3億円は父親が燃やしたのか?――煙突の煙と消えた紙幣の謎

3億円は父親が燃やしたのか?――煙突の煙と消えた紙幣の謎

三億円事件で奪われた現金は、一体どこへ消えたのか。

1968年12月10日、東京・府中で奪われた約3億円。その5日後、捜査対象となっていた19歳の少年Sが青酸カリを飲んで死亡した。父親は現職の白バイ隊員だった。

そして、何とも不気味な話がある。少年の父親が、事件後に盗まれた現金を燃やしたのではないかという説だ。実は俺自身、かつて当時の捜査に関わったという刑事から、近隣住民が煙突の異様な煙を目撃したという話を聞いている。ただし、その目撃証言の原資料や正確な日時は確認できていない。

だが、約3億円もの紙幣を家庭で燃やせるのか。そして、なぜ燃やす必要があったのか?

煙突の煙は、3億円が燃えた証拠なのか

少年Sの父親が現金を焼却したという話には、「自宅の庭」「風呂釜」「煙突」といった異なる説明がある。ただし、それぞれの話の出典や関係は確認できず、同じ目撃談が形を変えて伝わった可能性もある。

今回確認できた公開資料では、目撃者本人の調書、焼却物の鑑定結果、紙幣の燃え残りなど、盗難現金の焼却を直接裏付ける資料までは確認できなかった。

ここが厄介だ。煙を見たという話が本当だったとしても、燃えていたものまで確認できたとは限らない。

紙幣だったのか、少年の遺品だったのか。それとも事件とは無関係のものだったのか。

「煙が出ていた」と「盗まれた金を燃やした」の間には、まだ証拠が必要なのである。


昭和43年の東京・多摩地域をイメージした住宅街。煙突から煙が上がる家を近隣住民が見つめている劇画イラスト
昭和43年の住宅街と、煙突から上がる煙を描いたAI生成イメージ。実際の住宅・目撃者・目撃日時を再現したものではなく、盗難現金が焼却されたことを示すものではありません。

約3億円は、重さにすると何kgになる?

ここで妙なところが気になった。3億円という数字は途方もないが、紙幣として考えたら、実際にはどれほどの量になるのだろう。

事件の被害額は2億9,430万7,500円。日本銀行によれば、現在発行されている紙幣は1枚およそ1g、厚さ約0.1mmである。

仮に3億円をすべて1万円札に置き換えて計算すると、次のようになる。

  • 3億円 ÷ 1万円 = 3万枚
  • 3万枚 × 約1g = 約30kg
  • 3万枚 × 約0.1mm = 積み重ねて約3m

ただし、これは現在の紙幣の公表値を使った単純な概算だ。実際に盗まれた現金には1万円札以外の券種も含まれていたため、正確な枚数・重量を示すものではない。

つまり、金額は巨大でも、紙そのものは数十kgという規模になる可能性がある。家庭で焼却することが物理的に絶対不可能とはいえない。

しかし、焼却できることと、実際に焼却したことは別だ。燃え残りや灰、使用した設備、日時などの裏付けがなければ、父親が紙幣を燃やした証明にはならない。

記番号が公表されたのは、被害額のわずか0.34%分

もう一つ引っかかったのが、「札の番号が警察に知られていたから、犯人は金を使えなかった」という話だ。

1969年に配布された警察の手配ポスターには、盗まれた500円札2,000枚の連続記番号が掲載されていた。1969年5月22日付の読売新聞などを参照した高木圭介氏の記事では、記番号の範囲も紹介されている。

では、この2,000枚は被害総額の何%だったのか。実際に計算してみた。

項目 金額・割合
盗まれた現金の総額 294,307,500円
手配書に連続記番号が掲載された500円札 2,000枚=1,000,000円
総額に占める割合 約0.34%
上記2,000枚以外の金額 約99.66%

なんと、手配書に連続記番号が掲載された500円札は、金額ベースで全体の約0.34%だった。

ただし、これは金額の割合であり、紙幣の枚数の割合ではない。また、残りの紙幣について、ほかの方法でも一切追跡できなかったことまで示す数字ではない。

少なくとも、盗まれた3億円のすべてについて、あらかじめ公表された紙幣番号だけで追跡できたわけではない。

番号が判明していた500円札が見つからなかったとしても、それだけで残りの現金まで使われなかったとは証明できない。

だから「使えない紙幣ばかりだったので、父親が燃やした」という説明は、そのままでは成立しない。


昭和の捜査室をイメージした劇画。捜査員が少数の古い紙幣の番号を調べ、奥には大量の札束が象徴的に積まれている
三億円事件で手配書に記番号が掲載された紙幣が、被害総額の約0.34%分だったことを象徴したAI生成イメージ。札束は実際に押収されたものではなく、紙幣の図柄・数量・捜査室・雪景色も史実の再現ではありません。

父親は警察の権力で事件を封じたのか

父親の立場も確認しておきたい。

2021年のテレビ東京の記事では、三億円事件を長年追ったジャーナリスト近藤昭二氏が、少年Sの父親は交通機動隊の中隊長で、公安勤務の経歴もあったと説明している。

近藤氏は父親へ直接取材した際、強い反発を受けたとも証言している。息子の疑惑に触れられたくなかった可能性は考えられるが、反発したこと自体は犯行隠蔽の証拠ではない。

それに、交通機動隊の中隊長だったことと、三億円事件の捜査本部に中止命令を出せる立場だったことは違う。

もし本当に父親が捜査を封じたのなら、誰に働きかけ、どの資料や証拠が、どのように扱われたのか。それを示す記録や具体的な証言が必要になる。

実際、1975年12月11日の国会審議では、初動捜査や指揮体制、見込み捜査の問題が取り上げられた。しかし、少年Sの父親による組織的隠蔽が認定されたわけではない。

警察が事件を解決できなかったことは事実。父親が警察を動かして解決を妨げたかどうかは、別の問題なのだ。

結局、3億円はどこへ消えた?

焼かれたのか、隠されたのか、少しずつ使われたのか。あるいは複数人が分けたのか。

現金の行方については、今も確実な結論を出せる資料がない。

ただ、今回の検証で一つ分かったことがある。現金を燃やすことは物理的には否定できず、反対に、紙幣の番号が分かっていたから燃やすしかなかったという説明にも根拠が乏しい。

残るのは、煙を見たとされる人物が、いつ、どこで、何を確認したのかという問題だ。

父親が焼却したという説を本気で検証するなら、まず探すべきなのは煙の量ではない。その煙について、誰が何を証言し、捜査側がどう確認したのかという記録だろう。

【編集者が思うこと】

俺は以前、当時の三億円事件を担当したという刑事から、警察官の息子と父親、現金焼却をめぐる話を直接聞いたことがある。だから今でも、単なる作り話として片付ける気にはなれない。

ただ、今回計算してみて驚いた。手配書に番号が掲載された札は、金額にしてたった0.34%。これでは「使えないから全部燃やした」という説明も、何だかおかしい。

それでも、父親が息子をかばっていたとしたら、金を残すより証拠を消すことを優先した可能性はある。もちろん、それは俺の推測であって、確認された事実ではない。

俺がどうにも気になるのは、警察官の家から煙が上がったという話より、その話を捜査本部がどう扱ったのかということだ。

煙は消える。灰も片付けられる。だが、聞き込みや捜査の記録まで最初から存在しなかったのだろうか。

結局、そこを知りたいんだよな。

三億円事件・全4回

事件5日後に死亡した警察官の息子、消えた現金と焼却説、偽白バイと逃走車両、そして警察の捜査と隠蔽疑惑。4つの視点から昭和の未解決事件を検証します。

参考資料

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です