MR2が消えた理由は、よくある「スポーツカー冬の時代だったから」だけでは片づけにくい。
むしろ見えてくるのは、庶民でも手が届くミッドシップという企画そのものが、時代とともに成立しにくくなったという流れだ。
初代AW11、2代目SW20、そしてMR-S。名前はつながっていても、中身はかなり違う。だからこそ、なぜ消えたのかを考えるには、3世代をひとまとめにせず見た方が分かりやすい。

小さなミッドシップが特別だった時代
初代AW11の面白さは、ミッドシップというレイアウトを、遠い高級スポーツカーの世界から引きずり下ろしてきた点にあった。
大げさに言えば、「スーパーカーの構造を、現実的な価格帯で味わえる」こと自体が商品価値だった。軽く、コンパクトで、エンジンの主張も強すぎない。豪快さより、構成の妙で楽しませるクルマだった。
旧車好きに今もAW11が刺さるのは、この無理のない成り立ちにある。速さだけなら今のクルマに敵わなくても、発想そのものが面白い。

2代目で広がった夢、同時に増えた重さ
SW20になると、MR2は一気に華やかになる。低くワイドな姿になり、出力も上がり、見た目にも“小さなスーパーカー感”が強まった。
ただし、その進化は別の見方もできる。快適性も質感も性能も求めれば、当然ながら車体は重くなり、専用設計の負担も増える。初代の軽さと割り切りで成立していた世界から、少しずつ離れていったとも言える。
つまりSW20は名車でありながら、庶民のミッドシップが背負える限界も同時に見せた世代だった。

MR-Sは原点回帰だったが、時代はもう違っていた
MR2の流れを受けて登場したMR-Sは、数値だけ見ると退化のようにも見えた。ターボではなく自然吸気、クーペではなくオープン、派手な速さより軽さ重視。だが実際には、これは初代に近い発想への戻しでもあった。
問題は、その頃には市場の空気が変わっていたことだ。趣味車に求められる安全性、快適性、品質、装備は重くなり、少量販売の専用車は採算が取りづらくなる。ミッドシップは構造上、荷室や整備性、冷却、衝突対策でも不利が出やすい。
要するに、作れないから消えたのではなく、手頃な価格で続けにくくなったという見方の方がしっくりくる。

ミッドシップ絶滅の相手は、不人気ではなく採算だった
FRスポーツなら、他車種と部品を共有したり、共同開発で負担を減らしたりしやすい。実際、その後の国産スポーツカーは、単独開発よりも協業や役割分担が目立つようになる。
その流れの中で見ると、MR2系のような少量・専用設計・手頃価格のミッドシップは、どうしても立場が弱い。好きな人は濃く好きでも、量販モデルとして長く続けるには厳しかった。
ここがMR2の切ないところであり、同時に魅力でもある。売れ筋を外していたからこそ、今も語りたくなる。

それでもMR2が今も記憶に残る理由
MR2は、単に消えた車名ではない。量産メーカーが“ちょっと無茶な夢”を本気で形にできた時代の記録でもある。
今の目で見れば、効率は悪いし、万人向けでもない。だが、だからこそ旧車好きには刺さる。AW11の潔さ、SW20の華、MR-Sの軽さ。そのどれもが、違う形でミッドシップの魅力を残した。
もちろん、その後にはHonda S660という例外も現れた。それでも、手頃な価格のミッドシップが量販メーカーの商品として定着することはなかった。
MR2が消えたことは、1台の車名が終わっただけではない。庶民が当たり前の選択肢としてミッドシップを選べた時代が、少しずつ終わっていった象徴だったのかもしれない。

【編集者が思うこと】
庶民がちょっと無理すれば買える、変なクルマが減った気がする。速いのも楽しいのも今は高級車ばかり。実用車が悪いわけじゃないけど、昔みたいな「誰が買うんだこれ?」を大メーカーが本気で作る余裕、もう少しくらい残してほしい。
