ランエボ以前にWRCで6勝!? ギャランVR-4は、なぜ主役を譲ったのか【第3部】

ランエボ以前にWRCで6勝!? ギャランVR-4は、なぜ主役を譲ったのか【第3部】

ランサーエボリューションといえば、三菱のラリーを象徴する名車だ。しかし、そのランエボが登場する前、三菱は別の4ドアセダンで世界ラリー選手権(WRC)を戦っていた。

1987年に登場した6代目ギャランの高性能版「VR-4」である。2.0Lターボ、フルタイム4WD、4輪操舵。市販車の最高出力は205PSから240PSまで進化し、WRCでは1989〜1992年に通算6勝を記録した。

しかも最後の1992年、ギャランVR-4は次期ランサーエボリューション用の新しい4WDシステムを搭載して、WRC最終戦へ出場していた。

なぜ、ランエボほど語られないギャランが6勝もできたのか。そして、勝てる車をなぜランサーへ交代させたのか。 三菱の公式戦績と当時の市販車仕様を突き合わせると、その理由が見えてくる。

1987年、ギャランは「快適なセダン」から武闘派へ変わった

1987年10月、三菱は6代目ギャランを発売した。従来の「Σ」の名を外し、「インディビデュアル4ドア」を掲げた新型車である。逆スラントノーズ、筋肉質なフェンダー、背の高いキャビン。低く長いセダンを追求した従来型とは、明らかに違っていた。

同年12月に発売されたVR-4には、4G63型1,997cc直列4気筒DOHC16バルブ・インタークーラーターボを搭載。最高出力205PS、最大トルク30.0kg-mを発揮した。

さらに三菱は、最新技術を組み合わせた「ACTIVE FOUR(アクティブフォー)」を採用した。その中身は、4バルブDOHC、フルタイム4WD、4輪独立懸架、4WS(4輪操舵)、4ABS(4輪アンチロックブレーキ)というものだった。

4WDにはビスカスカップリング付きセンターデフを採用。4WSは後輪も操舵することで、高速走行時の安定性やコーナリング性能を高める仕組みだ。

単に大馬力のエンジンを積んだのではない。走る・曲がる・止まるを総合的に作り直したセダンだった。 この6代目ギャランは、三菱自動車として初の日本カー・オブ・ザ・イヤーも獲得している。


三菱ギャランVR-4の車体を透視し、4G63ターボエンジン、フルタイム4WDの駆動系、前後サスペンションを描いた技術解説イラスト
1987年登場のギャランVR-4に搭載されたACTIVE FOURの構成をイメージした透視イラスト。4G63ターボエンジン、フルタイム4WD、4輪独立懸架などの位置関係を表現している。画像は概念図であり、4WSの油圧機構、センターデフ、駆動軸、サスペンション部品などの正確な配置・形状は実車と異なる。

4G63は205PSから240PSへ。5年足らずで17%増

VR-4の4G63ターボは、デビュー時の205PSで完成したわけではなかった。1989年の改良で5速MT車は220PS、1990年10月には240PSへ向上する。

時期 5速MTの最高出力 初期型との差
1987年12月 205PS 基準
1989年 220PS +15PS
1990年10月 240PS +35PS

205PSから240PSへの増加率は、35÷205×100で約17.1%。排気量は同じ1,997ccのままだ。なお、後期型にも最高出力210PSのAT仕様があり、全VR-4が240PSだったわけではない。

市販車の進化と並行して、WRCのグループA競技車も改良された。三菱公式WRC史は、競技用4G63がデビュー当初から300PSを超える出力を発揮したと記している。一方、同じ公式ページの代表仕様欄では290PSと記載されており、仕様や計測条件の違いまでは確認できない。1990年にはセンターデフに新たな競技用ビスカスカップリングを導入し、1991年にも改良型を投入した。

ここで混同してはいけないのが、市販車の240PSと競技車の出力だ。グループAは量産車をベースに改造する競技規定だが、両者は同一仕様ではない。

AMG仕様は、なぜターボも4WDも捨てたのか

1989年10月には、さらに妙なギャランが登場する。「ギャランAMG」だ。西ドイツのAMGと共同開発したモデルである。

AMGと聞けば、VR-4をさらに過激にしたターボ4WDを想像するかもしれない。ところが実際は、4G63型の自然吸気DOHCエンジンを搭載したFF車だった。

最高出力は170PS。ターボ付きVR-4の同時期の5速MT仕様220PSより50PS低い。

しかし、これはAMGの失敗ではない。高回転域での性能やエンジンの応答性を重視した別方向のチューニングであり、専用の内外装も与えられていた。三菱公式は、量産車として世界初となるチタン合金製バルブスプリングリテーナの採用も紹介している。

同じ4G63を使いながら、VR-4は過給と4WDによる速さ、AMGは自然吸気のフィーリングを追求した。 ギャランという一つのセダンに、異なる高性能の考え方が同居していたのである。

WRC6勝のうち、半分の3勝はアフリカだった

1988年7月、ギャランVR-4は篠塚建次郎の運転でニュージーランドラリーにWRC初参戦。同年11月にはラリーアート・ヨーロッパもRACラリーへ出場した。

1989年、フィンランドの1000湖ラリーでミカエル・エリクソンが総合優勝。続く英国RACラリーではペンティ・アイリッカラが勝利した。

では、残る4勝はどこだったのか。三菱公式の優勝記録6件を、大会別に整理した。

年 大会・開催地域 優勝ドライバー
1989 1000湖・フィンランド M.エリクソン
1989 RAC・英国 P.アイリッカラ
1990 コートジボワール P.トジャック
1991 スウェディッシュ・スウェーデン K.エリクソン
1991 コートジボワール 篠塚建次郎
1992 コートジボワール 篠塚建次郎

欧州の3大会で3勝、コートジボワールで3勝。つまりWRC6勝の50%は、アフリカの同じラリーで記録されていた。

コートジボワールラリーは長距離の悪路を走る過酷な大会だった。欧州のラリーとは条件が異なるが、いずれもWRCの総合優勝記録である。なお、この6勝はWRCの大会優勝数であって、年間世界選手権を6回制覇したという意味ではない。

そして1991年、篠塚建次郎がコートジボワールで日本人ドライバー初のWRC総合優勝。翌1992年にも連覇を果たし、ギャランVR-4の通算勝利数を6へ伸ばした。

三菱は1990年と1991年、WRCマニュファクチャラーズ選手権で連続3位も獲得している。

6勝を一つの技術だけで説明するのは無理がある。競技用4G63の高出力化、センターデフの改良、欧州ワークスと篠塚のセミワークスという参戦体制。三菱の活動記録を並べると、車両と競技運営の両方を磨いていたことが分かる。ただし、各優勝の勝因を数字だけで切り分けることはできない。


1991年コートジボワールラリーをイメージしたゼッケン7番のギャランVR-4が、アフリカの未舗装路を砂ぼこりを上げながら走行するイラスト
1991年コートジボワールラリーで優勝したギャランVR-4を題材にした再現イラスト。篠塚建次郎/ジョン・メドウズ組は実際にゼッケン7番で参戦し、日本人ドライバー初のWRC総合優勝を達成した。画像は当時の競技車をイメージしたもので、スポンサー表示、車体装飾、走行場所、装備の細部は実際の記録写真と一致しない。

1992年、ランエボへの交代は「車体を25cm短くする」決断だった

それほどの戦績を残したVR-4が、なぜラリーの主役を降りたのか。

三菱は1992年10月、初代ランサーエボリューションを発売した。VR-4で熟成した4G63ターボとフルタイム4WDを、より小型のランサーへ移植するための車だった。

両車の代表仕様を比べると、その狙いが数字に表れる。

項目 ギャランVR-4
後期5速MT
初代ランエボ
GSR
全長 4,560mm 4,310mm
全幅 1,695mm 1,695mm
ホイールベース 2,600mm 2,500mm
最高出力 240PS 250PS

ランエボはギャランより全長250mm、約5.5%短い。ホイールベースも100mm短くなったのに、全幅は同じ1,695mm。エンジン出力は10PS増えている。

つまり、大きなセダンで磨いた高性能エンジンと4WDを、より短い車体へ詰め直す方向に進んだのである。これは寸法から見える設計上の違いであり、数値だけでラリーの速さを直接証明するものではない。

そして1992年、もう一つ見逃せない事実がある。

三菱公式WRC史によれば、ギャランVR-4最後のWRC参戦となった同年最終戦RACラリーでは、翌1993年のランサーエボリューションに採用する新しい4WDシステムを搭載し、先行実戦テストを行っていた。

ギャランVR-4は、最後のWRCで次の主役を育てるテスト車にもなっていた。

ただし、公式資料は新4WDシステムの全構成部品や試験結果までは詳述していない。1992年のRACで、後のランエボのあらゆる機構を完成させたと断定することはできない。


左側に濃いグレーの6代目ギャランVR-4、右側に白い初代ランサーエボリューションを並べた車体比較イラスト
6代目ギャランVR-4(左)と1992年登場の初代ランサーエボリューション(右)の比較イラスト。ギャランの4G63ターボとフルタイム4WD技術は、より小型のランエボへ受け継がれた。実車の全長は4,560mm対4,310mmで250mm差、ホイールベースは2,600mm対2,500mmで100mm差。画像は車格の違いを表現したもので、厳密な同一縮尺ではなく、外装の細部も実車と完全には一致しない。

勝てるギャランを捨てたのではなく、技術を次へ移した

1992年5月には市販ギャランが7代目へモデルチェンジしていた。それでも旧型VR-4の競技活動は年末まで続き、10月にはコートジボワールで通算6勝目を記録。最後のRACでは次期ランエボ用4WDを試していた。

つまりギャランVR-4の退場は、単なる敗北でも開発の行き詰まりでもなかった。大柄なセダンから小型セダンへ、4G63と4WDの技術を移して戦うという三菱の選択だった。

後に世界を席巻するランサーエボリューション。その出発点には、WRCで6勝したギャランVR-4の経験があったのである。

【編集者が思うこと】

俺が一番引っかかったのは、ギャランVR-4のWRC6勝を調べたら、その半分がコートジボワールだったことだ。フィンランドとRACの華々しい勝利ばかり印象に残るが、三菱はアフリカの過酷な大会でもしっかり勝っていた。しかも篠塚建次郎が2連勝。これはもっと語られていい。

AMG仕様も妙に面白い。VR-4より速い最強モデルなのかと思ったら、自然吸気のFFで170PS。ドイツのAMGまで呼んでおいて、馬力競争ではなく別の方向へ振る。いかにも当時の三菱らしい贅沢な話じゃないか。

それにしても、最後のRACで次期ランエボ用の4WDを試していたというのは、なかなか粋だ。WRCで勝てる車をただ引退させず、次の車を育てる仕事までさせていた。

ランエボの伝説が始まる前に、ギャランという名のセダンがそこまでやっていた。おいらには、それが今回一番の発見だった。

次回は1992年以降のギャランへ。ラリーの主役をランサーへ譲った後、三菱はギャランというセダンに何を求めたのかを追う。

ちょっと分かりにくい用語

グループA
一定台数以上生産された市販車をベースとし、規定の範囲内で改造して競う国際モータースポーツの車両区分。1980年代後半から1990年代のWRCで主要なカテゴリーとなった。

三菱ギャラン 7部作

1969年の初代コルトギャランから、ギャランΣ、WRCで活躍したVR-4、GDI技術、そして車名の消滅まで。三菱自動車を支えた名門セダンの歴史と技術、ランサーエボリューションや現在の4WD技術への継承を、全7回で検証します。

参考資料

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