犯人は事件5日後に死んでいた?――三億円事件と警察官の息子

犯人は事件5日後に死んでいた?――三億円事件と警察官の息子

1968年12月10日、東京・府中。白バイ警官に化けた男が、東芝従業員のボーナス約3億円を積んだ現金輸送車を奪った。銀行員4人に爆弾があると信じ込ませ、犯行はわずか数分。昭和を代表する未解決事件である。

ところが、事件からわずか5日後、ある19歳の少年が亡くなっている。父親は現職の白バイ隊員。そして少年は、警察が捜査対象として注目していた人物だった。

警察官の息子が疑われ、その少年が突然死亡した。では、警察は本当の犯人を知っていたのではないか?

当サイト制作のショート動画。事件をミステリーとして構成したもので、未確認の説や演出を含みます。以下では報道資料と照合して検証します。

なぜ19歳の少年Sが疑われたのか

少年Sは国分寺市に住み、地元の非行グループと関係があったと報じられている。そのグループは同年3月、発煙筒を使った強盗事件を起こしていたという。

三億円事件でも犯人は発煙筒を使用した。しかも少年の父は白バイ隊員。2021年のテレビ東京の番組では、事件を長年追ったジャーナリスト近藤昭二氏が、父親は交通機動隊の中隊長だったと証言している。

白バイの知識、発煙筒を使う手口、土地勘。疑われる事情はそろっていた。しかし、共通点が多いことと、実際に犯行を行ったことは別だ。

刑事が自宅を訪ねた夜、少年は死亡した

2026年3月に文春オンラインが紹介した宝島社の事件研究書によると、立川署の刑事が少年Sの自宅を訪問。応対した母親は「息子は不在」と答えたが、少年は自宅にいたとされる。そして12月15日深夜、青酸カリを飲んで死亡したという。

近藤氏は父親への直接取材についても証言している。ただし、父親が事件を隠蔽したことや、少年の死を三億円事件への関与と結び付ける決定的な証拠は、今回確認した資料にはない。

昭和43年の住宅をイメージした劇画。白バイ隊員の制服とヘルメット、窓際に立つ青年白バイ隊員の父親と19歳の少年を象徴したイメージ。実際の住宅・人物・制服を再現したものではなく、雪景色も演出である。

死亡から6日後、あの犯人写真が公開された

今回、放送局が公開した年表と報道を照合すると、奇妙な時間差が見えてくる。

  • 1968年12月10日:三億円事件発生
  • 12月15日:少年Sが死亡。事件から5日後
  • 12月21日:犯人のモンタージュ写真公開。少年の死亡から6日後
  • 1969年4月24日:名刑事・平塚八兵衛が捜査に参加。少年の死亡から130日後

あの有名な犯人写真は、すでに死亡していた別の男性の写真を流用したものだったと後年の取材で報じられ、信頼性の問題から1974年12月に正式に破棄された。

さらに近藤氏は、少年Sの存在を公にしないため、似た人物の写真を使ったとする説を語っている。ただし、写真の流用が報じられていることと、少年を守るために流用したという動機の説明は、証拠の確かさが違う。

警察が意図的に別人の顔を広めたのか。それとも、捜査上の重大な判断ミスだったのか。そこまでは確定できない。少年の死亡から写真公開まで6日という近さだけで、意図的な隠蔽が証明されるわけでもない。

「少年Sはシロ」――だが、その理由も妙だった

少年Sを犯人ではないと判断したとされる平塚八兵衛。その判断には根拠があった。

後年の事件研究書によると、三億円事件と関連が疑われた多磨農協などへの脅迫状は、少年Sの筆跡と一致しなかった。切手に付着した唾液から判定された血液型はB型とされる一方、少年はA型。また、一連の脅迫事件が起きた時期の一部には、少年が別件で身柄を拘束されていたという問題もあった。ただし、今回これらの鑑定書や拘束記録の原本までは確認できていない。

ここで引っかかった。これらは少年が一人で犯行を計画・実行したという説には不利だ。しかし、複数人が関与していた場合、別人が脅迫状を作った可能性は残る。

作家・松本清張も1975年発表の『小説 3億円事件』で複数犯説を展開した。ただし、複数犯なら矛盾を説明できるというだけで、少年の関与が立証されるわけではない。

昭和の捜査机を描いた劇画。白バイや発煙筒と、筆跡比較や血液型鑑定を象徴する資料が並ぶ少年Sを疑う事情と、犯人説に反する鑑定結果を象徴したイメージ。車両・部品・鑑定資料は実際の証拠品を再現したものではない。血液型の論点には、脅迫状の切手に付着した唾液が関係している。

警察は隠したのか、それとも捜査に失敗したのか

1975年12月11日、時効成立直後の衆議院地方行政委員会では、三億円事件の捜査失敗が議論された。片岡清一議員は、初動捜査のミスや指揮体制の問題、思い込みによる「見込み捜査」が失敗の原因ではなかったかと質問している。

2026年1月にはNHKも大量の捜査資料を入手し、180人以上の関係者を取材した検証番組を放送した。

つまり、未解決に終わった理由を「証拠がなかった」の一言で片付けることもできない。捜査で得た証拠を、警察が正しく評価できていたのかという問題が残る。

ただし、警察幹部が息子をかばって捜査を止めたと確認できる命令書や証言は、今回の資料からは見つかっていない。組織的隠蔽は疑惑であって、確定した事実ではない。

【編集者が思うこと】

実は俺自身、かつて当時の事件捜査に関わったという刑事から、警察官の息子とその父親をめぐる話を直接聞いたことがある。だから今回も、単なる都市伝説として片付ける気にはなれなかった。ただし、その話を公的な捜査記録で裏付けたわけではない。

それにしても、犯行5日後に捜査対象の少年が死亡し、6日後に別人の写真が犯人像として公開される。この順番はどうにも引っかかる。

警察が真実を隠したのか。あるいは、犯人だと思った相手を立証できず、別の犯人を探し続けたのか。

俺が知りたいのは、少年Sが怪しかったかどうかだけではない。当時の捜査本部が、彼を疑う理由と疑いを外す理由の両方を、どこまで検証したのか。結局、そこなんだよな。

三億円事件・全4回

事件5日後に死亡した警察官の息子、消えた現金と焼却説、偽白バイと逃走車両、そして警察の捜査と隠蔽疑惑。4つの視点から昭和の未解決事件を検証します。

  • 第1回: 犯人は事件5日後に死んでいた?――三億円事件と警察官の息子
  • 第2回: 3億円は父親が燃やしたのか?――煙突の煙と消えた紙幣の謎 公開予定
  • 完結編: 【完結編】警察は犯人を知っていたのか?――三億円事件、57年間の沈黙 公開予定
  • 特別編: 【特別編】偽白バイはヤマハ350R1だった!――三億円事件を旧車から追う 公開予定

参考資料

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