疲れているのに、なぜ旅に出る?
仕事で疲れているなら、本来は家で静かに休んでいた方が楽だ。移動もしない。荷物も持たない。人混みに入る必要もない。単純に身体を休ませるだけなら、旅行より自宅で過ごす方が効率はいい。
ところが実際には、仕事が忙しかったときほど「どこかへ行きたい」「温泉に入りたい」「知らない町を歩きたい」と思うことがある。
疲れているのに、さらに疲れそうな旅行へ行きたくなる。
一見すると矛盾した行動だが、どうやら人が旅に求めているのは、単純な「身体の休息」だけではないようだ。

旅行で変わるのは、疲労より「頭の中」なのか
まず分けて考えたいのが、身体の疲れと、気持ちの疲れだ。
睡眠不足や長時間の仕事で身体そのものが疲れているなら、早起きして電車に乗り、観光地を歩き回る旅行は、決して楽な行動ではない。
それでも旅先から帰って「疲れたけど、行ってよかった」と感じる人は多い。
その理由のひとつとして考えられるのが、普段とは違う場所へ移動することで、仕事について考え続ける状態から離れやすくなることだ。
自宅で休んでいても、いつもの机、パソコン、スマートフォンが目に入れば、メールや締切、翌日の予定を思い出すことがある。
ところが知らない町へ行けば、駅を探す、景色を見る、店を選ぶ、食事をするなど、意識が別のものへ向く。

つまり旅行は、身体を完全に休ませるというより、日常からいったん距離を置く装置として働いているのかもしれない。
「嫌な疲れ」を「納得できる疲れ」に交換している?
ここが、この話で一番面白いところだ。
仕事の疲れと旅行の疲れは、同じ「疲れた」という言葉でも中身がかなり違う。
仕事では、決められた時間に起き、決められた場所へ行き、予定や他人の都合に合わせながら動くことが多い。
一方、旅行なら「どこへ行くか」「何を食べるか」「何時に戻るか」を、自分で選べる場面が増える。
観光地を一日中歩いて足が疲れても、仕事で残業した日の疲れとは、後味が違うことがある。
人は疲労そのものを避けたいのではなく、自分で選べない疲れから、自分で選んだ疲れへ乗り換えたいのではないか。

こう考えると、「旅行に行って余計に疲れた。でも楽しかった」という妙な感想にも納得できる。
旅行すると休日が長く感じることがある
もうひとつ面白いのが、休日の感じ方だ。
土日を家でいつも通り過ごしたあと、「もう月曜日か。休みが一瞬だった」と思った経験がある人もいるだろう。
ところが旅行へ行くと、電車に乗った、知らない町を歩いた、名物を食べた、温泉に入った、ホテルに泊まったというように、短い期間にも出来事が増える。
実際の休日の長さは同じでも、振り返ったときに多くの出来事が残るため、「ちゃんと休みを使った」という感覚が強くなることがある。
旅行は休日を長くしているのではなく、休日の中身を濃くしている、と考えることもできそうだ。
温泉旅行なのに、なぜ朝から歩き回るのか
冷静に考えると、温泉旅行というものも少し不思議だ。
疲れを取りに行ったはずなのに、朝から観光地を歩き、行列に並び、土産物店を巡る。帰りの電車ではぐったり眠ってしまう。
本当に身体だけを休ませたいなら、旅館の布団で一日寝ていればいいはずだ。
それなのに、多くの人は観光をしたがる。
そこから見えてくるのは、旅で求めているものが「何もしないこと」ではなく、普段とは違う体験をすることだからではないだろうか。

旅行は「休養」より「日常からの離脱」に近い
もちろん、本当に身体が疲れているときには、無理に遠出するより休息を優先した方がいい場合もある。旅行へ行けば必ず気分が変わる、というものでもない。
それでも仕事で疲れたときに旅へ出たくなるのは、単純に身体を休ませたいからではなく、いつもの場所、いつもの役割、いつもの時間の流れから少し離れたいからなのだろう。
だから旅行から帰った人は、ときどきこんなことを言う。
「いやあ、疲れた。でも楽しかった」
身体だけを基準にすれば矛盾している。
しかし旅行とは、疲れをゼロにする行為ではなく、いつもの疲れとは違うものに一度置き換える行為なのかもしれない。
そう考えれば、仕事でクタクタなのに次の旅行先を検索してしまう人間の行動も、それほど不思議ではない。
【編集者が思うこと】
旅って、結局かなり贅沢なストレス解消だと思う。金も時間も使うし、帰れば身体は疲れてる。でも、話のネタが増えて、嫌な記憶の存在感が少し薄れるなら安いものかもしれない。身体の疲れは休めば軽くなることも多いが、心の疲れは妙にしつこい。そこが一番厄介なんだよね。
