印旛沼で殺された「小幡小平次」は実在したのか? 北斎も描いた幽霊役者の正体

印旛沼で殺された「小幡小平次」は実在したのか? 北斎も描いた幽霊役者の正体

印旛沼で殺され、沼の底へ沈められた旅役者がいたという。名は小幡小平次。死んだはずの男は江戸へ帰り、やがて幽霊となった――。

葛飾北斎まで描いた有名な男の幽霊だから、てっきり「実際の殺人事件が怪談になった」のだと思って調べ始めた。ところが、古い記録をたどるほど話がおかしくなる。殺人事件として裏付けられないだけではない。小平次という役者本人の実在まで、はっきりしないのである。

夜の印旛沼をイメージした水辺で旅役者と幽影を描いたAI生成イラスト
AI生成による伝承イメージです。小幡小平次が印旛沼で殺害されたことは史実として確認されていません。

「印旛沼で殺された話」を調べると、話が二つに割れた

江戸の事件や風聞を集めた石塚豊芥子『街談文々集要』には、小平次について複数の説が記録されている。ひとつは、旅芝居で金を貯めた小平次を友人が殺して金を奪ったという話。ところが友人が江戸へ戻ると、妻は「小平次なら昨夜帰ってきて、蚊帳の中で寝ている」と答える。

もうひとつは、下総国の印旛沼で、市川宗三郎という男に殺され、沼に埋められたという説である。しかも本文には、この件について「未詳」とある。

ここで妙なのは、現在よく語られる「金目当ての友人に印旛沼で殺された」という筋書きだ。『街談文々集要』を読む限り、「金を奪われた話」と「印旛沼で殺された話」は別の説として記録されている。後世に二つの怪談が混ざり、一本の分かりやすい物語になった可能性がある。

さらに調べると「小幡小平次という役者」が見つからない

もっと嫌な話がある。『街談文々集要』の編者・豊芥子自身も、小平次の正体を気にしていたらしい。寛文・延宝・貞享・元禄期の役者評判記を調べたうえで、「小幡小平次」という役者名が見当たらないと記している。

もちろん、記録にないから存在しなかったとは言えない。地方を回る小さな旅芝居の役者なら、名簿に残らなくても不思議ではない。しかし逆に、「実在した有名役者の殺人事件」という話を裏付ける材料にもならない。

小幡小平次をめぐる複数の伝承と印旛沼・安積沼の食い違いを表現したAI生成イラスト
AI生成による検証イメージです。印旛沼と安積沼の実景を再現したものではなく、複数の伝承の食い違いを視覚化しています。

ところが、小平次より先に「小平次そっくりの怪談」があった

では山東京伝が全部作ったのかというと、それも違う。1801年刊の一無散人『東遊奇談』には「中村吉十郎幽霊」という話が収録されている。名前は小平次ではないが、旅役者の死と、死んだはずの人物が帰ってきたかのように現れる怪異という構造がよく似ており、研究でも小平次伝承との関連が指摘されている。

その2年後の1803年、山東京伝が『復讐奇談安積沼』を刊行する。ここでは小平次は、妻お塚と密通していた安達左九郎に殺され、亡霊となって現れる。ただし舞台は千葉の印旛沼ではなく、奥州の安積沼である。

つまり殺された男の名前だけでなく、死因も、犯人も、殺害場所も動いている。史実を一本ずつ保存したというより、当時流れていた「死んだ旅役者が帰ってくる」という怪談が、小平次という人物へ次々と吸い寄せられたと考えた方が筋が通る。

実在不明の男なのに、江戸では本当に供養された

ここからが、小平次最大の怪談かもしれない。

1808年、四代目鶴屋南北の歌舞伎『彩入御伽草』で小平次が舞台に登場し、大当たりとなった。当時の記録には、初代尾上松助が病気になると「小平次の幽霊が毎夜現れる」と噂されたことまで残っている。

そして同年、両国の回向院では小平次のための施餓鬼供養が行われ、大勢の人々が押しかけたと記録されている。

考えてみれば妙である。実在したかどうかも分からない。いつ死んだのかも、どこで殺されたのかも定まらない。それなのに江戸の人々は、「祟るかもしれない死者」として現実世界で供養してしまった。

1808年の市村座の幽霊騒動と回向院の大施餓鬼を象徴的に表現したAI生成イラスト
AI生成による構成イメージです。1808年の市村座での幽霊騒動と回向院での大施餓鬼を一枚に視覚化したもので、同じ場所・同じ時刻の場面を再現したものではありません。人物や祭壇も史実上の姿を再現したものではありません。

そして北斎が「幽霊の顔」を完成させた

天保2~3年(1831~32)頃、葛飾北斎は『百物語 こはだ小平二』を制作した。蚊帳の向こうから、腐乱して白骨化した頭を覗かせるあの男である。すみだ北斎美術館は、この頭蓋表現に当時流通したオランダの解剖書などの知識が転用された可能性を指摘している。

こうして小平次には、北斎の手による強烈な「幽霊の顔」まで与えられた。

現在確認できる資料から、小幡小平次という旅役者の実在や印旛沼での殺害を史実として断定することはできない。しかし、小平次怪談そのものが江戸社会で広まり、芝居になり、供養され、北斎に描かれたことは確かである。

だから小平次の怖さは、「本当に幽霊になったのか」ではないのかもしれない。調べれば調べるほど本人が消えていくのに、幽霊だけはどんどん実体を持っていく。その逆転こそ、200年以上たった今でも妙に薄気味悪い。

【編集者が思うこと】

最初は単純に「印旛沼で殺された小平次って、本当にいたのか?」を確認するつもりだった。ところが調べたら、殺された場所は変わる、犯人も変わる、死に方も変わる。最後には「そもそも小幡小平次という役者が見つからない」ときた。

それなのに江戸では芝居が大当たりして、霊を鎮めるために供養までしている。俺は幽霊そのものより、こっちの方が怖い。人間は、話を信じる人数が増えると、実在しないかもしれない人物まで「いたこと」にできる。小平次は沼の底にいるのではなく、噂の中で生き残った男なのかもしれない。

参考資料

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