大学教授、弁護士、そして5人殺害――西口彰は78日間、どうやって日本中を騙し続けたのか?

大学教授、弁護士、そして5人殺害――西口彰は78日間、どうやって日本中を騙し続けたのか?

詐欺師なら、人を騙して金を取る。ところが、西口彰は違った。

1963年10月から翌1964年1月までの78日間に、5人を殺害。その一方で、大学教授や弁護士を名乗り、全国を移動しながら詐欺や窃盗も繰り返していた。

さらに驚くことに、この男は逃亡中、現金入りのハンドバッグを拾得物として交番へ届けている。連続殺人の容疑者が、自分から警察官の前に現れたのだ。

人を信用させることには熱心なのに、なぜ殺人まで繰り返すのか。そもそも、この78日間でいくら手に入れていたのか。

警察庁の白書と1964年の国会会議録を調べると、単なる「変装の名人」では片づかない事件の構造が見えてきた。

78日間に殺人3件、詐欺10件、窃盗2件

まずは数字からだ。警察庁『平成12年警察白書』によると、西口は福岡、静岡、東京で計3件の強盗殺人事件を起こし、5人を殺害している。

1963年10月、福岡県で日本専売公社の集金車を襲い、職員と運転手を殺害。11月には静岡県の貸席で女性経営者とその母親を殺害。12月には東京都豊島区で弁護士を殺害した。

そして白書には、これらとは別に窃盗2件、詐欺10件が記録されている。

強盗殺人3件と詐欺・窃盗12件を合わせると、白書に記載された事件の件数は15件となる。もちろん、これは同資料に記載された範囲の集計であり、逃亡中のすべての行動を数えたものではない。

1963年10月18日から逮捕された1964年1月3日までを両端の日付込みで数えると、10月14日間、11月30日間、12月31日間、1月3日間。合計78日間になる。

事件の件数を単純平均すれば、約5.2日に1件。ただし、毎週規則正しく犯行を重ねたという意味ではない。

奪った金は80万円? 警察白書から計算すると違う

西口事件については、「約80万円を詐取した」と紹介する記事もある。しかし、その数字がどの事件を含むのか、元資料の詳しい内訳までは今回確認できなかった。

そこで、警察白書に記された金額を分類し直してみた。

事件・犯罪の区分 白書にある取得額・物品
1963年10月・福岡の強盗殺人 現金27万円
11月・静岡の強盗殺人 現金15万円
12月・東京の強盗殺人 腕時計・弁護士バッジ(金額不明)
その他の窃盗2件・詐欺10件 50万円余

福岡27万円+静岡15万円=42万円。そこへ、別の窃盗・詐欺12件で得た50万円余を加えると、白書の記載から確認できる取得額は92万円を超える。

これは当サイトによる再集計である。東京で奪われた腕時計などの評価額は含めていない。また、事件全体の損害額や、逮捕時の所持金を表す数字でもない。

つまり「約80万円」という説明だけでは、詐欺だけの金額なのか、別の犯罪を含むのか判断できない。集計対象を確認せず、白書から算出した92万円超と同列に比較することはできない。

しかも、金額が判明している強盗殺人2件だけで42万円。これらは実際に金品の奪取を伴う事件だった。なぜ殺害に及んだのか、その動機の全容までは白書の金額だけでは断定できない。


昭和38年の資料整理室をイメージした劇画。机上に事件別の紙幣、腕時計、財布、帳簿、そろばんが並ぶ
警察白書には、事件ごとに現金や腕時計などの取得品が記録されている。画像は金品の違いを表した創作イラストで、実際の証拠品・捜査員・捜査室を再現したものではない。

大学教授から弁護士へ。変えたのは顔より肩書だった

西口の逃亡生活には、もう一つ妙な特徴がある。周囲に信用させるために、社会的地位の高い職業を名乗っていたことだ。

後年の事件資料によれば、静岡県浜松市の貸席では、京都大学教授を名乗って宿泊していたとされる。教授らしい服装や振る舞いによって信用を得ていたという。

さらに東京では、実際の弁護士を殺害し、腕時計と弁護士バッジを奪っている。これは警察白書にも明記されている事実だ。

その後、熊本県玉名市では弁護士を装い、宗教家・古川泰龍の家を訪ねた。1964年2月4日の国会答弁には、実在する弁護士の名刺と別の弁護士の紹介状を利用したことまで記録されている。

ただし、東京で奪ったバッジを古川家で実際に提示したかどうかは、今回確認した資料だけでは断定できない。

ここから見えるのは、顔を別人に変えること以上に、相手が信用しそうな肩書を利用していたという特徴だ。

大学教授なら知識人として迎えられ、弁護士なら法律問題の相談相手として信用される。西口はその社会的信用に入り込んでいた。ただし、個々の被害者が何を決め手に信用したかについては、後年の証言と警察の公式記録を区別する必要がある。

連続殺人犯が、わざわざ交番に現れた

そして今回、最も引っかかったのが交番の一件だ。

1963年11月21日午後、西口は現金などの入ったハンドバッグを拾得物として交番に届けていた。

これは作り話ではない。1964年2月4日の参議院法務委員会で、警察庁刑事局長・日原正雄が調査結果として認めている。

ただし、よく語られる「指名手配の写真が貼ってある交番なのに、警察官が犯人を見抜けなかった」という説明には誤りがある。

警察庁が西口を特別手配したのは、届け出と同じ11月21日の夜。各都道府県警察で手配の措置が取られたのは翌22日以降で、その交番には特別手配写真がまだ掲示されていなかった、と国会で説明されている。

つまり、目の前に犯人が現れたことは事実。しかし、手配写真と照合できる状態だったのに見逃した、とは言えない。

なぜ西口が自分から警察へ届け出たのか。その動機までは国会答弁から確認できない。自信過剰だったのか、善良な人物に見せたかったのか。どちらも推測にすぎない。


昭和38年の交番をイメージした劇画。眼鏡の男性が現金入りハンドバッグを警察官に差し出している
1963年11月21日午後、西口は現金などの入ったハンドバッグを交番へ届けていた。国会答弁によれば、当時その交番には特別手配写真はまだ掲示されていなかった。画像は創作イラストで、実際の交番・人物・バッグの再現ではない。

詐欺師なのに、なぜ殺人まで繰り返した?

詐欺は、相手に信用させて財産を差し出させる犯罪である。一方、強盗殺人では暴力によって金品を奪い、命まで奪っている。

西口は、この両方を同じ78日間に繰り返した。

ただし、なぜ各事件で殺害に及んだのか、本人の内面まで白書の数字から読み取ることはできない。すべてが計画的だったとも、詐欺に失敗した結果だったとも断定できない。

確認できるのは、金銭を得るための詐欺・窃盗と、金品を奪う強盗殺人が並行していたという事実だ。

人を騙すためには信用が必要なのに、殺害を重ねれば捜査対象として追われる危険が増す。その矛盾した行動こそ、この事件の異様さだろう。

最後に西口を疑ったのは、弁護士の肩書ではなく、指名手配写真に写った顔を覚えていた小学5年生の少女だった。

次回は、全国を逃げ回った西口を追う警察が、逮捕の夜に何をしていたのか。国会会議録から検証する。

【編集者が思うこと】

俺が最初に思ったのは、詐欺師なら詐欺だけにしておけよ、ということだった。もちろん詐欺だって犯罪だが、人を殺すとなれば、話はまるで違う。

ところが警察白書を見ると、殺人と詐欺が交互に顔を出すような事件だった。大学教授や弁護士を名乗って信用させる一方、5人の命を奪っている。しかも交番にハンドバッグを届けたというから、ますます理解しにくい。

もう一つ妙なのが金額だ。一般向けの記事では80万円という数字も見かけるが、白書の金額を足すと92万円を超える。金の話は、何を足した数字なのかを確かめないと簡単に違ってくる。

金に貪欲な人間は昔も今もいるし、詐欺も形を変えて続いている。ただ、西口事件を「口のうまい詐欺師の大冒険」みたいに扱うのは違う。5人が殺害された事件なのだ。

信用を得るのはうまかったのに、人の命を奪う犯行まで繰り返した。その落差が一番不気味だ。どんな肩書を名乗ろうと、そこだけは消せない。

少女が止めた78日間――西口彰事件の真相・全4回

偽弁護士を疑った小学5年生の少女。少女の発見、西口彰の詐欺と逃亡、逮捕時の警察対応、そして逮捕後の古川家との関係まで、4つの視点で事件を検証します。

参考資料

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