なぜアメリカドラマの主人公はすぐカウンセリングに行くのか――日本人が“心の病院”を恥じる文化
海外ドラマ、とくにアメリカ作品を見ていると、ある光景が妙に多い。
刑事が事件で同僚を失えばカウンセラー。兵士が戦場から帰ればセラピスト。夫婦仲が悪くなればカップルセラピー。主人公が悪夢を見るようになれば、またカウンセリングである。
日本人の感覚では「そんなにみんな行くのか?」と思ってしまう。
もちろん、これはドラマ上の誇張もある。しかし、単なる演出だけで片づけると、日米のかなり大きな文化差を見落とす。
■アメリカでは「治療」より「メンテナンス」に近い
まず大きいのが、心理相談に対する位置づけの違いである。
アメリカでは、セラピストやカウンセラーに相談することが、日本ほど「精神的におかしくなった人が行く場所」とは限らない。
2024年の米国SAMHSAの調査では、18歳以上の22.9%、約6,010万人が過去1年間に何らかのメンタルヘルス治療を受けている。ここにはカウンセリング、外来治療、薬物療法、オンライン診療などが含まれる。
つまり少なくとも、「ごく特殊な人だけの世界」とは言いにくい。
体の調子が悪ければ医者へ行く。歯が悪ければ歯医者へ行く。精神状態が悪ければ専門家へ相談する。

こう考えれば、それほど不思議な行動ではない。
■日本には「自分で何とかする」という文化が強い
対して日本では、心理的な問題を専門家へ持っていくまでのハードルが高い。
日本のメンタルヘルス受診行動を調べた研究でも、受診を遅らせる理由として「自分自身で問題を処理したい」という傾向が強く報告されている。また、日米の大学生を比較した研究でも、日本側のほうが専門的な心理援助を求めることに消極的だった。
日本には今でも、
「そのくらい自分で乗り越えろ」
「家族や友達に相談すればいい」
「精神科なんて大げさだ」
「会社に知られたら面倒だ」
という空気が残っている。
結果として、日本では限界まで我慢してから医療機関へ行く構図になりやすい。
■ドラマを見ると文化差がよく分かる
面白いのは、この違いがドラマの脚本にもそのまま現れることである。
アメリカドラマでは主人公がセラピストの前に座り、「なぜ自分はあの時、助けられなかったのか」と心情を語る。
日本ドラマなら、その役割を担うのは居酒屋だったりする。

仕事帰りに同僚と酒を飲み、「俺さ……最近ちょっとキツいんだよ」となる。
やっていることは意外と似ている。
アメリカにはセラピストがいて、日本には居酒屋と同僚がいる。
ただし決定的な違いがある。
同僚は心理の専門家ではない。
■カウンセラーは脚本家にとっても都合がいい
もう一つ忘れてはいけないのが、ドラマ制作上の理由である。
主人公の心の中は、そのままでは視聴者には見えない。
そこでカウンセリング場面を作れば、主人公が普段は誰にも言わない恐怖、罪悪感、過去、家族への思いを自然にしゃべらせることができる。
つまりセラピストは、治療者であると同時に、主人公の内面を視聴者へ説明するための装置でもある。
だから刑事ドラマや医療ドラマ、軍人ものとの相性が非常に良い。
■「カウンセリング=負け」という感覚こそ違いなのかもしれない
日本でも「メンタルヘルス」という言葉そのものは一般化した。
企業には相談窓口があり、オンラインカウンセリングも存在する。
それでも、「俺、カウンセリングに通ってるんだ」と職場で普通に言える人は、まだそれほど多くないだろう。

ここに日米の違いが凝縮されている。
アメリカ社会にも当然スティグマは存在する。誰もが気軽に相談できる理想社会というわけでもない。
しかしドラマを比較すると、少なくとも一つの違いは見えてくる。
日本では「壊れてから行く場所」と考えがちなのに対し、アメリカ作品では「壊れないために行く場所」として描かれることが多い。
同じ人間なのだから、悩み方そのものに大差はない。
違うのは、悩みを抱えたあとに向かう場所なのかもしれない。

日本人は酒を飲み、友人に愚痴を言い、それでもダメなら一人で我慢する。
アメリカドラマの主人公は、翌週の予約を取ってセラピストの部屋へ行く。
この小さな違いを見ていると、海外ドラマは物語だけでなく、その国が「心の問題」をどう扱っているのかまで映していることが分かる。
【管理者が思うこと】
悩みを抱えて酒でごまかし、限界まで我慢するくらいなら、専門家に話した方がよほど合理的だと思う。
カウンセリングを受けることを「弱い」「恥ずかしい」と見る日本の空気は、そろそろ変わってもいいんじゃないだろうか。