生活保護があるのになぜホームレスは存在するのか?普通の人が路上生活へ落ちていくまで

生活保護があるのに、なぜホームレスは存在するのか――人が路上へ落ちていくまで

日本には生活保護がある。
金がない。
仕事がない。
家もない。
ならば役所へ行けばいい。

理屈だけなら、そうなる。

住所がなくても生活保護は申請できるし、今日寝る場所すらない人には、一時的な宿泊支援につながる道もある。

それなのに、駅の片隅、公園、河川敷には、今も路上で暮らしている人がいる。
なぜなのか。

たぶん、ホームレスというのは、ある朝突然なるものではない。
少しずつ、普通の生活から滑り落ちていく。

最初は会社を辞める。

リストラかもしれない。
病気かもしれない。
職場の人間関係に耐えられなくなったのかもしれない。

それでも、まだ家はある。

貯金も少しある。
生活保護があるのに、なぜホームレスは存在するのか――人が路上へ落ちていくまで
「来月には仕事を探せばいい」

そう思っている。

ところが、なかなか仕事が決まらない。

通帳の数字だけが減っていく。

家賃。
電気代。
携帯代。
食費。

人間は不思議なもので、金がなくなるほど、人に会いたくなくなる。

友人から電話が来ても出ない。
親にも言えない。
「仕事、どう?」
そう聞かれるのが怖い。

そのうち家賃を一か月滞納する。
二か月になる。
督促状が来る。

まだ、この時点なら役所へ行けばいい。

しかし本人は思う。

「生活保護なんて、まだ早い」
「俺はそこまで落ちていない」
その妙なプライドが、最後の命綱を自分で切ってしまうことがある。

やがて部屋を出る。

最初の夜はネットカフェ。
生活保護があるのに、なぜホームレスは存在するのか――人が路上へ落ちていくまで
まだホームレスではないと思っている。

シャワーもある。
スマホもある。
財布には数万円ある。
翌朝、求人サイトを見る。
だから大丈夫だ。

ところがネットカフェは毎日金がかかる。

一週間、二週間。
ホテルより安いとはいえ、金は確実に消える。
そして、財布に千円札が一枚しかなくなる夜が来る。

その日、初めて駅で朝を待つ。
ベンチに座る。
生活保護があるのに、なぜホームレスは存在するのか――人が路上へ落ちていくまで
眠れない。

人の目が気になる。

電車が動き始めれば、会社員が目の前を通り過ぎていく。
少し前まで、自分もその中にいた。

その光景は、たぶん相当つらい。

それでも一晩過ごせてしまう。

すると次の日も、また同じ場所へ行く。
一晩が三日になる。
三日が一週間になる。

そして不思議なことに、人間はどんな環境にも少しずつ慣れてしまう。

公園の水道の場所を覚える。
無料で座れる場所を覚える。
雨をしのげる場所を覚える。

空き缶を集める人とも顔見知りになる。
生活保護があるのに、なぜホームレスは存在するのか――人が路上へ落ちていくまで
こうして「とりあえず一晩」が、生活になっていく。

では、ここまで来たら生活保護を受ければいい。

それでも役所へ行かない人がいる。

制度を知らない人。
役所が怖い人。
過去に相談して嫌な思いをした人。
家族へ連絡されると思い込んでいる人。
施設には入りたくない人。
酒をやめられない人。

精神的に疲れ切り、手続きそのものができなくなっている人。

そして何より、
「助けてください」
という一言が言えない人。

これは、案外大きい。

ずっと働いてきた人ほど、
生活保護を受けることを「負け」だと思ってしまうことがある。

だが本当は逆だ。
路上へ落ち切ってから立て直すより、家を失う前に助けを求めた方がずっといい。

生活保護は、人生の終着駅ではない。

落下している人を途中で受け止める安全網だ。

それでも、その網の存在を知りながら手を伸ばせない人がいる。

だからホームレスは、制度があるだけではゼロにならない。

ホームレス問題とは、単なる「金がない人」の問題ではないのだと思う。

仕事を失い、
家を失い、
人間関係を失い、

最後には、
「誰かに助けを求める力」まで失ってしまった人の問題なのだ。

そして一番怖いのは、

その始まりが、

特別な人の話ではないことだ。

ある日仕事を失い、
貯金が減り、
家賃が払えなくなり、

「まあ、今日は駅で寝ればいいか」

そう思った、その一晩。
ホームレス生活の入口は、案外、そんな静かな場所にある。

【管理者が思うこと】

他人事ではない。収入より支出が増えてきたときは、早めに役所へ相談したほうがいい。今日まで普通に暮らしていても、明日はどうなるか誰にも分からない。

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