「なぜ、いすゞ117クーペは『スーパーカー』の中にいたのか? コーラの王冠から探る昭和の謎」

「なぜ、いすゞ117クーペは『スーパーカー』の中にいたのか? コーラの王冠から探る昭和の謎」

1970年代のスーパーカーブームを知っている人なら、瓶のコーラを飲んだあと、王冠の裏をめくった記憶があるかもしれない。カウンタック、ミウラ、フェラーリ……何が出るかが楽しみだった。

俺にも妙な記憶が残っていた。「あのスーパーカー王冠に、いすゞ117クーペもなかったか?」

今の感覚なら、少し変な話である。117クーペは美しい名車ではあるが、V12ミッドシップでもなければ300km/h級でもない。それなのに、なぜスーパーカーの仲間にいたのだろう。

調べたら、本当に117クーペがいた

これは記憶違いではなかった。1970年代のコカ・コーラやファンタなどの王冠には、スーパーカーを中心とする世界の名車が描かれ、現在確認されている資料では全100種類とされている。

そして現存する王冠コレクションの記録には、はっきり「いすゞ117クーペ X-CJ」が確認できる。

つまり、ランボルギーニやフェラーリに混じって、117クーペが本当に王冠の中にいたのである。


昭和のスーパーカー王冠と117クーペをイメージしたAI生成イラスト
AI生成によるイメージです。実在したスーパーカー王冠の図柄や配列そのものを再現したものではありません。

ところが「スーパーカー100台」ではなかった

ここで話が面白くなる。当時の王冠を確認すると、ミウラやフェラーリだけではなく、フェアレディZ、プジョー504クーペ、MGミジェット、さらにはホンダ・アコードやダイハツ・シャルマンまで入っている。

つまり、この企画の「スーパーカー」は現在の厳密な車種分類ではない。

専門誌『LE VOLANT』も、この王冠を「スーパーカーを中心とした世界の名車」と説明している。要するに、「全部スーパーカー」ではなく、当時の少年が見て面白い、珍しい、格好いいクルマをまとめた大図鑑に近かったのだろう。

そう考えれば117だけが場違いだったわけではない。ただし、それでも117が選ばれた理由は十分にある。

117クーペは「普通の国産クーペ」ではなかった

117クーペの原型は、ジョルジェット・ジウジアーロがカロッツェリア・ギア在籍時に手掛けたデザインで、1966年のジュネーブ・モーターショーにプロトタイプが登場した。

それをいすゞが市販化し、1968年に登場したのが117クーペである。初期型は1.6L直列4気筒DOHCで120PS。最高速度は資料によって190~200km/hとされる。

しかも問題は値段だ。当時の東京地区価格は172万円。1967年発売のトヨタ2000GTが238万円だから、単純計算すると117はその約72%に達する。

2000GTのような2座の高性能GTではないのに、価格だけ見れば相当に“上の世界”だった。


いすゞ117クーペとトヨタ2000GTを並べたAI生成の比較イメージ
AI生成による比較イメージです。実車の記録写真や当時の広告写真を再現したものではありません。

しかも初期型は、本当に手で作っていた

ジウジアーロのボディラインは、当時の量産設備だけではきれいに再現するのが難しかった。いすゞ自身も、初期の117クーペについて、美しいデザインを守るため製造に手作業を用いたと説明している。

細いピラー、大きなガラス面、微妙な曲面を持つボディ。今なら「生産性が悪いので修正しましょう」で終わりそうなところを、職人仕事を入れて市販してしまった。

性能だけではなく、「そんな作り方をする国産車がある」という存在そのものがスーパーだった。

なお、王冠に記されているのは「117クーペ X-CJ」。つまり王冠が示しているのは、伝説化した1968年の初期ハンドメイド車そのものではない。117というクルマ自体のイメージが、1970年代後半まで特別なものとして残っていたと見る方が自然だろう。

昭和の「スーパーカー」は性能表だけでは決まらなかった

現代なら「何馬力か」「0-100km/hは何秒か」「最高速度はいくつか」でカテゴリーを切り分けたくなる。

しかし1970年代の少年にとっては、少し違ったのではないか。

見たことのない形をしている。外国車みたいだ。値段が高い。近所ではまず見ない。ジウジアーロなんていう外国人がデザインしたらしい――。

そういう「日常からどれだけ離れているか」も、スーパーカーの重要な条件だったように思える。


1970年代の日本の街角で少年たちが117クーペを眺めるAI生成イメージ
AI生成による1970年代のイメージです。実在した街角や当時の記録写真を再現したものではありません。

だから117クーペを「本当のスーパーカーだった」と断定する必要はない。機械的には4人乗りのGTクーペであり、カウンタックとは目的も性能も違う。

しかし、昭和のスーパーカーブームという文化の中には、確かに117クーペの居場所があった。コーラの小さな王冠は、それを半世紀後まで残していたのである。

【編集者が思うこと】

俺が引っかかったのは、やっぱり「117ってスーパーカーだったっけ?」という違和感だった。でも調べてみたら、そもそも当時の子供は今ほど厳密にクルマを分類していなかったんじゃないかと思う。速いだけじゃない。滅多に見ない、妙に低い、外国車っぽい、そして高い。それだけで十分“スーパー”だった。スペック表ばかり見るようになった今より、あの頃の方がクルマを面白がる範囲は広かったのかもしれない。

参考資料

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