河口湖駅前の「モ1号」は本当にモ1号なのか?長野で別の電車になった1929年製車体

河口湖駅前の「モ1号」は本当にモ1号なのか?長野で別の電車になった1929年製車体

河口湖駅前に、妙に古い電車が1両置かれている。茶褐色のリベットだらけの車体、正面には白い「1」。富士山麓電気鉄道のモ1号で、製造は1929年(昭和4年)である。

ここまでは「昔の電車を保存している」という普通の話だ。ところが履歴を追うと妙なことになる。いま河口湖駅前にいるモ1号は、一度「モ1号ではない別の電車」として長野県を走っている。では、目の前の車両はどこまでが本当のモ1号なのだろう。


河口湖駅前に保存されている富士山麓電気鉄道モ1号
河口湖駅前に保存されているモ1号。2026年9月、筆者撮影。

河口湖駅より21歳も年上だった

富士急行の前身、富士山麓電気鉄道は1929年6月19日、大月―富士吉田間23.6kmを開業した。このとき日本車輌で新造された開業メンバーがモ1~モ5の5両で、モ1号はそのトップナンバーである。

一方、富士吉田から河口湖まで線路が延びたのは1950年8月24日。つまり単純に年を引けば、モ1号は河口湖駅より21歳も年上になる。1929年当時、当然ながらモ1号はまだ河口湖まで走っていない。


1929年ごろの2基のパンタグラフを備えた富士山麓電気鉄道モ1形のイメージ
AI生成による時代イメージです。実際の走行地点・景観を再現したものではありません。

小さいが、山岳路線用の本気仕様

現地説明板によれば、モ1号は全長15,240mm、自重34t、定員102人。主電動機は93.25kWを4基積むので、単純合計すると373kWとなる。

そして重要なのは大きさより装備だ。国立科学博物館の産業技術史資料では、急勾配対策としてパンタグラフ2基、砂箱、重連総括制御を備えていたとされる。現地説明板には電気ブレーキも記載されている。現在の富士急行線にも最大40‰、つまり水平に1km進んで40m上がる勾配がある。昭和4年の小型電車だから牧歌的、というわけではない。山へ登るための機械だった。

1950年代、モ1号の「車体」と「中身」が別れた

問題はここからである。1950年代、モ1形は車体更新を受ける。その際、モ1号の旧車体はそのまま廃棄されず、長野県の上田丸子電鉄へ渡った。

そこで元モ1号の車体は、まずクハ251として1955年に営業入りし、後に電装されてモハ4257となった。つまり「富士山麓電気鉄道モ1号」という名前も役割も一度消え、別会社の別形式として働いたのである。


モ1号の旧車体が車体更新後に別の車両として使われる流れを示した模式イメージ
AI生成による模式イメージです。車体更新・譲渡の流れを示すもので、実際の工場作業や各時代の車両外観を厳密に再現したものではありません。

モハ4257は1983年に廃車。1955年のクハ251登場から数えれば、旧モ1号車体は上田側で28年間使用されたことになる。1929年から1950年代前半までの「元祖モ1号時代」と比べても、長野暮らしは決して短い余生ではない。

では、駅前のモ1号は「本物」なのか

ここで「結局レプリカなのか」と思ってしまうが、それも違う。国立科学博物館の資料は、上田丸子電鉄へ譲渡されていた更新前の車体を富士急が買い戻し、モ1号として整備・保存したものとしている。現地説明板では、富士急行創立60周年記念事業の一環として引き取り、整備・復元したものと説明されている。

つまり1929年のモ1号だった「車体」は本物である。しかし1929年当時の機器をすべて抱えたまま保存された車両ではない。

屋根を見ると、その違いが分かりやすい。新製時はパンタグラフ2基だったが、現在の保存車は1基。これは「完全な新製時仕様の複製」というより、各時代の履歴を抱えた車体をモ1号の姿へ戻した保存車と考えた方が実態に近い。


モ1形の2パンタグラフ時代と現在の1パンタグラフ保存状態を比較した模式イメージ
AI生成による模式イメージです。パンタグラフ数の違いを説明するための図で、灯具・台車など車体細部の位置関係は実車を厳密に再現したものではありません。

電車より下のレールのほうが古い

さらに駅前の説明には、モ1号が載っているレールに「CARNEGIE 1897」の刻印があると紹介されている。1897年製なら、1929年製のモ1号よりさらに32年古い。

昭和初期の電車を見に来たと思ったら、その足元には明治30年相当のレールがある。こういう妙なところまで仕込まれているのが、河口湖駅前のモ1号である。

会社名まで昔に戻ってきた

そして2022年4月、富士急行の鉄道事業は分社化され、運営会社名として「富士山麓電気鉄道」が復活した。モ1号が生まれた時代の社名である。

車体は山梨から長野へ渡り、別形式となり、廃車後に山梨へ帰還。鉄道事業の方も、富士急行から分社化を経て、再び「富士山麓電気鉄道」の名を掲げることになった。河口湖駅前のモ1号は、単なる97年前の電車ではなく、会社と車両の歴史が妙な形で一周してしまった保存車なのである。

【編集者が思うこと】

俺も最初は「駅前に古い電車があるな」程度だった。だが調べると、年式より車体の人生の方が面白い。名前も会社も役割も変わり、長野で28年働いて、それでも最後は「1」の番号を付けて帰ってきた。新品同様に戻すことだけが保存ではない。むしろ、この車体に残った妙にややこしい履歴こそ、モ1号を見る一番面白いところだと思う。

参考資料

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