部の細部は、発売当時の国内仕様と異なります。

西ドイツ車を意識しながら、姿はアメリカンだった

当時の開発経緯を記録した三樹書房の資料によれば、スタリオンの本格的な開発プロジェクトは1978年秋に始まった。目標には、200km/hを超える高速巡航性能や、西ドイツの同クラス車に対抗する性能が含まれていた。

ポルシェ924ターボを仮想ライバルとする説もある。ただし、今回確認できた資料では、その車種を三菱が公式に開発目標として指定したところまでは裏付けられない。

面白いのは、青木氏自身が特定の車を超えることよりも、北米のマッスルカーのような力強さを意識したと語っていることだ。

あの角張った姿にも裏話がある。当初は後部をもっと絞り込んだ形状だったが、久保富夫社長の意向で変更されたという。鋭い直線だけで成立したデザインではなく、社内の判断や北米市場の要求も反映されていた。

1981年に予定されていた発売が1982年へ延びた事情についても、資料によってターボ車の認可問題と第二次オイルショックの影響が挙げられている。どちらか一方だけが原因だったとは断定できない。

たった8万5,000円で、足回りまで変わった

1982年発売時のスタリオンには、自然吸気のGXとターボのGSR系が存在した。当時のカタログ記録から、5速MT車の代表的な3グレードを抜き出してみた。

グレード 最高出力 当時の価格
GX 110PS 173万円
GSR-I 145PS 181.5万円
GSR-X 145PS 273.5万円

※いずれも1982年発売時の国内5速MT仕様。当時のカタログ値による比較。

GXからGSR-Iへの価格差は、わずか8万5,000円。率にして約4.9%の上乗せで、最高出力は35PS、約31.8%増える。

しかも違いはエンジンだけではない。GXの後輪は4リンク式リジッドアクスルだが、ターボのGSR系には4輪独立懸架を採用。GXでは通常のディスクだった後輪ブレーキも、GSR系では放熱性を高めたベンチレーテッドディスクとなる。


リジッドアクスルと独立懸架の一般的な後輪サスペンション構造を左右に比較した模式イラスト
リジッドアクスル(左)と独立懸架(右)の一般的な構造比較。実際のスタリオンGXは4リンク式リジッドで、左図の板ばね式とは異なります。右図もGSR系の実車構造を忠実に再現したものではありません。

一方、GSR-Iから最上級のGSR-Xへ上げると、同じ145PSなのに92万円、約50.7%も高くなる。GSR-Xには電子メーターなどの豪華装備が用意されていた。

走りの基本性能は比較的手の届くGSR-Iで提供し、上級グレードでは装備と高級感に大きな価格を付けていた。 この価格構成からも、スタリオンが単なる軽量スポーツカーではなく、スペシャリティGTとして企画されたことが読み取れる。

日本では145馬力、輸出仕様では170馬力だった

もう一つ、1982年当時の国内用と輸出用カタログを比較すると面白いことが分かる。

項目 国内ターボ仕様 輸出用2.0L仕様
最高出力 145PS 170PS
全幅 1,685mm 1,705mm
乗車定員 5人 4人
最高速度 180km/h(リミッター付) 220km/h(公称)

※1982年の国内カタログと輸出用英文カタログの比較。輸出用数値は全地域共通仕様を意味しない。また、出力の測定条件が完全に同一か確認できないため、25PS差のすべてを機械的な仕様差とは断定しない。

国内仕様は5ナンバー枠に収まる1,685mmだが、輸出用は20mm広い。さらに輸出用カタログには最高速度220km/hと記載され、開発段階の200km/h超という目標とも符合する。ただし、これはカタログの公称値であり、当時の実測記録を確認したものではない。

ちなみに同じ1982年2月、トヨタが発売したセリカXX 2000Gターボも145PSだった。こちらは2.0L直列6気筒ターボ。スタリオンは直列4気筒ターボで同じ出力を得ていた。145PSという数字だけで、当時のスタリオンが非力だったとは言えない。

国内向けと輸出向けで車体寸法や仕様を変え、ターボ性能にも違いを持たせていた。この時点で、スタリオンが最初から国内市場だけを見た車ではなかったことが分かる。

1982年のスタリオンが目指したもの

スタリオンは、純粋な競技用スポーツカーとして専用設計された車ではない。ギャラン系の技術を生かしながら、ターボ、4輪独立懸架、高速走行への配慮、そして上級車らしい装備を組み合わせたFRクーペだった。

そこに北米市場の要求が加わり、セレステ後継という当初の枠を超えていった。

その後、1983年には175PS、1984年には200PSへ進化する。しかし、これは発売時点の性能ではない。1982年のスタリオンを理解するには、後年の最高出力ではなく、最初の車格と商品構成を見る必要がある。

【編集者が思うこと】

スタリオンというと、どうしても後期のワイドフェンダーが張り出したGSR-VRの印象が強い。でも初期型を調べると、話がずいぶん違ってくる。

俺が引っかかったのは、セレステ後継として出発した車が、クライスラーの意向で大きくなったというところだ。しかも国内では173万円のGXから273万5,000円のGSR-Xまで用意した。スポーツカーを作りたいのか、高級車を売りたいのか。いや、両方やりたかったんだろう。

それにしても、GSR-Iへ8万5,000円足すだけで35PS増えて足回りまで変わるとは、今見ても妙な価格設定だ。こういうところに当時の三菱の気合いが見える。

次回は1984年の200PSエンジン「DASH 3×2」。ただ馬力を上げるだけでは済まなかった、三菱らしい仕掛けを追ってみたい。


スタリオン 5部作

1982年の誕生と開発思想、200馬力のDASH、限定GSR-VRと最終型2.6L、幻の4WDラリー、そしてガルウイング仕様まで。本編4記事+特別編1記事で検証します。

ちょっと分かりにくい用語

リジッドアクスル
左右の後輪を一本の車軸構造でつなぐ懸架方式。構造が比較的単純で丈夫なのが利点。一方、独立懸架は左右の車輪が個別に上下でき、路面への追従性や乗り心地を高めやすい。ただし、それだけで操縦性能の優劣が決まるわけではない。

参考資料

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