富士山に登って何が楽しい? 金を払って苦しむのに、人はなぜ3776mを目指すのか

富士山に登って何が楽しい? 金を払って苦しむのに、人はなぜ3776mを目指すのか

登山好きには「愚問だ」と怒られそうだが、あえて聞きたい。富士山に登って、いったい何が楽しいのだろう。金を払い、何時間も歩き、寒さに耐え、足を痛くして、山頂に着いてもロープウェーで帰れるわけではない。今度は自分の足で降りなければならない。

温泉なら金を払えば気持ちよくなる。遊園地なら金を払えば遊ばせてくれる。ところが登山は、金を払った本人が汗をかいて働く。レジャーとして考えると、どうにも妙である。そこで今回は、登山を否定するのではなく、「人間はなぜ、わざわざ苦労する遊びに価値を感じるのか」を富士山で考えてみたい。

数字にすると、やっぱり楽な遊びではない

もっとも利用者の多い吉田ルートを例にすると、五合目は標高2305m、山頂は3776m。単純な標高差だけでも1471mある。公式の目安では登り6.8km・約6時間、下り7.0km・約4時間。つまり往復13.8km、標準歩行時間だけで約10時間である。

さらに2026年の富士登山では、全ルートで1人1回4000円の利用者負担が必要だった。入山に関する4000円だけを標準10時間で割れば、1時間あたり400円。もちろん「400円で登山を買っている」わけではないが、映画館とは正反対で、金を払ったうえで自分が10時間動く娯楽なのは確かだ。

御来光を見るなら山小屋泊も一般的になる。たとえば吉田ルート本八合目の「富士山ホテル」は、2026年の1泊2食が1万2000~1万4500円だった。これに現地までの交通費、食料、装備代が加わる。登山用品を一から用意する初心者なら、決して「安く遊べるから富士山へ」という話ではない。

富士山吉田ルートを登る登山者と長い登山道を表したイメージAI生成による解説用イメージです。実際の吉田ルートの地形・登山道を正確に再現した地図ではありません。

登山者は「歩くこと」だけを買っているわけではない

では、みんな何を求めて登っているのか。平成27年度の富士登山者調査を見ると、全ルートで最も多かった動機は「日本一高い山に登りたい」55.2%だった。次が「御来光を見たい」38.7%、「美しい自然・景観を見たい」28.5%だった。

もちろん、この調査には登山そのものを楽しむ気持ちを完全に測る選択肢があるわけではないので、「歩くのは誰も楽しくない」とは言えない。しかし面白いのは、最大の理由が「日本一高いから」だったことである。富士登山には山歩きだけでなく、「3776mまで自分で行った」という明確な目標達成型の楽しさがかなり含まれている。

しかも2026年、吉田口登山道では7月1日から9月10日までに16万6178人が数えられた。4000円を払い、長時間歩く。それでもこれだけの人がやって来る。どうやら「楽なら人が来る」という単純な話ではない。

心理学には「努力のパラドックス」という妙な話がある

ここで登場するのが、心理学で研究されている「努力のパラドックス」である。人間は基本的には努力を避けたがる一方、努力した結果をより価値あるものとして感じたり、ときには努力を必要とする行為そのものを選んだりする。この研究レビューでは、その例として登山やウルトラマラソンまで挙げられている。

これは「苦しめば苦しむほど偉い」という精神論ではない。同じ山頂でも、仮にヘリコプターで運んでもらって降ろされた場合と、何時間も自分の足で登った場合では、同じ3776m地点に立っていても体験の意味が違うだろう。苦労は登山の邪魔をしているだけではなく、その苦労自体が価値を作っている可能性がある。

富士山頂で自力登山の達成感と楽に到達した場合を対比した概念イメージAI生成による概念イメージです。実際の山頂への移動方法や、富士登山で推奨される服装・装備を示すものではありません。

御来光は、実は山頂でなくても見える

さらに妙なのが御来光だ。富士登山オフィシャルサイト自身が、「御来光は山頂でなくても見える」と案内している。吉田ルートなら五合目以上でも見ることができ、御来光目当ての登山者が集中する午前3~5時ごろは八合目以上が混雑する。

それでも「どうせなら山頂で」と考える人は多い。合理性だけなら山小屋付近で日の出を見たほうが楽で安全な場合もあるのに、わざわざ暗いうちから上を目指す。ここでは景色だけではなく、「富士山の頂上まで登って御来光を見た」という一つの物語を取りに行っているのではないか。

過去の経験を評価するとき、人は体験時間のすべてを均等には評価せず、特に強烈だった場面と終盤の印象に左右されやすいという「ピーク・エンド」の研究もある。これは富士登山そのものを実験した研究ではないので断定はできないが、寒い夜道、山頂到達、雲海からの日の出という構成は実に興味深い。

もともと富士登山は「遊び」だけではなかった

もう一つ忘れてはいけない。富士山は世界文化遺産であり、UNESCOの登録名は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」。古くから山頂を目指す登拝が行われ、江戸時代には富士講の人々も山へ向かった。

現代の登山者が宗教修行をしていると言いたいのではない。しかし、苦労して上り、日の出を見て、頂上へ到達し、また下界へ戻るという行為には、昔の「登拝」と妙に重なる部分がある。富士登山は、現代のレジャーになった巡礼のような構造も持っている――これは事実というより、資料を並べたうえでの編集者なりの見方である。

江戸時代の富士講による登拝と現代の富士登山を対比したイメージAI生成による歴史比較イメージです。特定の富士講や、実際の江戸時代の登拝風景を再現したものではありません。

「楽しい=快適」だと思うと、富士登山は理解できない

結局、最初の疑問に戻る。「金を使って辛いだけだろ」は、半分くらい正しい。富士登山は長時間歩くし、寒いこともあるし、金もかかる。快適性だけで評価すれば、もっと楽な休日はいくらでもある。

ただ、登山で買っているものは快適さではないらしい。目標を決め、自分でそこまで行き、途中で嫌になる瞬間も含めてやり切り、最後に「あの山へ登った」と言える経験である。つまり富士登山の場合、苦労は商品の欠点ではなく、商品を成立させる材料の一つなのかもしれない。

だから「そんな苦労、金まで払って買いたくない」という人も間違ってはいない。その人にとって富士登山は、本当に高くて疲れるだけの旅行になり得る。逆に登山好きにとっては、その面倒くささを全部取り除いた瞬間、富士登山ではなくなってしまうのだろう。

【編集者が思うこと】

俺はいまだに、4000円払って10時間歩いて「楽しかった!」という感覚には少々首をかしげる。ただ、もし山頂までエレベーターを造って、冷暖房完備で3776mまで5分で行けたら、それを「富士登山」と呼ぶ人はいないだろう。そう考えると答えは妙に分かりやすい。面倒で辛い部分まで含めて、登ったことになる。そこなんだろうな。俺が登りたいかどうかは、また別の話だが。

参考資料

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